TOKYO PREMIUM BAKERIES|第12回 ブーランジェリー ニコラ
Lounge
2015年4月16日

TOKYO PREMIUM BAKERIES|第12回 ブーランジェリー ニコラ

第12回 Boulangerie Nicolas|ブーランジェリー ニコラ

いつもひとと違うことを。自己表現の方法としてのパンづくり

東京でほんとうに「上質でおいしいパン」を提供しているパン屋さんを紹介する連載第12回は、伝説のパン屋・半蔵門『ミュゼ』で腕をふるっていた杉山洋春シェフがあたらしく開いた『ブーランジェリー ニコラ パンダーチザン』(以下『ブーランジェリー ニコラ』)です。東急多摩川線・鵜の木駅からほど近い住宅街のなかにある店舗は、赤いテントが目印です。

取材・文=戸川フユキ写真=高田みづほ

低温長時間発酵させると、酵母が旨味を出し、粉も熟成されみずから旨味を出す

東急多摩川線の鵜の木駅を降りて賑やかな多摩堤通りから一本入ると、そこには閑静な住宅街が広がる。田園調布方面へ5分ほど歩くと、「こんなところにパン屋さんが?!」というタイミングで現れるのが、『ブーランジェリー ニコラ』だ。あまりに控えめな佇まいに、気をつけていないと通り過ぎてしまいそうだ。

昨年10月にオープンした『ブーランジェリー ニコラ』は、パン好きのあいだでは、長い間オープンが待たれていたパン職人・杉山洋春氏の店である。氏のつくるパンは酵母(イースト)が極端に少なく、旨味がとりわけ深く、一度食べたら忘れられない。いまではかなり一般的となった「低温長時間発酵」のパンを、誰かに習ってつくっているのではなく、失敗と研究のなかから編み出したというのだから驚きだ。

杉山シェフは、もともとパン職人を目指してこの業界に入ったひとではない。画家を志していた学生時代の18歳、アルバイト先の地元・茨城のハーブ園で菓子工房に配属され、そこではじめてケーキやパンづくりに出合う。しかし当時は「牛乳と生クリームの違いもよくわからなかった(笑)」ほどのど素人だったそうだ。

21歳からは、地元「つくば第一ホテル」(現オークラフロンティアホテルつくば)のケーキとパン部門でアルバイトとして働き、いまも恩師と慕う師匠・山下雅一氏と運命の出合いを果たす。山下氏のもとパンづくりの面白さに惹かれ修行を重ねて、前出のハーブ園のパン屋にシェフとして抜擢され、オリジナルのパンを焼きはじめる。その後、若干23歳で半蔵門『ミュゼ』のシェフに就任し、かなり実験的なパン屋を成功させたのち、故郷の茨城に戻り夫婦で『ニコラ』を開く。ひっそりと営業するつもりが、東京からも多くのお客さんが押し寄せ、かなりの人気店だったようだ。

ひとつの失敗が、常識とされたパンの製法を覆す「低温長時間発酵」のパンを生む

このように30代前半の若さで目まぐるしい経歴をもつ杉山氏であるが、茨城の『ニコラ』を閉じてからの充電期間を経て、ついにはじめたのが新生『ブーランジェリー ニコラ』である。

杉山氏は、ハーブ園のパン屋時代にポーリッシュ法(生地の一部をつくっておいて発酵させ、そこに生地の材料をくわえて「本捏(こ)ね」する製法)と出合い、その製法でパンを焼いたときに、間違ってイーストの量を極端に少なくしてしまった。当然、生地はいっこうに発酵せず、焼き上がりも膨らまず失敗作であったが、そのパンは穀物特有の甘い香りがして、それまで味わったことのない驚きのおいしさだった。

「これはいける!」そこから研究の日々がはじまった。酵母(イースト)は微量だと力が弱いので長時間の発酵が必要だが、そのあいだに酵母が旨味を出す。しかも酵母の働きが遅く時間がかかるために、生地自身も熟成されて自らも旨味を出す。こうしてひとつのアクシデントから、それまで常識とされたパンの製法を覆す、手間と時間はかかるが格段に味の良い、杉山氏の「低温長時間発酵」のパンは生まれた。

現在店頭に並ぶパンの種類は、常時30種類ほどで日替わりメニューも多い。バゲット類は低温長時間発酵で焼くまでに4日も寝かせる。もっちりとした噛みごたえが特長の「リュスティック」は、粉そのものの甘さが味わえる逸品だ。生地の状態に合わせて焼くため、焼き上がり時間が決められないとのことだが、リュスティックや田舎パンは毎日昼ごろには店頭に並ぶそうだ。

杉山氏は根っからの「表現者」だ。ご本人も「たまたま手段がパンだったんです。」と笑う。いつもひとと違うことを考え、あたらしいものを創造したいという情熱に突き動かされてパンをつくっている。

「習ったつくり方だけがパンの製法じゃないんです。材料やつくり方も、もっといい方法があるんじゃないか? ってつねに考えないと」。このあたりが、杉山氏のパンが日々進化をつづける理由だろう。「大手のメーカーにはできないことやあたらしいパン屋の形態を、小さいパン屋でやっていきたい」と話す杉山氏。本当になにか、エキサイティングなことをはじめてくれるに違いない。

Boulangerie Nicolas - Pain d’artisan –
『ブーランジェリー ニコラ パンダーチザン』

東京都大田区鵜の木3-12-3
Tel. 03-5482-0808
11:00~18:00ごろ
不定休
(東急多摩川線、鵜の木駅下車徒歩5分)
http://www.nicolas-p.com/

           
Photo Gallery