特集|OPENERS的ニッポンの若手建築家 PARTII Vol.6 石上純也インタビュー
Vol.6 石上純也(1)
震災以後に考えていること
2011年はこれまで当たり前に思っていた私たちの生活が、根底から揺さぶられる大きな出来事に遭遇した年となった。人びとの暮らしや、日々の営みが大自然の前では無力で、いかに儚いものであったのか2011年ほど実感した年はなかっただろう。石上純也氏は大きなものと小さなもの、建築のスケールから宇宙のスケールまで、あたらしい尺度をもった建築を考えつづけている建築家だ。震災以後の暮らしとは? 未来の生活のリアリティとは? ――石上純也氏が震災以後どのようなことを思い、建築について考えているのか話を聞いた。
インタビュアー、まとめ=加藤孝司
現代建築を超えていくもの
――震災のあと東北に足を運ばれたそうですが、そこで何を感じましたか?
想像を絶する状況でした。見渡すかぎり、ほとんど家がないこともそうですし、いま僕らが歩いているこの下にひとが埋まっているかもしれないという凄まじい状況が目の前に実際にありました。正直、なにをするべきかということがまったくわかりませんでした。
――そのような状態で、いま必要とされているものはどのようなものだと思いましたか?
率直に、とても親密で、プライベートな空間が必要だと思いました。というのも、ほとんどのひとが体育館などのパブリックスペースで暮らしているような状況でしたし、また、残された家々は、全壊または半壊状態でどこもかしこも屋外化していて、屋内と呼べるような空間はなにも残ってないようにも感じたからです。
もうひとつ、必要だと感じたことは、この状況からひとが住む場所をもう一度つくりなおすことができるあたらしい方法です。既存の都市計画では、解決できない多くのことがあるように思いました。
――今回、石上さんにお話をうかがいたいと思ったきっかけのひとつに、最近、石上さんが手がけられている民家の一部を移築したお年寄りのためのグループホームのプロジェクトがありました。このプロジェクトが今回の地震や津波とは無関係なことは承知のうえでお聞きするのですが、なにかを失ってしまったときに、再生するためには、物理的な意味でも気持ちのうえでも、手がかりとなるものが必要だと思いますがいかがですか。
このプロジェクトがその手がかりになるのかどうかはわかりませんが、まずは、僕が建築をつくるときの心構えというか、モチベーションというか、そういうところから話をしてみます。
僕は、現代建築がつくりだす空間のイメージにあたらしい次元をくわえたいとつねに考えています。グループホームのプロジェクトもそういった考えの延長にあります。とくにこのプロジェクトの場合、既存の現代建築の手法ではうまく解決できないと思っていました。
というのも、僕の個人的な見解では、コルビュジエ以降のいわゆる近代建築は、彼のドローイングからもわかるように、スポーツをするなど、健康なひとが建物を利用することによって、はじめて快適なイメージがつくられるような気がしています。おそらく、非健常者ではなかなか気持ちの良い空間のイメージがつくりだせない。病院などがいい例ですが、とたんに閑散とした味気のないものになってしまいます。 それは、近代建築というものが、基本的には、「機能」という建築のプログラム上の条件を前提としているからではないでしょうか。
たとえば、病院建築の場合、「病気を治す」という機能から効率性を前提に、空間のあり方を徹底してしまうと、どうしても機械的で牢獄のような極端に管理されたイメージのものになってしまいます。そこに近代建築の限界があると思っています。近代建築は、100年以上前に生み出された古い形式です。すべての問題を建築だけで解くことを目指していたように思います。
現代は、100年前に比べたら、テクノロジーもかなり発達したし、価値観も比べものにならないくらい多様化しました。建築もさまざまな関係性のなかで、さまざまな解決方法をもって提案できるようになってきていると思っています。僕は、つねにそういう状況を前提に建築を考えているし、このグループホームもそういう考えのもとに提案しています。
もう少しプロジェクトについて具体的な話をします。
これは、認知症の高齢者の方を対象にした施設で、グループホームという呼び名の一種の老人ホームです。その名前からもわかるとおり、グループで共同生活を営みます。認知症は、いまのところ治す手段が見つかっておらず、進行を遅らせること以外に手立てがありません。そういうわけで、とにかく、つねにほかのひとたちとコミュニケーションをとりながら生活をしていくことで、進行を遅らせるような効果を期待しています。
認知症の方の施設ということもあり、クライアントからは、それぞれの空間に個性をあたえて、利用者が空間を記憶しやすく、認識しやすくするようにと言われていました。そのために、それぞれの場所に個性をあたえていくことが課題だったわけですが、それをできるかぎり自然な方法でつくりだしたいと考えていました。
いかにも「いろんな空間をデザインしてみました」というように見えないことが重要だと思っていました。そこで生活を営む高齢者の方が自然だと思えて、同時に、ほかの誰が見ても自然に生活をしているように見えるものを目指そうとしています。(つづく)
Vol.6 石上純也(2)
震災以後に考えていること
自然のように建築を建てる
そこで、ぼくが着目したのは、庭園や公園などをつくるランドスケープの設計手法です。
建築の場合、設計図を描くと必ず、そのとおりにできあがるように最後までコントロールを徹底するのが通常です。結果、よくも悪くも、すべてにおいて設計者が0から100までつくることになります。
ランドスケープの場合も、もちろん、庭園や公園を隅から隅まで設計するわけです。ここには桜を植えようとか、ここにはけやき、ここには大きめの石を置いて、ここには水を流して、橋を架けようとか。
とにかく、建築の設計とおなじように、小さなところまで計画していきます。しかしながら、実際に植えられる樹木や草花や石までは設計できないわけで、それらは、山や畑などに行って、いい感じのものを選んでくるわけです。それが、建築とランドスケープの設計が決定的に異なるところです。結果、建築とランドスケープでは、できあがる空間の自然さの次元が全然ちがうのです。
ランドスケープの設計の自然さを建築の設計にも取り入れられないか、というのがこのプロジェクトの根幹をなす部分です。その自然さは、どうやっても既存の建築の手法では実現できないものです。
それは、どういうことか。
設計者が予測できないものを設計するということ自体、建築を計画するという概念からはかけ離れているからです。建築は、ランドスケープのように自然をつくるのではなく、あくまでも、人工物をつくるということが大前提です。そういう意味で、ランドスケープの設計がもつ自然さは、既存の建築の設計手法ではつくりだせないと思うのです。
では、どうやってそれを実現させようとしているかですが、簡単に言ってしまえば、日本全国の取り壊し予定の家屋の一部を分解せずに、曳家(ひきや)という手法で、トラックに載せて敷地に集めてきて、それらを組み合わせてひとつの大きな建築をつくるというものです。
植物や石を山から取捨選択してきて、ランドスケープをつくっていくように、既存の古い家屋を選んできて、ひとつの建築をつくろうというわけです。
一般的に、日本家屋は、おおよそ畳を単位として設計されているので、使う家屋が見つかっていない段階でもある程度予想して設計していくことが可能です。
また、ひとつひとつの家屋は、地域によって部材の大きさや瓦の種類もちがうし、つくった大工さんによって組み方もさまざまです。経年変化の仕方も千差万別で、ごく普通の家屋でも、それぞれ微妙な個性をもっています。
その微妙な個性は、ひとりの建築家では生み出せない多様性を備えています。その多様さを利用して、微妙な空間の差異をつくっていき、結果的に、認知症の高齢者の方が日常生活のなかで、空間や場所のちがいを自然と認識できるようにしていこうと思っています。
ここに住む高齢者の方が、「施設」に移されたというよりは、あたらしい家に引っ越したという感覚で、このグループホームに入居できるようにしたいと思っています。
このようなプロジェクトが、再生ということにどれだけ関係しているかは、僕自身はよくわからないのですが、少なくともすべてをゼロからつくるのではなく、さまざまな既存の状態を利用しながら、いままでにまったくなかったものを生み出そうという姿勢は、いまの時代にとくに求められている価値観かもしれません。
Vol.6 石上純也(3)
震災以後に考えていること
建築の未来にむかって
――石上さんの仕事に展覧会などエキシビションでの未来の建築のあり方を示唆するような、大変魅力的なプロジェクトがあります。石上さんにとっての建築とエキシビションのちがいを教えてください。
僕にとって実際に建築を建てることと、展覧会で建築を考えることは、基本的にちがうことだと思っています。誤解を招くかもしれませんが、現実的に目的がちがうものに対して、おなじことを考えても仕方がないのは事実です。まず、建築を考察する次元にはたくさんのレベルがあります。その重層性が建築に深さをあたえ、建築の本質を突きとめるヒントにもなります。
実際に建築を建てる場合においても、エスキスといわれる初期の構想からはじまり、基本設計、実施設計をして、現場がはじまって、竣工し、使いはじめ、時間が経ち古くなり、朽ち果てて消えてゆく、という段階があります。それぞれの段階ごとに、さまざまなリアリティがあり、そのリアリティのなかでしか建築は考えられません。建築にとってリアリティとはとても重要な要素です。
――では、石上さんにとってのリアリティとはどのようなことでしょうか。
僕にとっては、建築を実際に建てることだけがリアリティではありません。
たとえば、建築展にもリアリティがあります。その場合、実際建てることを前提にしていないというリアリティです。そのリアリティのなかでは、どんなことでも考えられます。それが展覧会における現実です。しかしながら、実際に建物が建つわけではないので、その点は、弱い部分かもしれません。このリアリティは、エスキス段階のリアリティにも近いように思います。
また、逆に、建物を建てる場合、当然そこに実現できるものを考えることが、この場合のリアリティです。目の前にあたらしい世界を実際にあらわすことができるというのはすごいことです。ですが、展覧会ほど自由には構想できないという欠点があります。
これらふたつは極端な例ですが、建築にはとにかくたくさんのリアリティがあるのは事実で、それを無視してしまうと建築は哀しいくらい貧弱なものになってしまいます。
このようなさまざまなリアリティの重なり合いが、それぞれの欠点を補完しあいながら重層的に大きく深遠な、僕たちを取り巻く世界を築きあげてゆきます。
その重層性こそが、建築の面白さであり、建築を建築らしくしている根本的なところだと思っています。
――なるほど。よくわかりました。
Vol.6 石上純也(4)
震災以後に考えていること
あたらしい考えが生み出す、これからのリアリティ
そういうことでいうと、展覧会というのは、先ほども言いましたが、エスキスのようなもので、さまざまなことを試行錯誤できる段階だと思っていて、それが実際に建つかどうかにかかわらず、考えることにかんして自由をもたらしてくれるきっかけだと思っています。
僕は基本的に展覧会とは、それを見てくれたひとが、難しくなにかを考えるだけではなく、元気をもらうというか、元気になって自分も何かをつくってみようとか、そういう気持ちを引き起こさせる役目をもっているんじゃないかなと考えています。それが僕にとっての展覧会の意義のひとつだと思います。
たとえば、昔の漫画を見て、その漫画に触発されて、いまリアルになったものもあるはずです。子どものころに鉄腕アトムを見たひとが、そこに登場したロボットを実際につくりたいと思って本当につくってしまう、そういうものだと僕は思うんです。
つまり、あたえられたリアリティを自分なりに追求していけば、最終的には別のリアリティに結びつくとも言えるのではないかということです。
――たしかにそうですね。
人間の技術の可能性というのは、まずなにか具体的なイメージがあってはじめてかたちになっていくものだから、たんなる問題解決のためだけでは、真にあたらしいものはできないと思っています。そういった意味では、イメージを膨らませていくきっかけのところがものすごく重要で、そういう部分に僕は展覧会の意義を感じています。
そのためには僕の展覧会を見てくれたひとたちが、何かわからないけれども、自分もつくりたいと元気をもらって帰ってもらえるようなものを、お見せしたいと思っているんです。
――いままさに必要なことは、いまそこにある状況に正面から向き合うと同時に、その向こう側にある未来のビジョンをみさせてくれるきっかけづくりだと思います。都市といったものや大きなビジョンを描きにくくなったと言われて久しいのですが、目の前のことをひとつずつ積み重ねていくと同時に、少し先を見ることや考えることによってこそ、目の前のできごとを正しい方向に導くためのハンドリングが可能になるような気がしています。
今日はどうもありがとうございました。
石上純也|ISHIGAMI Junya
1974年 神奈川県生まれ。2000年 東京芸術大学大学院修了。2000年~2004年 妹島建築設計事務所勤務。2004年に石上純也建築設計事務所設立。2010年 東北大学大学院非常勤講師。主な作品に、「神奈川工科大学KAIT工房」「四角いふうせん」(2007年)、「アーキテクチャー・アズ・エア」(2010年)。主な展覧会に、SHISEIDO GALLERY「石上純也展 建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?」、豊田市美術館「石上純也—建築のあたらしい大きさ」(2010年)。主な受賞に、日本建築学会賞(2009年)、ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展金獅子賞(2010年)。