カラー写真への遙かなる道 第1回
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2015年5月21日

カラー写真への遙かなる道 第1回

<Fred JOURDA>について

© Fred JOURDA

カラー写真で失っている“何か”

写真には“カラー”と“モノクローム”というものが存在することは、ほとんどの人が知っていると思う。

存在は知っているが具体的に何がどうなのか?
どのようにしたら色が出たり黒くなったりするのか?

もっと細かく分類化すると、フィルムの感度、引き伸ばし技術、印画紙の性質、それに最近ではデジタル印刷が参入してきたことで、ネガフィルムなどがなくても簡単にプリントが出来たりする。と理論的な難しい話になったりもする。

知ろうと思えばインターネットなどで検索すれば、素人でもかなりの情報は得ることが出来るが、知らなくても特に生活に支障が起こるわけでもない。

© Fred JOURDA

撮影を終えたフィルムやデータを写真屋にもって行くと、店の奥にある大きな機械から写真らしきものが出て来るので、写真のプリントは機械でするものと普通に思ったりする人もいる。
フランス人Chares Cros氏によってカラー写真の歴史がスタートしたのが1869年。
その頃に比べれば、とても簡単にカラー写真というものが出来るようになったであろうが、その分失っている“何か”があるのは確かだと思う。

理論的な難しいことに関しては、いつか機会があればこのコンテンツで話をしたいと思うが、今回はその失いかけている“何か”にはまってしまった人の話しをしよう。

PICTO:Pierre GASMANN/ピエール・ガスマン

フランスはパリにある写真現像所「PICTO」と聞けば、フランス人だけではなく写真に携わる世界中のプロの人たちであれば、必ず耳にしたことがある名前だ。

1950年、ピエール・ガスマン氏によって作られたこのラボ(写真現像所)は、カルチエ・ブレッソン、ロバート・カパ、ウイリー・ロニースなど、その当時の大御所写真家たちがお世話になってきたラボである。さらにマン・レイのプリント技師としても活躍をした人物である。

ピエール・ガスマン氏に関してはいつか改めて詳しく話しをしたいと思うが、今回はそのラボ「PICTO」で現在カラー写真のプリント技師を担当するFred JOURDA/フレッド・ジョルダを紹介しよう。写真家でもありカラー写真のプリント技師でもある彼からその“何か”を感じとりたい。

© Fred JOURDA

Fred JOURDA/フレッド・ジョルダ

彼が17歳の時、バカンスのお金を稼ぐために1ヵ月間「PICTO」でアルバイトをすることになる。

その時「PICTO」の創立者ピエール・ガスマン氏からモノクロームプリントの指導を直接うけることになるが、それが彼のプリント人生への第一歩になった。

43歳といまだ若いフレッド・ジョルダだが、彼の手がける写真家といえば、マリオ・テスティーノ、ジャンバティスト・モンディーノ、レイモン・デパルドン、ダビット・ハミルトン、エドワール・ブバ、などフランスだけに限らず世界中から彼のテクニック欲しさに注文があるほど業界のスターともいえる。

(次回は彼との対談を掲載します)

© Fred JOURDA

           
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