浅野典子「アフリカの風」 Chapter22:もうひとつ南アフリカ 1
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2015年3月13日

浅野典子「アフリカの風」 Chapter22:もうひとつ南アフリカ 1

Chapter22:もうひとつの南アフリカ 1

来年6月にワールド・カップが開催される南アフリカ。日本代表もそうそうに出場を決め、いまこのアフリカ最南端の国に何かと注目が集まっています。日本のテレビなどでは“世界で一番治安の悪い国”という悪い印象を与えるニュースが先行していますが、実際に行ってみると治安の悪いところとそうではないところが明確で、ワールド・カップに向けて国をあげて治安の安定を強化しています。何よりも南アフリカのひとたちが、この一大イベントを成功させようという思いが強く、多くのひとたちがフレンドリーに接してくれて、これまで7回ほど訪れているけれど危うい事態に遭遇したことは一度もありません。

もちろん、金銀ジャラジャラと身につけて暗い夜道を歩けば、襲われるかもしれないけど、それは南アフリカに限ったことではありません。くれぐれも日本の常識が世界の常識だと思わず、節度をもって、ワールド・カップを機に大きく変わりつつある南アフリカに遊びに行ってみてください。

さて、この南アフリカの話をするうえで避けてとおることはできない“アパルトヘイト”とアパルトヘイト撤廃後の南アフリカについて、ケープタウンのググレトというスラム/ゲットーに住む私と同年代のラスタの友人にインタビューしたので、それを2回の連載としておおくりしたいと思います。第1回の今回は、“アパルトヘイト”の時に実際に友人が経験したことです。

ちなみにアパルトヘイトとは、人種隔離政策といって1948年に法制化されてから1991年に撤廃宣言される(94年完全撤廃)まで白人政権が肌の色で4つの階級をつけ、人種差別を平然とおこなっていた政策で、とくに本来の居住者である圧倒的多数の黒人に対して居住地を限定したり、乗り物、レストラン、学校、公衆トイレまで公共施設はすべて白人用と白人以外に区別され、もしも黒人が白人専用エリアに立ち入った場合は、すぐに逮捕されたり、ときには銃殺されたりした、白人至上主義に基づいた政策をいいます。そのときの実態を映画化した『遠い夜明け』という映画は、必見です!!

インタビュアー=浅野典子翻訳=梶谷雅文

──名前と年齢&職業、民族を教えてください。

B・Z・ジョージ。 49歳。
現在は無職。ときどき、ローカルのスタンドでピーナッツを売っている。民族はコーサだ。

──あなたにとってアパルトヘイトとは?

私にとってアパルトヘイトは、史上最悪の邪悪なシステムだ。辛い時代だった。たとえば、自由に買い物もできなかった。白人専用の店があり、店内が「白人」と「非白人」にわけられている店もあった。また教育もひどかった。バントゥー教育といって、子どもたちに意味不明なことを教え込み彼らの人生を台無しにするんだ。

──アパルトヘイトの時代は何をしていましたか?

アパルトヘイトの頃はまだ学生だった。1976年6月16日に暴動がはじまって学校を中退しなければならなかった。1978年には父親が亡くなり、母親は無職、兄は酒に溺れていたため、私が働いて家族を支えるしかなかった。

──アパルトヘイトで忘れられない事件や経験はありますか?

多すぎる……。でもまだ忘れられない最悪の経験は、人権活動家だった父親が亡くなる前の76年か77年に、我々コーサ民族の姓を変える必要があったことだ。そうしないと白人警察がいつドアを蹴り破って活動家の家族である我々を逮捕するかもわからなかった。我々はPAC(パンアフリカニスト会議)派だったからね。だから我々は姓をボラニからジョージに変えたんだ。父親は、自分が死んだ後に子孫が迫害を受けるのを避けたかった。私は今でもジョージと名乗っているが、本当の名前はボラニだ。
それと『ググレト7』……あの事件は、決して忘れることはできない。後でゆっくり話すよ。

──アパルトヘイトが廃止されたときに思ったことは?

まず教育が変わって自由になると思った。それまでの南アフリカの教育は、我々黒人を白人のための労働者に育て上げるために、視野を狭くして押さえつけるものだったからね。
それと職も増えると思った。Publitizationという新しいシステムを導入したが、我々にとってそれは良いものではなかった。そのシステムは我々には合わなかったんだ。職に就くのは、アパルトヘイト完全撤廃から15年経ったいまだって難しいよ。

──1994年にネルソン・マンデラ氏が釈放されて黒人政権が誕生したとき、希望があったのではないでしょうか?

もちろん!! 希望に溢れていたよ。マンデラが釈放された初日のパレードをみんなで見にいったよ。みんな希望に満ち溢れていた。やっと自由になれるってね。

──アパルトヘイトが廃止されて15年たちますが、すべては期待したように変わりましたか?

答えはノーだ。すべては期待したようには変わらなかった。いくつかは改善したが、問題はまだ残っている。まだまだ改善するべきことは多い。とくに教育にかんしてはね。

──それではアパルトヘイトの時(1987年)に、ここググレトで起こった『ググレト7』と呼ばれる事件について教えてください。

「ググレト7」は私のブラザーたちだった。ラスタのムーヴメントがここケープタウン、とくにググレトではじまり、ほかの街にも広まっていっていたころ、われわれは一緒に踊ったりラスタ同士つるんだりしていたんだ。ただ彼らには、我々とはちがう点がひとつあった。みんなラスタだったが、アパルトヘイトとの戦い方がちがっていた。

彼らは反体制活動家として暴力に訴えたんだ。一方、われわれは精神で戦っていた。われわれは、「バビロンに抵抗するんだ、神はわれわれを見守っている」と信じていた。だが彼らは武器を手に取り、白人警察とそのシステムに暴力で戦うことにしたんだ。我々にそれはできなかった……。

ある夜、遅くにブラザーたちは兵士を募るためにギグをやっていたダンスホールにやって来たんだ。でも我々ラスタは、「ダメだ、精神で戦うんだ。このシステムはいずれ倒れる」と武器を取ることを拒否した。平和を求めていたから。・・・・・彼らに起こった事は悲劇そのものだよ。

──「ググレト7」の事件が起きたとき、どう思いましたか?

アパルトヘイトの恐ろしさを実感した瞬間だった。当初は7人ではなく、8人もしくはそれ以上の兵士で作戦が計画されていたんだ。でも作戦決行の時間に集合しなかった兵士が数名いた。彼らが警察に密告したのかもしれない。なぜなら、隠れ場所に近づいたら、警察が大勢待ち伏せしていたのだから。茂みや木々に隠れて警察が待っていたんだよ。完全に待ち伏せだ。

それで「ググレト7」が銃を捨て、手を上げて抵抗をやめると、警官が近づいて来た。警官は無抵抗のジャブ(ググレト7のひとり)を上から射殺したんだ。恐ろしいことだ。決して忘れられない。

──何名が亡くなったんですか?

7人全員だ。テレビでも伝えられたけど、みんな手を上げて無抵抗だった。銃も地面に置いていたにもかかわらず、警察は彼らを動かなくなるまで撃ちつづけた。

──その白人警官たちは逮捕されましたか?

まさか! 逮捕なんてされなかったさ。

──なぜ逮捕されなかったんですか?

わからない。真実和解委員の議長のツツ司教が動き、現場にいたひとが事件の真相を伝え、亡きブラザーたちの両親が涙で訴えてもどうにもならなかった。

──黒人警官はいなかったのですか?

いたよ。もちろん黒人と白人の警官両方がいた。おそらく彼らは白人の上層部に待ち伏せするように命令されて撃ち合いになったんだろう。

──今「ググレト7」の事件が風化しつつあると聞いたのですが……。

そうだね。メインロードに建てられた彼らの銅像だって、囲いもなく雨ざらしだ。このあたり(ググレト)のひとたちはみんな貧しく腹をすかしている。だから彼らは深夜に銅像から銅を削ってそれを金にしている始末だ。貧しすぎて誰の銅像かなんて気にしてられないんだ。……悲しすぎるよ。

──まだ人種差別は存在すると思いますか?

存在するよ。人種差別はまだ確実に存在する。そしてそれは一方的なものだとウソをつくつもりもない。差別は双方に存在する。白人も黒人も互いを差別している。ここケープタウンでは、「カラード(混血民)」と呼ばれるアパルトヘイトの犠牲者がいるんだ。白人が一番えらくて、カラードが二番目、黒人は一番下に見られる。全員ではないけど、カラードのなかには黒人を差別するひとがいるのも事実で、カラードと黒人のあいだにはまだ溝がある。決して良い関係とはいえない。でも私にはカラードの娘がいる。これは我々ラスタが差別をしないという証明だ。人間はみんなおなじだ。われわれはひとつだ。肌を切れば赤い血が流れる。みんなおなじ人間なんだ。……つづく。

アパルトヘイトが完全撤廃されてから、まだたった15年しかたっていません。15年
前、私は何をしていたんだろう……と改めて振り返ってみました。
KRUSHが世界進出を果たし、テレビ番組の特番制作をし、世界中を飛びまわり、絶好
調のときでした。はじめてアフリカ大陸に足を踏み入れたのもこの年です。

おなじ地球上にリアルタイムで生きていながらこうもちがう現実を生き抜いてきた南アフリカのひとたちは、いま、ワールド・カップという希望に満ちた祭典を心待ちにしています。私は、この祭典が成功することを心から祈りたいと思います。

次回は、いま現在、南アフリカが直面している問題点にかんしておおくりします。

African JAG/ Producer 浅野 典子

AFRICAN JAG PROJECT

           
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