連載・柳本浩市|第31回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る
ニーズや市場はあらたな概念で掘り起こせば存在する
第31回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る(後編-1)
前編につづいて老舗メーカーのリ・ブランディングなどを手がけている田子 學さんに登場いただきます。自らが明確に「私の追い求めているものはデザイン・マネジメントであり、そこにはジャンルによる垣根は存在しないと考えています」と言う田子 學さん。今回は、amadanaでの大ヒットから、独立起業して手がけた事案まで、具体的なアプローチもふくめて興味深いお話をうかがうことができました。最後に、海外ブランドに拮抗できる方法のヒントもあります。
Text by YANAGIMOTO Koichi
それまでの電気製品へのアプローチとはちがうシナリオ
柳本 それからリアル・フリートは「amadana」ブランドを誕生させるんですね。
田子 amadanaブランドの方向性は「日本ならではの生活様式と美意識とテクノロジーが織りなすユニークな家電」。それは創設時に打ち出された方向性です。熊本氏(熊本浩志氏(現・株式会社リアルフリート代表取締役))は当時リモコンに注目していました。テレビがブラウン管から薄型化し、壁の一部のようになりはじめた時期で、生活空間でプロダクトの存在感は希薄になっていったわけですが、それをコントロールするリモコンは唯一実際に手に取って体感できる存在であり、テレビを所有している喜びとか楽しみを感じ取ることができるのではないかと考えたのです。今まではテレビのたんなる付属品と考えられていたものに、あらたな価値を見いだし、テレビのある生活や視聴する時間の価値に気づくようなプロダクトがあってもいいかと。それが「CR-102 マルチリモコン」です。
私は日本の製造力をもっとたしかめたいと思い、歴史が長く、世界中のリモコンを作っていたメーカーを訪ねました。「CR-102 マルチリモコン」は、日本ではじめて亜鉛ダイキャストを採用したリモコンです。原価計算によると約6000円(当時)。「一般的にリモコンの原価は30円、70円」というなかで、この金額には誰もが驚きました。製造メーカーの担当者からは「本気ですか?」と言われました(笑)。しかしamadanaのブランドデビューと同時に発表されたこの商品は、それまでの電気製品へのアプローチとはちがうシナリオがあることに共感いただけたようで、好調なすべりだしとなりました。
柳本 amadanaというと携帯電話をイメージされる方も多いと思いますが。
田子 当時リアル・フリートは開発ラッシュ。私は実設計とデザインマネジメントに携わっていました。そんな折、amadanaのファンであるドコモの役員の方からオファーをいただきました。「ローンチは見えないけど、何か一緒にやりましょう」と。当時は「90」シリーズが全盛期でしたね。世界で使える携帯電話がほしい、ドコモも世界にアピールしたいということで、あらたにブランドを立ち上げようと、世界的に活躍しているクリエイティブディレクターに打診したり、ベンダー探しをしたり。参画当初はカメラフラッシュのLEDに本物のダイアモンドを埋め込んだ商品など、今までにないラグジュアリーなケータイ像の提案を繰り返していました。
めまぐるしく製品開発がおこなわれ、ラインナップが整理されるなか、最終的にamadanaは「70」シリーズを監修することになります。そして、プロジェクトの始動から3年を要し、完成したのが「docomoN705i」。携帯電話の開発期間としては異例なことです。着信音や操作音をテイ・トウワさんにお願いしたり、開閉時にヒンジの音がしないようにこだわったり、まとまりがあるなかにもどこかamadanaらしいクセを感じる商品を目指しました。ブラウンの筐体の木のテクスチャは……じつは本物の木を採用できないかトライアルをつづけました。量産品ではない雰囲気を大事にしたかったので、一つひとつに表情をもたせたかったんです。しかしメーカーの社内規定を理由にフェイクの使用しか認められず。でも簡単にはあきらめませんでしたね(笑)。わざわざフェイクの木の長尺を作り、そこからひとつひとつ抜いて、おなじ柄が存在しないような工夫をしました。こうして「docomoN705i」は発売すると同時に大反響をよび、2008年の出荷台数ナンバーワンになりました。4年を経過した今でもなお、街で所有しているひとを見かけることがあります。そんなときは「永年愛でる商品を作ろう」というamadanaのポリシーが根づいたことを実感します。
柳本 開発者冥利に尽きますね。
田子 そんな話題性から、リアル・フリートにさまざまなお話をいただく機会が増えてきましが、すべてにお応えすることができず、お断りするケースも増えはじめたんですね。そのような環境に身をおくと、自分たちの利益のためだけではなく、競合を助け、競争力を高め、切磋琢磨することで市場を活性化させたいと思うようになり、私はリアル・フリートの仕事もしながら、他社との取り組みにも積極的に参加するようになりました。
柳本 成功がきっかけになって活動の幅を広げていったわけですね。
第31回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る(後編-2)
マルチリモコン、ランドリー商材……、切り札としてデザイン
田子 その一例に「Nasnos」という調光器メーカーと一緒にリモコンを作ったことがあります。すでにNasnosというブランドや商品はリリースされている状況で、クリエイティブディレクター兼プロダクトデザイナーとして参画しました。オファーの内容はたんに機器のデザインだけではなく、会社のビジョンを私なりに咀嚼(そしゃく)した上で、やるべき「デザイン」が何かを整理し、商品にもその理念を反映してほしいというものでした。そこで作ったのが「REMO 901」。照明、カーテン、ブラインドにくわえ、テレビ、エアコン、オーディオ、ビデオも操作可能な学習マルチリモコンなんです。「への字型」のフォルムとすることで、技術的条件をクリアしながら、操作性を考慮しました。2009年の「インテリアライフスタイル展」で発表し、デザイン・マネジメント賞を獲得。私が学生のころから思い描いていたことが評価されたようで、大変うれしかった思い出があります。こうして活動の幅を広げるなかで自然と独立起業となったのでした。
つづいて参加したのが「キョーワナスタ」のランドリープロジェクト。ランドリー商材を展開したいとのことでした。アイテムを見せていただくと、なんというか日常すぎてしまい……。けれど「洗濯ばさみ」と「竿」を見た瞬間、待てよ……と思いました。世の中にモノはたくさんあれど、竿をデザインしているひとはそういないんじゃないかと思い、それからは俄然興味をもちましたね。まずは、洗濯する光景を思い浮かべ、言葉の上で日常的におこなっているコトの価値は何かを考えました。洗濯は晴れの日におこなうものだとする。日本語で「ハレ」には天候以外に「非日常」の意味もある。それなら洗濯というルーチンを非日常化したいなと。そういう文脈で「ハレのある生活」というブランドコンセプトを提示し、ブランドの存在価値から討議しはじめました。それが「nasta」です。
nastaとは、キョーワナスタの「ナスタ」から来ていますが、スウェーデン語で「明日」という意味もふくんでいます。洗濯によって気分をリセットし、明日に繋げる、希望を感じさせるもの、という思いを込めているんです。このキョーワナスタは、80年つづく住宅金物メーカーです。年々住宅着工率が減っていくなか、下請けメーカーも徐々に体力をなくしつつあるという問題が明るみに出てきていて、キョーワナスタもまたこのことに頭を悩ませていました。けれど彼らにはそのなかでずっと戦ってきた老舗としての誇りと、確固たるビジョンがありました。
このミッションは「B to Cをやるけれど、B to C to Bを目指す」。2011年に発表したとき、北欧からやってきたようなビジュアルから「これどこの?」と口々に言われ、インテリア・建築系のひとからは、馴染みのあるキョーワナスタのイメージとまったくちがうとずいぶんと驚かれましたね。こうして一年間でブランドの立ち上げから発表までをやってのけてしまいました。「北欧のものかと思ったらじつは日本のメーカーで、住宅にも合う」という親和性や、「この感覚をスタンダードにした商材も提案してほしい」など、デベロッパーや住宅メーカーからの反響もとても良かったですね。また室内物干しの需要にかんしては、ブランドの立ち上げから話はあったのですが、天井への工事が伴うので、B to Cには難しいことが想定されました。ただ、室内干しを紐解いていくと、高層マンションで美観上の理由から室内干しを余儀なくされていたり、女性の一人暮らし、花粉症対策、さらには空気汚染対策とさまざまなニーズが見えてきました。以前からこういうことは話題となっていたのに、そこに対して、切り札として「デザイン」が一切使われてこなかった。こういうときこそ、デザイン・マネジメントだと思うんです。こうして「AirHoop」という物干し用の竿受けが誕生し、発表するや住宅メーカーから多くの引き合いをいただく結果になりました。ニーズや市場はあらたな概念で掘り起こせば存在するということや、まだ誰も手をつけていない領域に踏み込む重要性を改めて感じましたね。
第31回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る(後編-3)
誰かのために何かを作るというマーケティングの基本
柳本 このころからインダストリアルな感じから生活に目を向けるようになったんですね?
田子 具体的な製品デザインでいうとそうですね。ただ冒頭にお話したように、私の追い求めているものはデザイン・マネジメントであり、そこにはジャンルによる垣根は存在しないと考えています。どのような領域であれ、人びとの生活が背景に存在していることに変わりはありませんからね。
そして鳴海製陶株式会社(陶磁器メーカー)からのオファーはまさにデザイン・マネジメントそのものでした。これまで百貨店中心の商品展開をしてきた彼らが、団塊ジュニア世代の市場を開拓したい、そしてその延長線上にNARUMIブランド認知を向上したいとのことでした。当時すでに社内ではプロジェクトが進行していて、旗艦店の出店準備におわれていました。多くのブランドが横ならびにされる百貨店内の売り場づくりと、NARUMIブランドの顔である旗艦店では当然アプローチは異なります。となるとやはりマネジメントが必要です。そこで私はフォローアップという形でお手伝いさせていただくことにしました。
その後はクリエイティブディレクターとして会社のクリエイティブ全般の把握につとめ、何が足りなくて何が必要なのかを整理することに時間を費やしました。その過程でわかったことはNARUMIには高いポテンシャルがあるのに、上手に消費者にコミュニケイトできていなかったということ。拡充したい消費者層のニーズを丁寧に咀嚼することで、そこにスペックインする可能性は十分にあると。誰かのために何かを作るというマーケティングの基本を改めて考える機会だったと思います。そのなかで生まれたのが「OSORO(オソロ)」です。3年もの時間を費やし、NARUMIの努力と職人の技術力によって、陶磁器としては異例の精度となる仕上がりになっています。マーケットは確実にある。実生活に潜む課題を感じ取る洞察力、仮説をロジカルに組み立てる考察力、それを信じてとことん突き詰めた実行力によって帰結したと。私はそう考えています。
明日のメシの種ではなく、徳を目指す
田子 そこを事業レベルに落とし込んだ経営判断があったからこそ、「OSORO」は良いリリースができたと思っています。「この会社はどうあるべきか」「この会社とかかわるとひとはどのように幸せになれるのか」そういったデザイン・マネジメントの視点こそ、ブランドの礎となるわけで。そこを掌握しない限り、形や色のアウトプットはできないと考えています。
柳本 90年代半ばから急速にライフスタイル目線になり、モノがあれば豊かになれたのが、今ではもうモノでは解決できない。最近はますますモノが売れないですね。その過渡期でおまけを付けたりしてきましたが、それも効かなくなりました。どんな生活かを描かせて、つまり世界観が合うか合わないかということを購買につなげるということはあるでしょうね。
田子 たしかにそれはありますね。企業がプロデュースするチャンスは必ずあります。価値やメッセージを自ら正確に伝えられるかどうか。受け手が憧れを抱くと信頼につながります。それこそブランドです。近ごろよく考えるのは「徳のある企業とは」ということ。徳とは、何かを生み出すことで社会に作用し(ときにイノベーションを起こし)、関係するすべての人びとに恩恵をもたらすことではないかと、私は思います。生み出す「何か」とは、モノだけでなく、経験とか精神の豊かさに作用する事象全般をさしています。短期的な利益追求ではなく、長期的な最善策を考えるべきなのだということです。その大きなうねりを意識することがクリエイティブであり、デザインの根本だと思います。明日のメシの種ではなく、徳を目指す。それこそが海外ブランドに拮抗できる方法なのではないでしょうか。
柳本浩市×田子 學対談「デザイン・マネジメントとは何か」(前編) →
田子 學|TAGO Manabu
MTDO代表取締役 アートディレクター/デザイナー。東京造形大学II類デザインマネジメント卒業。東芝デザインセンターにて多くの家電、情報機器デザイン開発にたずさわる。同社退社後、リアル・フリートのデザイン・マネジメント責任者として従事。その後あらたな領域の開拓を試みるべく、2008年にエムテドを立ち上げ、現在にいたる。
現在は幅広い産業分野において、コンセプトメイキングからプロダクトアウトまでをトータルで担い、デザイン、ディレクション、マネジメントまでをカバー。
GOOD DESIGN AWARD、red dot design award、JDCAデザインマネジメント賞、ILS AWARDデザインビジネス賞、他受賞作品多数。2010年~日本デザイン振興会(JDP)「グッドデザイン賞」審査委員
http://mtdo-ch.com