Audi A1|アウディ A1 医師会に5台を貸与
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2015年3月13日

Audi A1|アウディ A1 医師会に5台を貸与

Audi A1|アウディ A1

復興支援として日本医師会に5台を無償貸し出し

アウディ ジャパンは、東日本大震災の復興支援として、日本医師会に5台の「Audi A1」を無償で貸し出した。

文=谷中朋美

岩手、宮城、福島の各県で活用

「Audi A1」は、アイドリングストップ機能やエネルギー回生システムの採用により、動力性能と燃費性能に優れるコンパクトカー。高機能カーナビゲーションも標準装備され、アウディ ジャパンでは「被災復興地で医師とともに活躍する最適なモデル」としている。

被災地では津波などにより多くのクルマを失ったことから、アウディ ジャパンは、東北地区の震災復興や地域医療の復旧に役立つことを願い、「Audi A1」を無償で貸し出すことを決定した。

5台の「Audi A1」は、日本医師会をつうじて岩手県医師会、宮城県医師会、福島県医師会に届けられ、宮城県医師会では、津波で甚大な被害を受けた南三陸町の公立志津川病院の仮設診療所での巡回診察などに活用するほか、福島県医師会では現地の医療の確保に役立てられる。

アウディ岩手の佐藤支店長から「Audi A1」を受け取った岩手県医師会の岩動(いするぎ)孝副会長は「医師の移動はもとより、薬品の運搬などの活用を予定している。避難所や医療過疎地をまわる手段として活用していきたい」と感謝を述べていた。

アウディ コミュニケーションセンター
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BRAND HISTORY
Audi(アウディ)のエンブレムは“フォーリングス”。その輪ひとつひとつが自動車メーカーのアウディ、DKW(デーカーヴェー)、ホルヒ、ヴァンダラーをあらわしているのはご存じだろう。いずれもザクセン州に本拠を置き、20世紀のはじめ、ドイツの自動車産業を牽引したブランドである。しかし、第一次世界大戦後に起きた世界恐慌の煽りをくらった4社は、生き残りをかけて、1932年にアウトウニオンを結成。DKWがモーターサイクルと小型車、ヴァンダラーが中型車、アウディが高級中型車、そして、ホルヒがラグジュアリーカーに特化する戦略をとることになった。

しかし、第二次世界大戦の敗戦により旧東ドイツのザクセンはロシアの占領下となり、アウトウニオンは消滅。これを見越して、旧西ドイツのバイエルン州インゴルシュタットに新生アウトウニオンが設立される。BMWやメルセデス・ベンツとちがい、工場のない状況からの苦しいスタートをしいられたアウトウニオンであったが、DKWデリバリーバンなどの生産により徐々に体力をつけていった。

1964年末にフォルクスワーゲン傘下に収まったアウトウニオンは、ほどなくしてアウディの名を冠した新型車を世に送り出す。そして1969年には、ネッカースウルムに本拠を置くNSU(“ヴァンケルエンジン”の開発で知られる)を合併し、アウディNSUアウトウニオンとなり、1985年からはアウディとして現在にいたる。クワトロをはじめとするテクノロジーと、モータースポーツ活動に裏付けられたダイナミック性能、エレガントなデザイン、そして、質感の高い仕上がりが、アウディの人気を牽引している。

           
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