三原康裕│第3回 アバンティ代表取締役 渡邊智恵子さんと語る(3)
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2015年3月13日

三原康裕│第3回 アバンティ代表取締役 渡邊智恵子さんと語る(3)

あなたがいま着ている「綿」をかんがえる
第3回 アバンティ代表取締役 渡邊智恵子さんと語る(3)

日本におけるオーガニックコットンの第一人者であり、オーガニックコットンのリーディングカンパニーであるアバンティの代表を務める渡邊智恵子さんとファッションデザイナー三原康裕さんとの対談3回目。
オーガニックコットンと出会い、それを世に広めることが自分の役割と悟った渡邊さん。その思いは次の世代へと受け継がれていることを三原さんは知る。

写真=Jamandfixまとめ=竹石安宏(シティライツ)

誰も「ノー」といわないスローガン“キレイな地球を子供たちに”

三原 なぜ渡邊さんはオーガニックコットンに取り組むようになったのですか?

渡邊 私はオーガニックコットンにかかわりはじめてからすでに19年になるのですが、当時オーガニックコットンのスローガンは“キレイな地球を子どもたちに”でした。
そのころ私に子どもはいませんでしたが、このスローガンは誰も「ノー」といわない内容であり、すごく入りやすかったんです。“三方よし”という昔の言葉がありますが、つくり手も売り手も買い手もみんな良いというこの言葉は、私は普遍的な意味があると思っていました。そして、それを実践することはいいことだなと思ったんです。

それと1992年ごろにテキサスのファーマーに会いに行ったことがあるのですが、彼らの目はとてもキレイであり、「この地球は神からの授かりものであり、一時私たちが使わせてもらっているもの。いつかは返すので、健康な状態にしておくのは当たり前」という考えをもっていました。それはとても当たり前のことであり、無理がないと感じました。そして無理がないことはつづけられると思ったんです。

渡邊さんが出会ったテキサス州のオーガニックコットンファーマー。渡邊さんは国内繊維企業9社の協力によって日本テキサスオーガニックコットン協会を1993年に設立し、理事長を務めている

三原 もともと渡邊さんはコットン関連のお仕事をされていたんですか?

渡邊 いいえ。まったく関係のない仕事でした。たまたまオーガニックコットンの輸入代行を頼まれたのがキッカケだったんです。

三原 そのときはオーガニックコットンを知っていたのですか? 僕は当時は高校生くらいだと思いますけど、聞いたこともなかったですね。

渡邊 当時は私も知りませんでした。「なにそれ?」という感じでしたね(笑)。恥ずかしいことですが、編みや織りのちがいなど繊維の基礎知識もなかったんですよ。ただ貿易をやってきていたので、軽く引き受けただけだったんです。その後テキサスのファーマーに会ったりしたわけですけど、1995年に娘が誕生したことで、自分がやってきたことがまちがいではなかったという確信に変わっていきましたね。

三原 それはなぜですか?

渡邊 “キレイな地球を子どもたちに”というスローガンは、いままではアタマで理性的に考えるだけでした。でも、子どもが生まれたことで、理性ではなくなったんです。本能的な当たり前のことになってきたんですよ。それが私にとってすごくエネルギーになりましたね。それと娘がだんだん大きくなるなかで、母親がどんな仕事をしているのかが彼女にも見えてきます。それがまたエネルギーになるんですよ。

子どもたちに受け継がれた環境への思い

三原 お子さんは渡邊さんのお仕事をどう思っているんですか?

渡邊 小学校1年生くらいのときに「お母さんはどんな仕事をしているの?」と訊かれたのですが、「環境の仕事をやってるの」と答えたんですよ。当時は娘に“環境”という言葉の意味はわからなかったと思うんですが、それが擦り込まれていてフッと出た言葉だったんですね。

それと松屋銀座にショップがあったんですが、地下道のショーウインドウにたまたまウチの商品が飾ってあったんです。それを目ざとく見つけて「ママ、これウチの商品じゃない?」といったんですね。テレビでオーガニック関連の商品を観ても「これもママの商品?」と訊いてくるわけです。彼女のなかで私の仕事がある種プライドになっているようであり、それを感じるとやってきて良かったなと思えるんです。

三原 小さいころからオーガニックコットンに触れ、なじんできたからこそでしょうね。僕らの世代は大人になってから知ったので、オーガニックコットンにたいしてわからない部分が多かったんです。いまの子どもたちのように小さいころから環境に対する意識があったら、環境問題を自然と理解するだろうし、軽減されていく可能性もありますよね。

渡邊 私たちの世代よりも、現在の10代は環境に対して敏感ですよ。これは小中学校の教育で環境問題を取り上げているからでしょう。そういった面では今後20年、30年経ったら、環境問題への取り組みはもっと良くなるのではないかなと期待している部分もありますね。

たとえば水道を出しっぱなしにして顔を洗っていると、娘に「水道は出しっ放しにしてはダメよ」といわれますから(笑)。電気のスイッチもマメに消しますね。そんなウチの娘だけが特別だとは思えないんです。子どもたちはいまいろんなところで、環境問題を目や耳で吸収しているはずですからね。彼らが政治を動かせる時代になれば、世の中は変わってくると思います。

三原 僕らが子どものときも、電気を消しましょうとか水道は出しっ放しにしちゃダメという教えはありましたけど、それは電気代や水道代がもったいないからというイメージしかなかったですからね。「限りある資源」なんて書いたポスターも学校に貼ってありましたけど、それを見て不安になるようなこともなかった。それがいまとはちがうところですね。でも、さきほどのお話のように「もともと地球は神様のもの」という感覚は、子どもでも感じる人間の本質にあるものかもしれません。

オーガニックコットンのケモノ道をつくる

渡邊 そうだと思いますね。とくに日本人は“八百万の神”という感覚がもともとあったわけですからね。どこにでも神は宿っているという考え方です。こうした感覚をもっている日本人は世界に誇るエコロジストだと、私は思っています。そして環境に関しては、もっと日本人が世界をリードすべきなのではないかと。最近は江戸文化に学ぶということも多くなっていますよね。あの時代はもっともエコロジカルな生活だったといわれていますから。300年前とはいわないまでも、第二次世界大戦前にもどるだけで、地球の環境は変わっていくはずです。そして日本人の“八百万の神”という考え方がいまもあったら、もっと早い時期に地球は生き返るんじゃないかなと思います。

三原 最初は軽い気持ちで取り組んだオーガニックコットンへの思いが、渡邊さんのなかではどんどん変わってきたわけですね。

渡邊 これは私の役割じゃないかなと、いまでは感じていますね。いま私は57歳ですが、きっと普通の57歳よりは速く歩くし、たくさんご飯を食べるし、たくさんお酒も飲む(笑)。とにかく元気だし、思ったことをやれるんです。あまりしがらみもないですしね。

たとえば私の母はご多分にもれず痴呆症なんですが、ずっと兄が母を看てくれています。実家も百姓だったので、継ぐ必要もなかったですしね。人間は生まれてくるとしがらみというものが少なからずありますが、それもなくて健康で、五体満足です。これはある意味奇跡だと思うし、自分が言ったことを成し遂げられるということも、本当に私は奇跡だと思っているんです。こうした奇跡が自分のなかにあるということは、世間に返していかなければいけないと感じていますね。でも、そういう三原さんも元気じゃない?

三原 まあ、元気ですね(笑)。

渡邊 元気で五体満足で、三原さんが考えたことが具現されているわけですよね。それは奇跡ですよ。それを世間に返していくべきだし、自分がかかわったことが自分を必要としていると感じると、本当にそれが自分の仕事なんだと思うはずです。自分がかかわらなければ、それは実現しなかったとも思えるんですよ。

先ほどお話ししたGOTS(Global Organic Textile Standard)という基準は、じつは私もかかわっているんですね。アメリカ、イギリス、ドイツ、日本という4つの国のオーガニックコットン認証団体が集まり、4年かけてつくったスタンダードなんです。

ひとにはそれぞれ役割分担があり、私の場合はケモノ道をつくることなんじゃないかと思うんですよ。誰も通らなかった道をつくることこそが、私の役割なんじゃないかと。現在オーガニックコットンは大きな会社が扱いはじめており、これからはもっといろんなひとが使うようになるでしょう。これは私の望むところでもありました。私がつくったケモノ道を誰かがブルドーザーをもってきて大きくし、もう何年か経つとそこに高速道路や滑走路ができるかもしれない。でも、それはもう私の仕事ではないんですね。もっと組織力をもった人がつくるべきでしょう。いまオーガニックコットンは、ローカルなアスファルト道路くらいにはなったかなと思っています。

三原 いま世界におけるオーガニックコットンは、どれくらいの割合なんですか?

渡邊 公表されている数字としては0.55%です。インド、トルコが上位を占めますが、シリアなどが国を挙げてオーガニックコットンに取り組みはじめており、中国も多くなっています。ちまたでは1%にまでなったとも言われていますね。

 

渡邊智恵子
1952年北海道斜里郡生まれ。明治大学商業学部卒業後にレンズ製造会社であるタスコ・ジャパンに入社。1985年、同社副社長就任中子会社としてアバンティを設立し、代表取締役に就任。
1990年に初めてオーガニックコットンに触れ、同年アバンティに専念してオーガニックコットンを専門に扱うようになる。1993年にはアメリカ・テキサス州に現地法人設立し、日本テキサスオーガニックコットン協会の設立に尽力。2000年からはNPO法人日本オーガニックコットン協会(JOCA)の副理事長に就任。NPOへの参加や講演会などを積極的に行い、オーガニックコットンの普及やグローバルスタンダード確立のための活動を行っている。

アバンティ直営ウェブストア「プリスティン」
http://www.pristine.jp/

ファッションデザイナー三原康裕がつくった靴下は、素材は機能性と天然素材にこだわり、吸湿性と速乾性を兼備させるためにコットンにヘンプを混紡したものをチョイス。多彩な色糸とネップが不均一に混ざった杢糸を使用し、スタイルのアクセントになるように独自のカラー調整とブランドロゴをかかとに刺繍した。そして針数60本の編み機によって、ザックリとした足馴染みのいい靴下に編み立てた。

web shopping「ルモアズ」のみで販売されるこのソックスは、三原さんとオウプナーズの意向により、売り上げの一部を東京都社会福祉協議会が運営する東京善意銀行を介し、東京都内の福祉施設に寄付される。

           
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