Secrets behind the Success|連載第4回 「ザ・ペニンシュラ香港」総支配人レイニー・チャンさん
ビジネスパーソンの舞台裏
第4回|レイニー・チャンさん(「ザ・ペニンシュラ香港」総支配人)
“血の通った”経営術(1)
ビジネスで成功を収めた成功者たちは、どう暮らし、どんな考えで日々の生活を送っているのだろう。連載「Secrets behind the Success」では、インタビューをとおして、普段なかなか表に出ることのない、成功者たちの素顔の生活に迫ります。
香港でもっとも長い歴史を持つホテル、ザ・ペニンシュラ香港(愛称「ザ・ペン」)。1928年の開業以来、貿易商からハリウッドスターまで、世界中の人びとをもてなしてきた。1970年代には、ロールスロイスによる送迎を開始するなど、話題に事欠かなかったザ・ペンも、今年ほど活気に満ちた年は珍しい。85周年という記念すべき年に、開業当初からその歴史をともに刻んできた建物を全面改装し、5月にリニューアルオープンしたのだ。その一大プロジェクトを率いたのは、総支配人のレイニー・チャンさん。本連載初の女性ゲストが打ち出す“血の通った”経営術とは?
Photographs by NAKAMURA Toshikazu (BOIL)Text by TANAKA Junko (OPENERS)
香港でもっとも長い歴史を持つホテルができること
――ザ・ペニンシュラ香港にとって、今年は大きな節目の年。なかでも全客室を改装したというニュースは、旅好きの間で大きな話題となりました。具体的にはどんなプロジェクトだったのでしょうか?
改装工事は、2012年のはじめにスタートしました。それから17カ月間かけて、タワー棟の17階から27階、本館の2階から6階に位置する、全300室の客室をすべて改装しました。全社を挙げての一大プロジェクトでしたから、今年5月、無事にリニューアルオープンを迎えた日には、喜びも感動もひとしおでした。
なかでも目玉と言えるのが、タワー棟の客室に導入した「インタラクティブデジタルタブレット」などの最先端テクノロジー。これからは室内灯やカーテン、エアコンの調整を、ひとつのタブレットでおこなうことができます。ルームサービスのメニューや、施設の説明もこのなかに入っているんです。検索する時間が随分短縮されると思いますよ。5カ国語に対応しているので、もし日本語を選択すると、タブレットの表記はもちろん、「バスルーム」や「トイレ」といった部屋のなかにあるすべての表記が、日本語に変わるという仕組みになっています。
――そしてもうひとつの話題は、今年で創業85周年を迎えたこと。なにか特別なイベントは予定されているのでしょうか?
今年のザ・ペニンシュラ香港は、お祝いムード一色です。1年をとおしてさまざまなイベントが開催されています。コンセプトは「トラディション・ウェルサーブド」。香港でもっとも長い歴史を持つホテルとして、私たちができること。それはホテルの歴史や伝統はもちろん、香港の伝統文化の素晴らしさを伝えていくことだと思うのです。
具体的には、毎週日曜を「イベントデイ」にして、85周年記念のイベントを開催しています。まずは伝統的な「アフタヌーンティーダンス」を復活させました。1930年代に大人気だった催しなのですが、これを毎月第一日曜におこなっています。当時、ザ・ペニンシュラ香港は、1階のロビーをティーダンスの会場として開放していました。そのような催しをしているホテルがほかにはなかったということもあって、毎回大勢の人がロビーに押し寄せたそうです。80周年のときに期間限定で開催したのですが、あまりにも反響が大きかったので、85周年を機にもう一度復活させようということになりました。
第二日曜には、古き良き「ファイン・ダイニング(=究極の食体験)」を感じさせるような、スペシャルメニューを提供しています。その舞台となるのは、今年創業60周年を迎えたフレンチレストランの「ガディス」です。ここは香港ではじめてフランス料理を提供したという由緒ある店。その歴史に敬意を払って、「テーブルサイドサービス(=客の目の前で料理を仕上げるサービス)」といった、いまはなき素晴らしい伝統も体験いただけるようにしました。
また第三日曜には、ペニンシュラ仕様の「MINIクーパー」が、香港の街中を駆け巡ります。楽しい祝祭のムードを、街中に届けたいという思いで企画したイベントです。じつはこのMINIクーパーには、もうひとつの役割があって、昔懐かしいお菓子や食べ物を、白い制服を着たページボーイが街の人に配って回っているんです。最初に向かったスタンレーマーケットでは、「エアプレーン オリーブ(※)」という、香港人になじみの深い甘草風味のお菓子を届けにいきました。次にどこへ向かうのかは、毎週フェイスブックで告知しているので、もし香港に来られる機会があれば、ぜひチェックしていただきたいですね。そして第四日曜には、将来を担う地元の若いダンサーやパフォーマーを招いて、「アート・オブ・セレブレーション」というイベントを開催しています。
――「伝統」というのが今回のキーワードになっているんですね。
そうですね。わたし自身、伝統を重んじる人間ということもありますが、伝統というのはザ・ペニンシュラ香港の一番の強みだと思っています。香港で最年長のホテルということにくわえて、ザ・ペニンシュラホテルズグループは、アジアでもっとも長い歴史を持つホテルグループです。どんなに資本のある会社でも、歴史や伝統をお金で手に入れることはできません。そういった意味でも、折に触れて、歴史や伝統を振り返ることは、私たちにとって大切な役割のひとつではないかと考えています。
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第4回|レイニー・チャンさん(「ザ・ペニンシュラ香港」総支配人)
“血の通った”経営術(2)
顔の見える上司でいたい
――イベントのコンセプトや内容は、どんな風に決めていくのでしょうか?
いつもチームで話し合って決めていきます。ホテル業界において、チームビルディングは欠かせません。なにかアイデアが浮かんだときには、チームのメンバーとテーブルを囲んで、思いついたことを次々に出し合う会議をするんです。会議というよりは“脳エクササイズ”のクラスと言った方がいいかも知れません。ホテリエはみんな夢見ることが大好きなので、毎回驚くようなアイデアが飛び出します。実現できるかどうかに関わらず、いろんなアイデアを出し合って、最終的に実現できるような形に落とし込んでいくのですが、まず「夢を抱く」ということが最初のステップですね。
――チームビルディングの話が出ましたが、チャンさんは上司として部下に接するとき、どんなことに気をつけていますか?
触れ合う機会をできるだけたくさん持つということでしょうか。わたしはザ・ペニンシュラ香港に来て長いので、ここには気心の知れた仲間がたくさんいます。いまでは920人もの社員が在籍しているので、なかなかひとりひとりとじっくり向き合って、人間関係を築くというわけにはいきませんが、可能な限り現場に足を運んで、“顔の見える”上司でいるように努めています。
コミュニケーションに終わりはありません。だからこそ、率直な意見を交わしたり、たわいもない話をする場を作ることが重要です。たとえば、社内のコミュニケーションツールを活用したり、各部署から若手社員を招いてお茶会を開いたり、管理職を全員集めて泊まりがけのワークショップを開いたりといった具合に。オフィスへ行って会話をすることもありますし、わたしがホテルで一番好きなレストランである(笑)社員食堂に足を運んで、もっとカジュアルな雑談を楽しむこともあります。「最近どう?」とか、なんでもない会話をしているだけなのですが、信頼関係を築くためには、じつはこうした時間が一番大切なのではないかと思っています。
それから2011年には、社員の家族にホテルを開放する「オープン・ハウス・デイ」をはじめました。ホテルで働いていると、忙しくてなかなか家族に会えないという人が多いんです。そんな彼らも、この日ばかりは家族サービスをする側に回ります。館内を案内したり、自分の上司や同僚に紹介したり。ヘリコプターやロールスロイスの乗車券、レストランでの食事券が当たるくじ引きもあるので、毎年ものすごく盛り上がります。家族のみなさんに、少しでもホテリエの仕事を理解してもらう機会になればと思っています。
――これまでのキャリアのなかで、「こんな上司になりたい」と思ったロールモデルはいましたか?
特に「この人」ということはないのですが、いつでも気軽に話しかけられる存在でありたいと思います。やはりホテルは人が一番の財産ですから。なにかあったときに、すぐ「あの人に相談しよう」と思ってもらえるような人が、わたしにとっての理想の上司です。
自分が熱意を持って仕事をすることはもちろんですが、チームのやる気を奮い立たせて、引っ張っていく存在でありたいですね。それから平等な判断を下す上司でいることも。ときに難しい決断を強いられることもありますが、たとえどんな状況にあっても、平等な判断を下せる人でありたいと思っています。
いまお話したことが全部できれば最高ですね(笑)。この仕事はストレスも多く、毎日いろんな場所から問題が降ってきます。情熱の炎を燃やしつづけるのは、たやすいことではありません。ですが、自分の仕事を楽しんでやっていれば、結果はおのずとついてくるものだと思います。わたしにとっては、社員が元気のもとです。嬉しそうに働いている姿を見ていると、自然とやる気がみなぎってくるのを感じます。そういう意味では、上司と部下の関係はつねに双方向です。上司が部下になにを与えられるかというだけではなく、部下が上司になにを与えられるかによって、その関係性が決まってくるのだと思います。
――仕事をするうえで心の支えになっている言葉や教えはありますか?
いつも言っているのが、自分のしていることを心から楽しんでいたら、働いているという感覚はなくなるということ。もちろん仕事が深夜までつづくときもありますし、ストレスを抱えることもあるのですが、そんなときは思い切って外に飛び出てみるんです。チャリティ活動に精を出したり、異業種の人たちが集まる会に参加したり。そうして外の世界に目を向けてみると、当然ですが「大変なのは自分だけじゃないんだ」ということに改めて気づかされます。大切なのは広い視野を持って、小さな幸せを見つける努力をすること。自分の周りにある小さな幸せに感謝できるようになると、ストレスが一気に緩和されるのを感じますから。それにどんな問題が起こっても、折れずに立ち向かえるパワーが沸いてきますしね。
――ほかに大事な場面でチャンさんを支えてくれる、ラッキーアイテムはありますか?
どこにでも持って行くのが、この翡翠(ひすい)のチャームです。幼いころに母親がプレゼントしてくれて以来、お守りのようにつねに持ち歩いています。ネックレスとして毎日つけているわけではありませんが、そういうときもカバンのなかに入れています。
中国豆の形をしているのですが、中国では「あたらしい人生」や「希望」を象徴する、とても縁起のいいものとされています。翡翠にも特別な意味があって、身につけていると、恐怖に打ち勝つことができると信じられているんです。
――七つ道具のような、ビジネスシーンに欠かせないアイテムはありますか?
キーホルダーとiPadです。ホテルの総支配人には、マスターキーを持ち歩くという役目があるのですが、男性のように鍵を入れるポケットがないので、代わりに名刺や鍵、必要なものすべてを収納してくれるキーホルダーを使っています。それからiPadも、外出するときには欠かせない道具ですね。
ビジネスパーソンの舞台裏
第4回|レイニー・チャンさん(「ザ・ペニンシュラ香港」総支配人)
“血の通った”経営術(3)
自分を労わっていると、身体も心もそれに答えてくれる
――ここからはチャンさんのお気に入りのものやこと、場所について聞いていきたいと思います。普段はどんな店でショッピングすることが多いですか?
まずは老舗デパート「レーン・クロフォード」に向かいます。ここには優秀なバイヤーがたくさんいて、ファッションアイテムと靴の品揃えが素晴らしいんです。ゆっくりショッピングできる日には、迷わず「レーン・クロフォード」を選びますね。
若いデザイナーの感性に触れたいときは、セントラルのSOHOというエリアに向かいます。じつはいま、香港のデザイナーが勢いづいているんです。ここはその勢いを間近に感じられる場所。なかでもお気に入りは「レニーK」というブランドです。デザイナーのレニーが生み出すドレスは、昔ながらのチャイニーズドレスにアレンジを効かせたもの。いまっぽく、セクシーに仕上げていてとても素敵ですよ。
――仕事のあとや休日は、どんな方法でリラックスしていますか?
普段のリラックス方法は、主に3つあります。まずは運動です。週に5回はジムに通って、身体を動かすようにしています。たとえ45分しか時間がなくても。ジム通いをつづけてきて思うのは、体型を維持するためや、健康のためというだけではなく、精神面にもいい影響があるということ。きちんと自分の心身を労わっていると、身体も心もそれに答えてくれるような気がします。
2つ目はマッサージです。マッサージを受けているとき、わたしは「女性でよかったな」と心から思います(笑)。運動が自己管理の時間だとすると、スパに行ってマッサージを受けるのは、自分を贅沢にもてなす時間ですね。
それから3つ目は、友達と一緒に映画を観に行くことです。ポップコーンの置いてある映画館というのが大前提ですが(笑)。映画館に行って、ポップコーンを買って、ジャンクフードを食べてという、この3つがそろってはじめて「楽しかった!」という気持ちになるんですね。このときばかりは、自分を思い切り甘やかします。
――行きつけの場所やお気に入りの場所はありますか?
運動は「ピュア・フィットネス」というジムに通っていて、たいていはセントラルにあるスタジオに向かうことが多いですね。お気に入りのスパはいくつかあって、そのなかから目的に合わせて選んでいます。少なくとも月に数回は、視察も兼ねて、ザ・ペニンシュラ香港のスパに通っています。あたらしいセラピストが入ったときには、わたしがテスト台になることもあります。週末は混み合っているので、比較的空いている平日の夜を狙って訪れています。
ホテルの外では、「テンフィート・トール」という足のマッサージをしてくれる店がお気に入りです。ここにはめずらしく日本式のトイレがあったりして、なかなか面白いですよ。友人が香港を訪れているときには、ショッピングをしたあと、ランチかディナーの前に、ここで足のマッサージを受けるというのがお決まりコースです。
わたしの場合、映画館の良し悪しはポップコーンの美味しさで決まります。いまのところは、セントラルの「パレスIFCシネマ」のキャラメルポップコーンが一番ですね。最近観た映画のなかでは、『The Internship』というコメディーがよかったです。主人公はちょうどわたしと同じぐらいの、中年の営業マンふたり。ある日、彼らは突然職を失ってしまいます。次の仕事を探していた彼らは、最終的にグーグルでインターンシップをすることに。コンピューターもろくにいじれないので、グーグルで働く若い人たちは「このおじさんたちは、ここでなにをしているんだ?」といった様子。ですが、ふたを開けてみれば、ふたつの異なる世代がお互いのいいところを見つけて、尊重し合えるようになれば、素晴らしい結果がついてくる。そんな物語が展開されるんです。
コメディーではありますが、ホテル業界にもつうじる教えの詰まった素晴らしい作品だと思いました。ザ・ペニンシュラ香港では、いま4世代が一緒に働いています。あるとき、若手社員の仕事ぶりに疑問を感じたベテラン社員から相談を受けました。話をよくよく聞いてみると、若手社員の仕事への姿勢や取り組みが、自分が若いホテリエだったころに学んだものと異なるため、違和感を感じるということ。そのとき「たしかに私たちとはちがうかも知れない。でもあたらしい世代には、彼らなりの考え方があって、私たちも学べるところがたくさんあるんですよ」と話をしたことがありました。
――自宅でのリラックス方法についてはいかがですか?
週に1回、セラピストの女性を自宅に呼んで、マッサージしてもらっています。だいたい日曜の朝にお願いすることが多いですね。タイでの勤務を終えて、香港に戻ってきてからなので、かれこれ6年ほどの付き合いになります。マッサージオイルは、タイのメーカー「カルマカメット」のものを愛用しています。じつは香りアレルギーがあって、ほとんどの製品は使えないんですが、7年ほど前、わたしにも使える製品がないか探し回っていたとき、ようやく見つけたのが「カルマカメット」でした。
ひとつはペパーミントの香りのルームディフューザー(スプレータイプの芳香剤)。もうひとつが「Joy(=喜び)」という名前がついた、ペパーミントやラベンダーの香りのマッサージオイルです。マッサージが終わったあとの気持ちをあらわした、なんともぴったりな名前ですよね(笑)。自分をケアすることで、また明日からがんばろうという気持ちがわいてくる。毎日気持ちよく働くために欠かせない、とても大切な時間です。
こちらが驚くほど開けっ広げに語ってくれたチャンさん。そんな飾らない人間味にあふれた人柄が、周りの人を惹きつけて止まないのだろう。ホテルの全責任を負うのが総支配人という仕事。日々のストレスは相当のはずだ。だが仕事について語るときの彼女の目は、キラキラと輝いていて、およそ仕事について語っているとは思えないほどだった。リニューアルオープンという、一大プロジェクトを終えたいま、彼女はどこへ向かうのか。“血の通った”経営術のこれからに注目したい。
Rainy Chan|レイニー・チャン
香港生まれ。1989年、ハワイのホテルでのフロントデスク業務から、ホテリエとしてのキャリアをスタート。1994年、ザ・ペニンシュラ香港のフロントオフィス・マネージャーとして入社。2000年、ザ・ペニンシュラニューヨークでレジデント・マネージャーに昇格。2001年12月にザ・ペニンシュラ香港のレジデント・マネージャーに。2002年8月に同ホテルのホテルマネージャー、ホテルおよびショップのマネジメントをおこなう。2004年、ザ・ペニンシュラバンコク総支配人に着任。女性ならではの視点で、さまざまなプログラムを開発し業績に貢献する。2007年4月より現職。2010年2月からは、香港とタイ地域のヴァイスプレジデントも兼務。