特集|OPENERS的ニッポンの若手建築家 PARTII Vol.1 長坂 常インタビュー
Vol.1 長坂 常インタビュー(1)
AとCのあいだにある宙ぶらりんなもの
あたらしい価値と古いものがもつ価値。長坂氏のつくるものにはそのどちらにも属さない、素の状態がもつ美しさや生真面目さが同居する。マンションや住宅のリノベーション、傷痕の残るテーブルの表面にエポキシ樹脂を流しこみあたらしく生まれ変わったテーブルも、ものづくりとデザインすることの原点回帰といもいえる清々しさがある。普段とは異なる視点から対象を見ることは、それに先行する形態を発見し、そこに未来への道筋をひくことでもある。3・11以後の世界をふまえ、それ以前と以後でゆらぐ現代の価値を、ユニークな視点から建築と都市をとらえる長坂 常氏にうかがった。
インタビュアー、まとめ=加藤孝司
おおらかに都市を整理するための方法論
──長坂さんの最近の興味である“誤用”について教えてください。
昨年開催した「LLOVE」(2011年秋に代官山でおこなわれた日本人とオランダ人デザイナーの混成による、泊まれるホテルのエキシビション。長坂氏が日本側のディレクターを務めた)で、個人的に興味をもって取り組んでいたテーマが“誤用”でした。Sayama Flat以降、そして、震災以降さらに東京という都市を考えることが多くなりました。そのふたつがまた僕のなかで急接近しはじめ、すこしずつ言葉になり、かたちになろうとしています。
ちょっと話がそれますが、東京を考えるときに、僕が高校生のころの東京を思い出します。今年で40歳になるので、かれこれ20年以上前の話なのですが、あのころの東京って随分おおらかだったなあと。子どもだけで遠いところまで遊びに行けたし、歩きたばこは無論、電車や飛行機のなかでもたばこが吸えていた。自業自得ということで、個人の責任で行動がとれていた気がします。
町には、いまより、誰の領域ともつかない場所があって、とくにバブル崩壊後なんてそこらじゅうに空き地がありました。それで、僕はそんな場所を無料駐車場として使っていました(笑)。また、近道するのに他人の庭をとおっても、暗黙のルールで許されていたり、その点、町全体の輪郭がゆるくおおらかだった気がします。下北沢や新宿ゴールデン街など、コミュニティの巣窟も健全かどうかはべつとして、ワクワクさせてくれるエネルギーがあった。
──そこに変化があったとして、長坂さんにはどんな意識をもたらしましたか?
ちょうどそのころだと思いますが、ベルリンの壁の崩壊とともに東西冷戦の時代が終わり、誰もがこれから幸せな社会が開かれていくと思っていた。少なくとも僕はのんきに遊びほうけていました。そんな矢先に「宮崎勤事件」や「池田小学校事件」など、陰湿な犯罪が相次ぎ、それがきっかけとなりセキュリティがひとつの商品となり、セコムなどが台頭してきたのです。
その間、インターネットや携帯電話の普及など、個人の自由を獲得しながらも、地下鉄サリン事件、9・11など重い事件がつづいて、社会全体に閉塞感が加速してきた気がします。
そんな状況に対していつも不快な思いを感じていました。僕がものづくりに携わるようになるきっかけとして“予定調和の打破”があります。つまり、感動させることをあらかじめ想定された場所や状況でなく、日常のなかでつくりたいと思っていました。いまもそれは変わらず、さらに閉塞感が増すなか、社会を縛っているものの枠組みを取払う方法はないか、そんなことをここ最近考えてものづくりをしています。
──それはどんなことですか?
建築のようなハードなものを扱いながら、おかしな話に聞こえるかもしれませんが、建築家こそ、そういうビジョンをもって、社会へ向けたものづくりをしていくべきだと僕はつねづね思っています。そして、今回の東日本大震災をとおし、さらにその意識は強まっています。
そこで、“誤用”の話ですが、しばらく前に「あたらしい未来」っていうことさえ気恥ずかしくなってきたこの時代に、我われの現代において何があたらしいのかと考えたことがありました。その答えが、たとえば「八百屋」をやったり、「花屋」をやったり、そのもの自体はあたらしくなくとも、それを体験する個人にとってはあたらしい体験となるようなことを実際に自分でしてみることでした。
すると、僕自身もそれまで見えていなかった世界が見えてくるのと、そのジャンルにおいても、ほかの価値観が入り、固定化した古い体質から変わるきっかけになるかもしれない。僕にとって“誤用”というのは、まさにそんなことですね。
Vol.1 長坂 常インタビュー(2)
それぞれの誤読 「LLOVE」の場合
──「LLOVE」は泊まれるエキシビションとして大きな話題になりました。どのような経緯で生まれたプロジェクトなのでしょうか?
あれは少し複雑に“誤り”が重なっていて、オランダのアムステルダムにある『Lloyd Hotel』から話ははじまります。すでに完成してから5年以上が経ち、オランダでも1、2を争う人気ホテルですが、そのすてきなホテルのコンセプトがじつは、『Lloyd Hotel』のディレクターでもあるスザンヌ・オクセナーが25年前に来日したときにラブホテルを見て感じた、必要最小限のフロント、日によって好きにデザインを選べる部屋、愛に満ち溢れたホテルという、いうなれば“誤読”から生まれたのです。たしかに『Lloyd Hotel』はそうなっているのですが、言われなければまったくそんなことは想像もつかないかたちで実現しています。でも、それってスザンヌの誤読がないと生まれなかったかもしれない事実がすてきですよね。
そのスザンヌの声がけではじまったのがこの「LLOVE」プロジェクトです。アイデアをもらった日本で1ヵ月と期間限定ですが、『LLOVE HOTEL』をホントにつくるというややこしいプロジェクトがはじまりました。日本のラブホテルをそもそも誤読しているオランダ人に指揮され、それをよく知っている日本人の建築家と、鮮烈なイメージだけが頭にこびりついてこれまた誤読の多いオランダ人デザイナーが日本に作る『LLOVE HOTEL』。予算はありませんでしたが、結果的に皆がアイデアを出しあい非常におもしろいプロジェクトになりました。
──僕も拝見しましたが、オランダ人がラブホテルを誤読するところからはじまり、その誤読に長坂さん自身がのっかりながら、実際に実現してしまうパワーはものすごいものがありましたね。
それだけ誤用というのは、ものづくりにおいてパンチのある表現手法じゃないかと思うのです。まちがえる側、まちがえられる側、いずれにとってもべつに奇異なことではないのに、その双方のあいだに生まれるコントラストで、現象としてはインパクトがあるものが生まれる。ニューヨークに最近できた『High Line』や、ウィーンの『ガソメーター』、ロンドンの『テートモダン』などはまさしく大いなる誤用の産物ですね。過去のしつらえを肯定し、コントラスト強くあらたな機能を入れていくことで、町に強いインパクトをあたえ、必然的に周辺までも変えてゆく。いま、都市の新陳代謝を考えたときに、誤用はひとつの魅力的な方法論と考えています。
──具体的に“誤用”というのは、長坂さんのデザインにおいてどのように作品にあらわれてくるのでしょうか。
まだ、これは何となく見えてきた道筋のようなモノで、具体的に表現として盛り込まれた作品があるわけでもないですが、前述したようなレベルでなければ少しずつその機会をいただいていますし、すでに手がけたモノのなかでもそれに近い説明のできる作品はあります。
たとえば、僕の事務所が入居する『HAPPA』はまさに誤用でできています。ここに来て、この場所がもともとオフィスだったと思うひとはいません。決まって「ここは何だったんですか」と聞いてきます。あとは、『奥沢の家』も「イギリス建築」を誤用して生まれた表現に、さらに誤用して独自の表現を獲得しています。
いま手がけている『Aesop銀座店』でも、おなじようなことを試みています。今度のお店がもともと40年くらいつづいてきた靴屋さんで、そこを改修してお店をつくるのですが、どうなるかわかりませんが、その点は非常に意識しています。
ただ、まだ“誤り”を肯定的に捉え、それを表現していくことを当事者になってよろこべるひとは少ないかもしれませんね。いまだにやっていることに対して、うしろ指をさされる感じがあります。なので、まずはみずから犠牲に私生活のなかで試みている段階です。そのひとつとして最近はまっているのが、首だけ長袖のシャツやTシャツをとおして首に巻くことです(笑)。これはこの夏が暑すぎて、シャツが着られず、でも、毎日Tシャツじゃいかんなと思っている気持ちが頭だけ襟に突っ込んでほかはとおさないということになったのです。すると一見、スカーフかタオルを巻いているみたいになるのですが、スカーフとしてみるとなかなか個性ある形になってよいですし、実際に汗をかいたらタオルにもなる。また、寒い冷房の効いた部屋に行くと袖をとおせば防寒になるのです。
──長坂さんのライフスタイル全般にも浸透している感覚なのですね。それがおもしろいです。
あとこの前、知人が散歩がてら訪れたときにたまたま打ち合わせ場所がなく、事務所のなかは蒸し暑いし、夜だったので、外に机を出して打ち合わせをしてみました。するといつもの見慣れた町の風景とはちがった、この町の風景を感じることができました。というより、夏の夜は外がいいと当たり前のことを実感し、こんなスペースがカフェではなく、みずから所有するスペースにあると、僕自身来客があることが楽しみになる。ということで、まだまだ仮説の段階ですが、この試みに共感してくださる方がいらしたら、ぜひ何かプロジェクトをご一緒させていただけたらと思っています。
Vol.1 長坂 常インタビュー(3)
あたらしい価値について考える
──それではこれまでの長坂さんのリノベーションの仕事について教えてください。
基本、新築にしてもリノベーションにしても、家具にしても、イベントにしても考え方に差はありません。何かあたらしいことを僕自身が気づき、そして、それを表現することでみなに追体験をしてもらい、さらにその経験をもとにおのおの想像力を広げ、また僕に気づきをあたえてほしいと思っています。
あえて、リノベーションの話をすると、まず、新築とのちがいを話すとわかりやすいかもしれません。新築というのは土地からすべてあらたに構築するので、どうしても作り手の意志がストレートにあらわれやすい私小説のようなものになりがちです。それに対して、リノベーションは少なくとも既存の人格がすでに存在することから、複数の語り部によってつくられる会話のようなものです。空間でいうと、一戸でもすでに町の要素がふくまれている。いいかえると、リノベーションにおいては答えというより、プロセスという感覚が強く、見ているモノに将来を想像させる余地があります。なので、完成後も、つぎに何をしようかな? と感じさせる余裕があります。そういった特徴がリノベーションにはあるなか、僕はただたんに流れていく風景に留まらない、定点になるような空間づくりをリノベーションで試みています。
──一軒家まるごとリノベーションした『奥沢の家』ではどのようなことを考えていたのでしょうか。
あれは強烈なキャラクターでしたね。戦後、何もかも空っぽにされ、突如目の前に見えてきた刺激的な西洋文明に触発されて、それをきちんと学ぶ間もなく見よう見まねでつくってしまった、ステータスとして住んでこられた建物としての人格がありました。そして、これは決して他人事ではなく、切実に身に覚えのある感覚として向きあったプロジェクトでした。ここで考えたことをとおして、先のコントラストある町、いわばひっちゃかめっちゃかな街並みと肯定的にかかわってもデザインしていける、と実感させてくれたプロジェクトです。
──『Sayama Flat』の場合はどうですか?
むしろ、『Sayama Flat』がそういったこの一連の気づきのきっかけをあたえてくれたプロジェクトです。どこにでもありそうな昭和を象徴するマンションを、引き算だけで一切足すことなくデザインしたプロジェクトでした。さらに入居後、自由に手を入れられるということで、完成後間もなく、他者によって簡単に上書きされながらもすべてを肯定できた不思議な体験が、ここではいろいろ考えさせてくれました。
──長坂さんも以前におっしゃっていましたが、『Sayama Flat』にしても、『奥沢の家』にしても、決め決めの固定されたルールがそもそもの空間にないから、あとから何が入って来ても、受け入れる懐の深さがあります。それは、ともすれば自己完結的な現代建築のあり方としては特異な存在なのかなと思いました。
考え方としては、Aという地点からCという地点に行くあいだに、Bという地点があるのは誰にでもわかるけど、BとHというと、途端にその幅がひろがり、どこがはじまりかもわからなくなることと似ています。『Sayama Flat』の場合は、見慣れた形式のなかにあって、個別には認識できていなかった部分が、ところどころ間引かれることではじめて個別に認識された。
たとえば、障子とキッチン。そのあいだには畳があって、絨毯があった。それが、ごそっとなくなって、宙ぶらりんに存在するわけです。そこでは、ストーリーがすでにあって、それに建築家が加担するわけではなく、そこに置かれるそもそものデザインコードが決定されていないから、何が入ってきても、そこからストーリーがはじまってくる。使う側にとってもいろいろな選択肢があって、あらたな価値観が入りこめる余地があるかどうか。それが豊かさなんじゃないかなと思っています。
Vol.1 長坂 常インタビュー(4)
よき未来を共同で描く
──「3・11」以後で考えていることがありましたら教えてください。
少なくとも今回の震災で、僕のデザインが東北において支持をうけて、あたらしい都市をつくっていけるなんて思っていません。これを機会にリセットして、あたらしい街をつくっていこうということもよいことだとも思いません。
もちろん手助けになることであれば、なんでもしたいし、ましてやいまある状況をいち早く脱して、本来あるべき対等な立ち位置で東北を見たい、という思いがあります。そういう意味では、この状況に対して、建築家が何かできないかと考えたときに、いまそこに建築家が入っていけなくさせる問題があるとするならば、それを改善し、優秀な建築家がきっちりよい仕事をする場を生み出せればと思って、定期的に仲間と集まって会合をもっています。
ただ、個人的には東北より東京に問題を感じています。原発にまつわる問題も、もとはといえば巨大化した東京の事情から生み出されたものです。また、今回の震災でも気づかされましたが、きたるべき関東地方の大震災に対して、東京こそが考えなければならない問題がたくさんある気がします。
ただ、それは構造などテクニカルな面よりも、コミュニティというソフトに近い問題です。すべてわかりやすく計量化できる価値観で、すでにある町も、染め上げ、貴重なコミュニティを崩壊させてきたこれまでの都市のあり方を反省し、それにかわる対応策を考えています。もちろん、誰に依頼されているわけでもないので、妄想に近いのですが、その思考はとまりません。
──では、現状の都市に問題があるとしたら、その原因は何だと思いますか? また解決する手だてはどのようなものがあると思いますか。
具体的には、いつでもあらたなコミュニティを形成できると過信した、経済優先の考え方によって、いざというときに支え合えない脆弱なコミュニティにまで、この社会全体を退化させてしまっている点です。
現在、東京の賑わっている街は、不思議と駅や道路によって分断され、空間的にも圧迫されています。たとえば下北沢の町ですが、ふたつの線路によって分断され、交通網を整備することで一見不便な街の様相を消し去り、どこにでもある街並みに変わろうとしています。下北沢にあるコミュニティを愛し、長年営業してきたお店はすでに別の土地に逃げはじめています。すなわち、過信した街づくりによって、そこにある繋がりを慕って集まってきていたコミュニティまでも崩壊させてしまっています。
それは残念なことだとこれまでも思ってきましたが、今までは「かといって方法がみつからない」と受け流してきましたが、3・11以降はそうできなくなっています。そして、僕は建築家ですからデザインをとおして、いまある貴重な街並みとコミュニティを守る方法を模索しています。いままで「この何ともいえない街並みと活気がいいんだよな」と、建築家でありながら月なみな解釈しかできないできた対象をあらためてデザイン言語化し、継続のレールを敷くことを試みたいと思っています。
──都市の姿は、建物や、そこでのルールによって規定されていると思いますが、そこに暮らす人びとの振る舞いに規定されている部分も大きいと思います。長坂さんがおっしゃるように、もっとおおらかなかたちで都市へ向き合えないものかと、お話をおうかがいして思いました。今日はどうもありがとうございました。
長坂 常|NAGASAKA Joe
1972年 大阪生まれ。1998年 東京芸術大学美術学部建築学科卒業。1999年 スキーマ建築計画設立。2007年 HAPPA開設。
主な作品に、「haramo cuprum」(2004年)、「haramoS1」(2006年)、「Sayama Flat」(2008年)、「奥沢の家」(2009年)、「PACO」(2009年)、「Flat Table」(2008年)。主な受賞歴は、JCDaward「kitchen café cube」(2004年)、Bauhaus Award 2008 2nd Prize「Sayama Flat」(2008年)。
http://www.sschemata.com