特集|OPENERS的ニッポンの若手建築家 PARTII Vol.5 アラキ+ササキアーキテクツ インタビュー
Vol.5 アラキ+ササキアーキテクツ(1)
セルフビルドという設計手法
建築はつくるものではなく、大多数のひとにとって、買うものになって久しい。そこでは有名建築家に家を設計してもらうことが目的になり、その場所で誰とどのような暮らしをしたいのかといった生活本来の目的があとまわしになっている印象がある。荒木源希氏、佐々木高之氏、佐々木珠穂氏の3名によるアラキ+ササキアーキテクツ(A+Sa)は、デザインスタディとしてのセルフビルドを設計理念に、デザインを頭で考えるだけでなく、実際に手を動かし手で思考することを大切にしている建築家グループだ。ユーザーとともに建築について考えつくるという、設計者の手の内をみせることをいとわず、修辞なき建築を目指す彼らに、その設計手法について聞いた。
インタビュアー、まとめ=加藤孝司
手をつかい、自ら構築すること
──3人の出会いをおしえてください。
佐々木高之 3人とも大学の同級生で、それ以来の付き合いになります。そもそも40人しかいないクラスだったので、いまでもほぼ全員仲がよいのですが。
佐々木珠穂 私は学生時代はそれほどふたりのことをよく知っていたわけではありませんでした。
荒木源希 僕と佐々木は入学当初から仲がよくて、一緒に海外に建築を見に行ったこともあります。
佐々木 大学に入って1ヵ月もしないうちに荒木が僕の家に住みつきはじめたんです(笑)。
──大学に入って建築を専門に学ばれたんですね。
佐々木 そうです。都立大学の建築学科というところで建築を専門に学びました。2年生に進学する前の1ヵ月間、荒木と一緒に海外に建築を見にでかけました。
──そのときはどちらにいかれたのですか?
荒木 フランス、イタリア、スペインを中心にヨーロッパをまわりました。
──この建築は絶対にみたいという目的はあったのですか。
佐々木 そのときは建築にかんしてあまり自分の好みというのはなかった時期なので、とりあえず有名な現代建築をひたすら見てまわりました。
──周辺環境をふくめた敷地の条件など、建築が環境のなかでどのように建っているのかなど、実証的に見るわけですね。
荒木 建築もそうですが、町の空気感をふくめて、実際にそこに身をおいてみないとわからない感覚はありましたね。
佐々木 当時はまだ本格的に建築の勉強をしていない時期だったので、建築を分析的な目線で見ることはできていませんでしたが、あのとき本物に触れて単純に感動することができただけでもよかったかな、と思います。
荒木 佐々木たちは大学卒業後にふたりでロンドンに留学していたから、そっちのほうが記憶にあるんじゃないですか。でも僕はいまでもヨーロッパの空気感とかを思い出して、たまに行きたくなることがあります。
佐々木 僕はそのときスペインのバルセロナでガウディの建築を見て感動した記憶があります。大学4年になって、荒木が構法系の深尾研、僕が意匠系の小泉研、珠穂が計画系の上野研と、3人ともちがう研究室に入りました。それぞれ建築の設計をする研究室ではあるのですが、異なる分野で学びました。
──そのころから将来は3人で一緒に設計事務所をやろうというビジョンはあったのでしょうか?
荒木 当時はまったくそんなことは考えていませんでした。ですので、3人別々の専門分野に進んだのも本当に偶然でした。
──そう考えると、この3人でというのもなんだか不思議な縁ですね。
佐々木 それで僕と珠穂がイギリスからもどり独立した当初は、僕ら夫婦でササキアーキテクツを開き、荒木は荒木源希建築設計として半年ほど活動していました。最初はコンペを3人でやって、そのときにお互い考え方が近いことがわかり、その後、正式にアラキ+ササキアーキテクツ一級建築設計事務所(A+Sa)を結成しました。
珠穂 アラキ+ササキアーキテクツをはじめる前に、展覧会の会場をつくる仕事を一緒にやりました。そのときはまだ自分たちでは施工をやっていなかったのですが、見積もりを出してみたら思ったよりも高くて……。でも、予算内でおさめてもつまらないものしかできない。それでソファだけは自分たちでつくろうと決めたのですが、そんなときに施工が得意な大学時代の親友である荒木のことが思い浮かび、声をかけたのが最初です。
──そのとき、荒木さんは何をされていたのですか?
荒木 そのときはちょうどふらふらしていた時期です。
佐々木 僕がイギリスから日本にもどって入所したNAP建築設計事務所(建築家 中村拓志氏の設計事務所)を辞めたときに、荒木もちょうど前職であったアーキテクトカフェ(建築家 田井幹夫氏の設計事務所)を辞めていて、沖縄の設計事務所で働いたりしていたときだったと思います。そのとき実際に荒木と一緒につくったものがよかったので、試しに3人でコンペに挑戦した経緯があります。珠穂と僕は大学を卒業してから2年間、イーストロンドン大学大学院にふたりで留学しました。そこの教育方針が「手を使ったモノの構築」というものだったのですが、それは現在のA+Saの設計手法につうじる考え方です。
イギリスで出会った、あたらしい気づき
──イギリスで考えたことは、現在のA+Saの設計手法に大きな影響をあたえているわけですね。
珠穂 そうですね。設計手法だけでなく、事務所のあり方みたいなものに大きな影響をあたえています。日本のアトリエ設計事務所とヨーロッパのそれには大きなちがいがあって、たとえば時間の使い方ひとつとっても、ロンドンの設計事務所は勤務時間がきちんと決まっていて、残業はほとんどありません。かといって仕事が前に進まないということもなく、それなら日本でもおなじようなことができるのではないかと現場で感じました。
──それはイギリス人と日本人の自主性みたいなもののちがいでしょうか?
佐々木 そうですね。むこうはいい意味で放任主義です。大学も入るのは簡単ですが、出るのが難しくて、日本のようにとりあえず頑張って入ってしまえば、卒業するのは比較的簡単というのとはまるでちがいます。自分から積極的に学び、それを活かすという姿勢がなければ卒業はできません。
荒木 ふたりがロンドンから帰ってきてから聞いた、留学先での話はやはり魅力的だったし、ふたりが熱く話す、設計手法や素材の話は大学時代からふたりを知っている僕からは意外なことでした。
──素材の話がですか?
荒木 そうです。僕は大学時代からデザインだけでなく、素材や構法にも興味がありました。どちらかというと大学時代のふたりは手を使って考えるという設計手法ではなく、よりデザイン性を重視したポップな方向性を思考していましたから。それと、海外の大学の設計教育に、素材を手で扱いながら、手で考えるようなことがあるのを知って驚きました。
佐々木 素材や、手で考えるという点でいえば、荒木のほうがもともと好きで得意な分野でした。
荒木 もとから仲はよかったのですが、社会に出て一緒に何かをやろうとなったときも、設計手法の面でも共有できるようになったことが、事務所を一緒にやる大きなきっかけになりました。
──現在一緒に設計事務所を営んでいるのも、設計手法の面で共有できる考えがあったからですね。
佐々木 設計に対する考え方が近いというのが、一緒にやりはじめた最大の理由ですね。
珠穂 さらに、得意分野がそれぞれちがうからという点もありました。
──建築をどう考えるかという根本的なところについて、ちょうど3人のバランスがうまくあったということですね。
荒木 当時のことを知る先輩には、僕ら3人の組み合わせでうまくいくのかと、いまでも心配されます。それくらい学生当時の僕らは設計の面では指向がまったくちがっていました。佐々木たちがロンドンで学んできたことはとても大きいと思います。
Vol.5 アラキ+ササキアーキテクツ(2)
セルフビルドという設計手法
デザインスタディとして「セルフビルド」
──3人が共通して尊敬している建築家はいますか?
佐々木 1950年代から60年代を中心にイギリスで活躍したアリソン&ピーター・スミッソンという建築家です。スミッソン夫妻は文字どおり我われの憧れです。UELという僕らが留学した学校の考え方も、スミッソン夫妻の考え方の系譜にあります。それは“修辞なき建築”という考え方です。
そのスミッソン夫妻の「素直で実直な、偽りのない建築」という考え方ですが、たとえばモダニズムのときに建築がなんでも白く塗りたくられていたことに、夫妻は異議を唱え、人間らしい日常性のなかに価値を見い出したり、当たり前にある設備や素材をおもいっきり見せたりということに取り組んでいました。そういった「偽りのない建物」を目指していたひとで、とても影響をうけています。
珠穂 余談ですが、アリソン&ピーター・スミッソンが自分たちの名前を表記するときに、イニシャルのAとPを大文字にして+でつなぎ、Sを小文字にしてサインをしていました。私たちもそれに倣って「A+Sa」としています。
──自分たちの憧れや愛着の対象に素直に似せていくということが両義的な意味で、A+Saの自分たちの活動に対する愛着に繋がっているように思いますね。スミッソン夫妻への憧れは、彼らとおなじように夫婦で活動することにも繋がっているのですか?
荒木 結局、僕は邪魔者ということですね(笑)。アラキ+ササキアーキテクツという名称で現在は活動していますが、スミッソン夫妻のA+Psのように、ゆくゆくはA+Saという呼び方が定着していけばいいな、と思っています。
珠穂 現在は3人が主宰ですが、「パートナー」はもっと増えてもいいと思っているんです。アラキ+ササキというチーム名にしても、自分たちの名前を前面に出すという意味ではなくて、チームでやることの意義を感じてそう名づけています。
──チームのメンバーそれぞれが得意な分野をもっているから、この仕事はこのひとが前面にという役割分担はありますか。
佐々木 最初は仕事も少なかったので、ひとつの仕事を3人共同でやっていたのですが、最近は仕事も増えてきて、それぞれ誰かが責任者となってプロジェクトを進めることが多くなりました。その場合のスタンスとしては、ひとりが責任者となり、そのほかのメンバーが客観的な視点からプロジェクトをみる、ということをしています。とはいえ、3人でひとつのプロジェクトを進めていくような仕事もしたいと思っています。
──個々のプロジェクトでのチーム内におけるバランスがあり、大きなプロジェクトにおいて3人3様のモチベーションを同時に発揮する仕事が同時にあるような状況がベストということですね。
佐々木 そうですね。両方並行してやりたいと思っています。
──デザインスタディとして「セルフビルド」がA+Saの設計思想だと思うのですが、その設計手法について教えてください。
荒木 まず僕らが設計事務所をつくるときに自分たちの設計理念として考えて、いまでも守っていることがいくつかあります。そのひとつが頭だけで考えるのではなく、手で思考するということを大切にするということです。
具体的には、設計図やPCモニター上のパースみたいなものだけでなく、模型やモックアップのようなリアルなスケールに近いものをつくり、実際に手を動かしながら案を発展させていこうというものです。その延長線上にリアルスケールでの「セルフビルド」があります。これを「デザインスタディとしてのセルフビルド」と呼んでいます。
もちろん、すべてのプロジェクトを自分たちで施工しているわけではないのですが、実際に現場でも自分たちでつくることで、その場でしか感じることができないような考えに基づき、その場で案を変えていくこともできるし、素材や構法をふくめて、自分たちで実感することでつぎの設計に活かせることも多いと思っています。
佐々木 机上の空論は絶対に避けたくて、とにかく実際に手を動かして、試作品なり模型なりをなるべく大きくつくり、その延長線上で現場でつくれば、案は絶対に机上の空論にはならないという、設計者としての信念が自分たちにはあります。実際に手で触れて、手を動かす、ということにこだわることがデザインスタディとしてのセルフビルドにいたっています。
──一方、セルフビルドをすることで、設計段階なり現場なりで設計者があまり見せたがらないであろう「手の内」をみせることになると思うのですが、そのことに対する躊躇はありませんか?
佐々木 まったくないですね。
──施工過程は、僕ら一般のユーザーや施主にとってはブラックボックスみたいなところがあり、気になる部分でもあります。そこにはもちろんユーザーの主体性などなくて、気づいたらできている、というのが普通の建築だと思うのですが、設計者の手の内をみせられると、少なからず安心に繋がるのではないかと思います。
修辞なき建築をめざして
佐々木 それは結構大事だと思っています。さらに、住むひとが手や身体をつかって実際に作業に介入していくことは、その後の愛着に繋がっていくと思っています。おっしゃられたようにその過程がブラックボックスになっているのと、自分がかかわったというのでは、完成した建築に対する感覚が全然ちがいます。それを感じることができるのも、我われがやっているセルフビルドの手法の利点だと思っています。
──現在のデザインやアートの主流のひとつにDIYがあります。自分で手を動かし何かをつくることは人間にとって根源的な能力だと思うのですが、その能力が現在はあまり活用されていないように思います。今回の震災においても、法的に先まわりして規制されている部分もあるのですが、被災地で自分たちの手で何かをつくるということが積極的にできないという現状があり、僕としてはその現状を少し危惧しています。
佐々木 建築がユーザーにとって自分で何かをする対象というよりも、誰かにお願いしてつくってもらうという視点しかなくなっている状況は、たしかにあると思います。
──セルフビルドが現代的なハイテクのオルタナティブでもあるという考え方については、いかがですか。
佐々木 僕らもそう思います。無意識ですが、僕らもそういった考えでセルフビルドをやっているところがあります。
荒木 修辞なき建築じゃないですが、自分たちでやっていてわかるのですが、建築においてセルフビルドでできる範囲って、そんなに広くはありません。建築におけるハイテクな部分って、現代において建築をしている以上、かならず手ですることの限界としてあらわれてきます。
佐々木 建築家の石山修武さんが「ブリ・コラージュ(※)」と言っているのですが、震災以後なるほどなあと腑に落ちることがありました。とにかく自分の手で扱えるもの以上のものに手をつけてしまったから、善くも悪くも現在の社会になってしまいました。アポロ13号が月へ行く途中に設備の故障により、月に行くことも、地球に帰ることもできない状況になってしまったときに、宇宙船というハイテクの象徴のようなものに対して、船内にあったビニール袋やボール紙で代替品をつくり、無事地球に帰還したのは有名な話です。
石山さんはそのことをブリ・コラージュと表現しているのですが、自分の手でつくれるものを自分でつくる大切さは、自分が設計者になっても、いつの時代も忘れてはならないものだと思います。設計者である僕にとっても、やってみないとわからないことは、まずやってみる。その実践としてのセルフビルドです。
──それがまさにA+Saの修辞なき建築につながっているように思います。そこに建築という、ひとが実際に触れるものに対する設計者の責任感のようなものを感じます。
佐々木 それも何か目指すものがあってやるというよりも、既存のルールにただ盲目的に従うのでなくて、この場所に何が最適なのかを考えながら、つくるということが大切かなと思っています。
※ブリ・コラージュ=手近にあるもので寄せ集めてつくる、日曜大工などの意味で、創造性と機智が必要とされる普遍的な知のありかた。フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースの言葉を、建築家 石山修武氏は現代的なものづくりに結びつけた。
Vol.5 アラキ+ササキアーキテクツ(3)
セルフビルドという設計手法
手を動かし、手で思考する
──その手法がもしかしたら、いま流行のクラフト的な手法と捉えられてしまうことがあると思うのですが、それとはちがう背景があるということですね。
佐々木 まずクラフトを否定することは僕らにはなくて、施主さんが手を使ったらより愛着が増すということも、セルフビルドの利点のひとつだと思っています。でもセルフビルドはそれだけではないと思って設計活動をしています。つまり結構実験的なことができるというか、机の上で考えるだけではなくて、現場で思考することによってあたらしいことが生まれるんじゃないかとつねに期待しながら、よりよいデザインのために取り組んでいます。
荒木 そうですね、あくまで施主さんの要望があってそれに対する回答として僕らはデザインしているのですが、ただそれだけで終わりたくはありません。
佐々木 『ピースな時間』という、カフェとパン屋さんをつくったときも、施主さんは海が大好きで、海の雰囲気を出すために、自分たちが集めてきた貝殻や珊瑚を飾りたいと希望していました。それもできあがったものだけを見るとクラフトといえますが、このときは「泥コン」という素材をつかうことで壁に自然の地形にある地層のような表情をつくり、貝殻や珊瑚を埋めることで、あたらしい壁面のありかたを試行しています。クラフトといった意味で、一面的に捉えられがちなことを両義的にやっています。実験だけでは施主さんにとって何もいいことがないし、クラフトだけではDIYと変わらなくなってしまいます。つねに両方やらなければいけないと思っています。
荒木 それとリノベーションという比較的小さな規模だからできているんじゃないかと言われることもあるのですが、現在進行中の新築の住宅のプロジェクトでもセルフビルドをかなり取り入れる予定です。規模を超越して、自分たちのセルフビルドも進化していけると思っています。
──自ら手を動かす「セルフビルド」を設計手法として採用していく以上、規模と建築としての精度の問題は出てくると思うのですが、規模の問題というよりは建築に対する考え方としてのセルフビルドであり、デザインスタディですからね。誰でもできそうだけど、誰でもできるわけではない方法なのかなとも思いました。それとこの場合のセルフビルドとは「オープンソース」に近いのかな、とも思ったのですが、いかがですか?
珠穂 それもありますね。それとセルフビルドをやるうえで、A+Saというチームのなかに、施工のスタッフがいることが大きいですね。
──個々の物件に対するアプローチはわかりましたが、それがセルフビルドの方法論の具体例としてどう蓄積しているのか興味があります。その場所の問題解決をしたら終わりというのではなく、それが手法としてどう蓄積されていくのか?
佐々木 これまで完全なセルフビルドで施工した物件が5件ほどですので、ほかの半分セルフビルドみたいな物件もふくめて、現在は個々の具体例を蓄積しながら、それを整理している最中です。
──セルフビルドでやる条件はありますか?
佐々木 予算はセルフビルドだからこそクリアできることがあるのですが、時間の制限が一番のネックになります。
荒木 時間の制限の厳しい物件は取り入れにくいです。セルフビルドの場合、工期は普通より長くなることが多いですし、そのための準備も必要になります。
──日本のアトリエ設計事務所としては、セルフビルドという視点でいえばA+Saは際立っていると思うのですが自負はありますか。
佐々木 自負はないですが、たしかにやっている方は比較的少ないと思います。まだまだ一般的にはメリットがないと思われているのだと思います。我われとしてはそこに光を見いだしたいと思っています。
建築で人間関係までも構築する
──最近のプロジェクトについて教えてください。I邸のリノベーションはどうですか?
佐々木 セルフビルドにもいろいろなレベルがあって、これは2ヵ月という短期のプロジェクトでしたので、どちらかというとセルフビルドの量は少ない物件です。もともとの部屋構成は変えずにリビングとダイニングをどう繋げるかを考えています。施主さんから自宅でパーティーをしたいというご要望があり、僕らとしてはそのためのただ広い部屋をつくるのではなく、リビングやキッチンなど、それぞれの小さな場所で2~3人で喋れる場所もありつつ、それぞれが繋がっている、という場所づくりをしています。
それぞれのエリアの仕切りとして40ミリの薄い家具スケールの壁で、たれ壁、そで壁をつくり、各部屋が独立しながら連続した空間を生み出しています。それにあわせて壁に使用した見切り材と床の見切りも、色紙と木材の積層によるペーパーウッドという合板を使用し、仕切りでもある(目に見える)木口(こぐち)の部分に動きをもたせています。コンクリートの200ミリの躯体の壁と、40ミリの家具のスケールだけで空間を構成すれば、空間同士の繋がりと広がりが生まれるんじゃないかと考えました。
それと、キッチンカウンター、ダイニングテーブル、リビングのテレビ台を、麦藁を固めたハーベストパネルと、建物の構造材料である異形鉄筋でつくっています。とにかく一般的な100ミリの雑壁といわれる普通の壁を取っ払おうという考えのもと手がけたプロジェクトになります。
──日本のかぎられた住居空間を考えたときに、壁そのもののあり方や見える部分としての木口に配慮することは、空間の独立性を担保しつつ、それぞれ異なる機能をもった部屋のプランをつくり出すうえで有効かもしれませんね。ペーパーウッドはその前の「O邸リノベーション」でも使用していましたね。
佐々木 これは子どものいる小さな部屋のリノベーションだったのですが、まだ幼いお嬢さんとお母さんがリビングで一緒に勉強ができて、そこにお父さんが帰ってくるという、日常の風景をつくろうとした部屋です。予算の少ないなかで、全部の部屋のリノベーションするのではなくて、ひとつでもよりよい空間をつくろうということでおこなったプロジェクトでした。
I邸のほうは、全体の構成をコントロールするプロジェクトで、O邸のほうは一部屋だけでもよい風景をつくりたいと思って取り組んだプロジェクトで、それぞれ異なる前提に向き合ったものです。
──2軒ともに共通する問いなのですが、日本の住居のフォーマットとしての「LDK」についてはどのようにお考えですか? LDKといった住まい方に対する不満が我われにはなんとなくあるのですが、逆に用途や生活のシーンにより住み分けができて安心、という側面もあると思います。
佐々木 LDKという考え方自体は暮らすぶんには暮らしやすいと思うので悪いことではないですよね。僕らはI邸もそうですが、LDKそのものを見直すのではなくて、LDKをすこしよくしようとは思っています。
LDKもそうですが、既存の価値観に対して、誰のためにどのように向き合うかを考えながら設計しています。たとえば『ピースな時間』で壁に貝殻だけでなくビー玉を埋めることで絵的にはマイナスでも、子どもがよろこんでいる風景を見ていると、絶対そっちのほうがいいに決まっています。僕らの場合セルフビルドをすることで、机の上で設計している以上のことが発見できるというよろこびがあります。
──A+Saのセルフビルドの強みは、設計や施工のうえで空間相互の関係性以上に、人間同士相互の関係性までつくれるところだと思います。
荒木 セルフビルドや施主さんと一緒に何かをつくっていると、施主さんが現場に訪れる機会も増えますし、つくっている最中から空間に対する施主さんの愛着も増すと思います。
──建築から生まれてくる関係というのはとてもいいですね。それは建物という実体がともなうからこそ、とても強い関係だと思います。
佐々木 その場にいるひとのためのものをつくりたいという理念は最初からあったのですが、ひとが入ってこそ完成、という意識はセルフビルドをはじめてから強くなりました。これまでのものづくりの考え方が別のレベルにシフトした部分はあると思います。
──A+Saの最近の仕事のなかで、ASABA アートカフェのリノベーションというプロジェクトが僕は好きなのですが、このプロジェクトがユニークなのは、どこまでが元のままの姿で、どこからがセルフビルドなのかわからない点だと思います。これは施主さんの人形コレクションを展示するための空間だそうですが、すべてが元からそこにあったかのようになじんでいるのがすてきだなあと思いました。
佐々木 それはとてもうれしいコメントですね。
荒木 ASABAアートスクエアの棚は、もともとの部屋を解体するさいにでた廃材を使用してつくっているのですが、廃材という粗い材料を使うとなったとき、誰も気づかないようなディテールの処理にこだわりました。当然ですがその誰にもわからないような手仕事の積み重ねが、全体のクオリティにあらわれてくると思っています。
それと施主さんと密にコミュニケーションをとっていると、施主さんに納得いかないところが出てくると素直にダメだしをしてくれます。それって設計事務所をやっているとわかるのですが、意外とないことです。
珠穂 いかなることにも対応がしやすく、つくりながらそれが実行できるのもセルフビルドのメリットですね。
荒木 もともとその部屋で使われていた廃材を使ったことや、施主さんのエネルギーを借りるようなかたちで進めた結果、新旧の境界が曖昧になったのだと思います。
Vol.5 アラキ+ササキアーキテクツ(4)
セルフビルドという設計手法
ひとの思いをつないでいく建築へ
──震災によりエネルギーやセキュリティなど、都市がもつ危うさが露呈されたわけですが、佐々木さんが発起人となっておこなった「Hiroshima 2020 Design Charrette」(以下HODC)という、広島という都市を舞台にしたプロジェクトがありました。HODCについて教えていただけますか?
佐々木 僕は広島出身なのですが、HODCは2009年末の広島市による2020年夏季オリンピック招致検討の表明をうけて、単純な郷土愛的なところからスタートしたプロジェクトです。イギリス留学時代からの友人であるFUTURE STUDIOの小川文象くんと一緒に企画しました。
ここでは若手建築家にできることで少しでも広島を盛り上げらないかと思いました。実際、このときは広島で活動する建築家も交え、日本中で活躍する若手建築家15組が広島に集まり、オリンピックを契機にして、広島という一地方都市の10年後の姿について考える大きなイベントになりました。
我われも提案者のひとりとして、広島という都市に対して提案をしました。このときの提案は、オリンピック開催年までの10年をかけて、小さなことを積み上げ、少しずつ実現していくというものでした。いわゆる都市計画として、いきなり大きなあたらしいビジョンを示すというよりは、小さくても実現可能なことを積み重ねていくことが、これからの都市において重要だと考えました。そのとき考えたことは、今回の震災以後に対しても有効なんじゃないかと思っています。
──もはや外科的な大手術は都市にとってリアリティのあることではなく、継続可能な視点にたった提案ということですね。
荒木 これも2020年を一気に提案するのではなく、そこにいたる毎年毎年、少しずつ計画を積み上げていって、目標である2020年にいたるという計画です。そういう面でも時間を積み重ねながら変えていくほうに僕らとしてはリアリティがあります。
──HODCはデザインプロジェクトとしてもそうですが、シャレットという都市への提案方法もふくめて、HODC以降の建築と社会の関係や、都市計画の方向性を示すうえで、小さくても何かしらのインパクトをあたえることができたんじゃないかなと思います。
佐々木 そうですね。HODCで採用したシャレットという方法は、震災以後の都市を考えるうえで誰もが都市づくりに参加できる方法としてとても有効だと思います。それとHODCではプロの建築家だけでなく学生とチームを組みながらそれぞれのチームがひとつの案を完成させていきました。運営スタッフにも日本中からたくさんの学生さんに参加していただき、このイベント自体がみんなでつくり出す都市のような感じがして、一体感を感じられるプロジェクトになりました。
ですが、HODC自体はそのシステムも、一日だけの限定的な開催ということもあって、祝祭的な要素が強くありました。祝祭的な要素というのは、大勢のひとが多様な考えをもちながら、ひとつの目的にむかっていくためには必要な要素だとも思いますが、震災復興は短期間で、しかもお祭り的にやるものだとは思いません。とはいえ、これまでもそうでしたが、学生もふくめて、異なる立場のひと同士が近い目標にむかって、一日と限定的とはいえ、ひとつの目的を実現することは、これからも必要になってくると思います。
──震災以後、取り組んでいることがありましたら教えてください。
佐々木 A+Saとして具体的に動いていることはありませんが、荒木個人で動いていることはあります。でも、どう考えても今回の震災復興はいますぐにどうというよりも、10年、20年以上のスケールをもってして取り組むべきことですよね。いまこの段階では僕らのような個人事務所ではやれることはかぎられていると思うので、一建築家としてよりも、一個人としてやれることを模索しています。震災から半年経ちますが、まだまだこれからやるべきことは出てくると思います。
荒木 僕個人としては「ミニサーカス隊キャラバン」というプロジェクトに参加しています。これは東北の被災地にある保育園や仮設住宅をめぐり、子どもたちと絵を描くなどのアート系のワークショップをおこなっている有志によるプロジェクトです。これまで大槌町、大船渡をまわり、10月には陸前高田、釜石へ行く予定です。僕は建築家であるということもあって、2層ダンボールで小さなサーカステントをつくるなどのお手伝いをしています。
みんなでつくっていく都市
──子どもたちが被災地と呼ばれる場所に、いまも普通に暮らしていることをイメージし伝えていくことは、とても大切なことだと思います。僕らはついつい、被災者、被災地と、ひとまとめにいってしまいがちですが、そこにはお年寄りも若いひともいれば、子どもたちもいます。そこに誰がどのような状態で暮らしているのかは、テレビなどの情報が偏っていることもあり、なかなかイメージしづらいのが現実です。そこにどう感情移入していくのかということは大切だと思っていて、僕らにできることはかぎられているけれど、被災地の問題にしても、政治の問題にしても、いままでどおり他人ごとだと思っているあいだは、何も変わっていかないと思うんです。実際に行動している荒木さんにとって、そこに向っていくモチベーションは何だったのですか?
荒木 単純に何かをしたいというのもありましたが、結果的には子どもたちのためのダンボールテントづくりなど、これまでの自分たちの経験を活かしながら、なおかつ子どもに対してメンタル面でのケアに少しでも役に立てればいいなと思っています。実際、ここでの経験をとおして、子どもたちの心の変化や素直な表現を感じられたのはとても大きいです。
でもたんに被災地支援といっても、今回実際に現地に行ってわかったのは、被災地の規模はとてつもなく広大だということです。いろんな場所にバラバラと行くというよりかは、おなじ場所に継続して通いながら、そこで暮らすひとと関係をつくっていきたいなとすごく思いました。こういう活動をつうじて、だんだんとコミュニティがひろがっていって、町づくりみたいな話につながっていっても自然だろうし、そのような自然な関係がつくっていけたらいいなと思っています。
──こういった取り組みが、子どもたちの未来のイメージが広がっていくきっかけになるといいですね。現在、子どもたちの心の状態はどのようなものだと想像しますか?
荒木 子どもたちはひたすら元気ですね(笑)。もちろんそんなはずはないのですが、震災でうけた心の傷なんてないのかなと思うくらいでしたが、帰り際になると僕らに対して、明日どこにいくの、とか、もう東京に帰っちゃうんでしょう? とよって来ては過ぎ去っていく。一過性のものとしか捉えられていないような気もしていて、心理的な寂しさとか不安みいたなものを抱えていると思います。その部分について、僕らは継続的に子どもたちとかかわっていくことによってお手伝いしていきたいと思っています。
──その思いをつないでいかなければいけないですね。
荒木 それを継続していくためのシステムづくりも大切ですね。
つぎのセルフビルド的手法へ
──最後に現在進行中のプロジェクトを教えてください。
荒木 2軒の住宅のプロジェクトが進行中です。ひとつは横浜の傾斜地に建つ二世帯住宅。もうひとつは独身男性のための小さな家のプロジェクトです。
二世帯住宅のほうは、絵を描いたり、ものをつくったりすることが大好きな家族の家です。普通の住宅のスケールに二世帯が暮らすということで、大きなワンルームのなかに、一緒に生活する場所と、それぞれの家族が暮らす場所をつくる空間操作を丁寧に考えています。
独身男性の住宅のほうは、僕らとしてはかなり挑戦的なことを試みます。内装にくわえ、構造体である内壁の構造用合板の施工をセルフビルドでやる計画です。トップライトを中心にした空間構成なのですが、最初の計画だと、どうしてもトップライトの部分を支える四本の柱が邪魔であったり、中心部分に象徴的な場所ができてしまい、違和感がありました。そこで構造家と相談して、煙突を支えていた柱を抜くことにしました。ですが、すでに見積もりをとったあとでしたので、当然ながらコストが上がってしまうということでした。
これまで安全性の面から、構造の部分には手をださないということを前提にセルフビルドをしてきました。AK邸では、壁の仕上げなどをセルフビルドでするところまでは計画していたのですが、今回はじめて、工務店の方にサポートしていただき、安全面で充分に配慮しながら構造の部分までセルフビルドを手がけます。
──いままでA+Saがセルフビルドに取り組んできたからこそ実現できることだと思います。それは楽しみですね。
荒木 いままで積み重ねてきたことが、大きなスケールでもできるということを、今回のプロジェクトで実証できたらと思っています。
佐々木 それ以外にも、6階建てのペンシルビル一棟のリノベーション、マンションの一室のリノベーションなど、現在大小合わせて10のプロジェクトが進行中です。
──ますますのご活躍を楽しみにしています。今日は長い時間どうもありがとうございました。