田中凜太郎|『My Freedamn! Vol.9』とセブンティーズ(その1)
『My Freedamn! Vol.9』 とセブンティーズ (その1)
12年間のアメリカ生活と、内8年を費やして発表してきた『マイフリーダム!』。さらに今年2月にはコアなファンのための古着イベント「インスピレーション」を主催するなど、精力的な活動をつづける田中凛太郎氏。そんな田中氏から『マイフリーダム!』の最新作たるVol.9が完成したとの一報を受け、OPENERSではさっそくインタビューを敢行した。今回のテーマは70年代。バックボーンとしてファッションにも強い影響を与えた、あらたなスタイルのロックやサブカルチャーの話もふくめ、この時代のアメリカの魅力を語ってもらった。
語り・写真=田中凛太郎インタビュー=竹内虎之介(シティライツ)
キーワードは“フリークアウト!”
──まずは最新作の『マイフリーダム! Vol.9』についてお聞きしたいと思います。今回は70年代がテーマになっていますが、70年代のアメリカのファッションの特徴はどういうところにあるんでしょうか?
最大の見どころはTシャツを筆頭としたカラープリントですね。70年代はテレビなんかも完全にカラーが普及した時代。そこでファッションも一気にポップになった感があります。量的にも飛躍的に拡大しています。だからけっこう駄作も多いんですが、あきらかに60年代よりもチャレンジしている姿勢がうかがえますね。“フリークアウト”してるというか。
──つまり、突き抜けちゃってる感じってことですか?
そう、ちょっとクレイジーに突き進む感じというんでしょうか。ヒッピーカルチャーが終わったあとに、もうひとつのアメリカの生き方が示されたという印象です。イッちゃってるといえばイッちゃってるんですが、あの限界に挑戦している感じは、イギリス人にも、もちろん日本人にも真似のできない生き方だと思います。
──カルチャーでいうと、具体的にはどのあたりのことなんでしょう?
音楽でいえばフランク・ザッパなんかが象徴的ですね。クラシックをはじめ、いろんなジャンルのエッセンスをミックスして一気にあたらしいロックンロールにもっていくような手法。すっかり成熟し切ったロック業界のなかであれができたのは、アメリカがロックンロールの本家だからだと思います。エンターテイメントの世界でも、ジョン・ベルーシなんかは見事にフリークアウトしてましたよね。10人のひとがいたら、そのうちひとりにわかればいい、みたいな姿勢です。でもアメリカには3億人のひとがいるから、10人にひとりでも十分商売にはなるんです。それがアメリカのエンターテイメントの奥の深さにつながっているんだと思います。
アメリカは“10人にひとり”を大切にする国
──“10人にひとり”で勝負できるところは日本とずいぶんちがいますよね。
これは僕自身アメリカに12年住んでみて感じたことなんですが、アメリカのいいところは、10人にひとりのヤツを大切にする国だということ。日本ってやっぱり10人の内6人が知っていることを持ちあげる。もちろんいまや日本も、カルチャーの層が厚くはなってきていますが、それでもまだ一般的には10人に6人の世界が重視されていると思います。僕は持論として、日本の不良は、いわゆる“やんきー”で、アメリカの不良はロックなヤツだと思ってるんですが、やんきーとロックなヤツの決定的なちがいは、弱い者いじめをするかしないか。で、なんでロックなヤツが弱い者いじめをしないかというと、自分が10人にひとりの人間だということを、ちゃんとわかっているからだと思うんです。
──なるほど、たしかにそれはアメリカのいいところですよね。
そうですね。日本の社会構造のすべてが悪いとは思いませんが、こと不良の気質、不良の音楽やカルチャーにかんしては、僕はロックなほうが好きですね。いじめないし、“泣き”にもっていかないところが(笑)。
──で、そういう10人にひとりのロックなアメリカ人気質が、一気に噴出したのが70年代だったと。
そうです。けっこう浅はかなんだけど、浅はかさも突き詰めるとエンターテイメントになるというおもしろさ。それがフリークアウトの魅力ですね。でも、いまのアメリカは、まともなひとがかなり増えています。ところがアメリカ人がまともになるとおもしろくないんですよ(笑)。一方で浅はかさも、いまや10人にひとりじゃないほうのひとたちが浅はかになってて、それはそれで笑えない。フリークアウトのおもしろさがあったのは70年代から20世紀末までだったと思います。