連載・柳本浩市|第30回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る
Design
2015年1月9日

連載・柳本浩市|第30回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る

第30回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る(前編-1)

今回は、老舗メーカーのリ・ブランディングなどを手がけている田子 學さんの登場です。“デザイン・マネジメント”という観点から、プロダクトから広報や経営戦略を、地域性や時代背景と結びつけながらアプローチしています。モノづくりにかんして個人的に今注目すべき職種だと感じているので、具体的な事例をもとに聞いてみたいと思います。

(後編は10月25日(木)公開)

Text by YANAGIMOTO Koichi

社内では好きなことをやっていました(田子)

柳本 まずは田子さんの経歴からお聞かせいただけますか?

田子 大学でデザイン・マネジメント(デザインはもちろんのこと、組織、経営、戦略等もふくめ、複合的に関係性を構築すること)を専攻した後、1994年に「東芝デザインセンター」に就職し、プロダクトデザインをしていました。そのような現場で「何が足りないか、どうすればもっと良くなるか」ということを考えるようになり、デザイン・マネジメントの視点でデザイナー自身も取り組む必要があると思うようになりました。
デザイン・マネジメントの理念は、企業なり団体なりが、「なぜモノをつくるのか? ブランドとは何か?」それをみんなが理解した上で行動を起こし、社会に貢献するというものです。インハウスとして何ができるだろうともがきながら、いろんなチャンスも巡ってきて……というのが現在の活動にいたるバックグラウンドですね。

柳本 当時、デザイン・マネジメントの部署はなかったんですね。

田子 (現在はどうかわかりませんが)なかったんです。私が退社する2、3年前に「ブランド」という部署がようやくできましたが。

柳本 それでしばらくはプロダクトデザイナーとして勤務していたと。

柳本浩市|田子学 02

柳本浩市|田子学 03

田子 はい。とはいえ社内では好きなことをやっていました(笑)。東京デザインセンター主催の展覧会に、東芝でかかわったアドバンスドデザインを個人的に出品したことがあります。もちろん会社の許可を得てですが。アドバンスドデザインが社外に持ち出されること自体稀なことですが、ただ出展しても面白くないなと思って、デザインに対する自分の考え方を一冊の本にまとめました。ある時期に自分の考えと行動を振り返ることは、その後の活動において大変有意義なことでした。

家電業界の様子がおかしくなったと感じはじめたのは1997年ごろから。全国には、いわゆる街の電器屋さんが点在しているのですが、このころから徐々に量販店での販売がメインになってきた。それまでは地域や生活者に密着してモノを売っていたのに、だんだんとその距離が遠くなっていったんです。その結果「価格競争」による販売戦略へと突入していくんですね。となると「ブランドとはなんなのか」「メーカーのアイデンティティとは何か」という以上に、世界を握るための戦略を傾向していくわけで……こうした煽(あお)りのなかで、東芝の家電セクションも分社化しました。

しかし幸いなことにデザインセンターは本社直轄という環境を維持し、デザイナーたちは各事業所の方針に縛られずにデザインをつづけることができました。これは東芝の良いところのひとつだと思っています。そんなときに東芝はスウェーデンのストックホルムに本社を置く「エレクトロラックス社」とパートナーシップを組むことになりました。これで世界の大きなパイを狙える。エレクトロラックス社としては、情報機器メーカーとして世界で認知されている東芝の技術と、自社の家電の技術を組み合わせることでパイを大きくできる……というような目論みがありました。
ちなみに現在、話題となっているロボット掃除機ですが、もともとはエレクトロラックス社がはじまりです。つぎの時代はロボットということで、東芝からの部品供給があり、世界的に転がせれば、すばらしいコラボレーションになる可能性を秘めていました。こうして「Electrolux by TOSHIBA」というブランドが誕生(2006年に終了)しました。

第30回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る(前編-2)

ブランドと文化背景の関係と、その重要性

柳本 エレクトロラックス社から学んだことは?

田子 私は提携前のテスト期間に投入され、まずスウェーデンに出向き、中国市場をターゲットにしたプロジェクトに参加しました。そのころはまだ中国に対して、今ほどマーケティングがおこなわれていない時代で、どういうテイストが受け入れられるかわからない。けど、少なくとも彼らの憧れは、今まで見たことないユニークなものであり、暮らしを豊かにするデザインを好む、そんな傾向があるということで、“欧州イメージ”を強く打ち出していこうと。
エレクトロラックス社の仕事に触れるなかで感嘆した点は、会社の理念を社員が十分に理解し、かつそれをデザインに昇華させているところです。一見ユニークな形であるにしても、そのプロセスは必ずおこなっている。つまりマネジメントが細部にまで行き届いているんですね。彼らは企業体としても多国籍企業になっています。だからこそ世界基準の企業理念はもちろん、スウェーデン人としての暮らしや誇りというものを大切にしながら、モノ作りに取り組んでいました。

掃除機のホースの形状にしても、大変ユニークです。その独自性あるフォルムはブランドの顔をつくっていました。じつはその背景には北欧ならではの環境が影響しています。北欧の方は高身長。くわえて日照時間は短いので、歳をとるととくに女性は骨粗しょう症になる恐れがあるんですね。そのため「腰痛にさせてはいけない」という社会法令があるくらいなんです。だから腰痛にさせないような工夫がプロダクトにも自然と織り込まれている。その解釈からくるフォルムこそが美しい。こうしたデザイン上の一見ネガティブな与件こそ、ポジティブに落とし込んでいたり、彼らの味つけの仕方からは本当に多くのことを教わりました。ブランドと文化背景の関係性がいかに重要か。それを問いただすきっかけにもなりましたね。

柳本 日本に戻ってきてからは?

田子 文化背景を感じさせる仕事をしたいと、社内で「日本味」というプロジェクトを立ち上げました。エレクトロラックス社ではチームにイギリス人とスウェーデン人がいたのですが、彼らは日本文化にかなりの興味があり、しかもかなり細かい情報まで仕入れていまして。話をしていて気づいたのですが、どうやら日本のテクノミュージック/クラブカルチャーと、伝統文化が頭のなかで混在しているようで。まだ「和モノブーム」に火が付きはじめる前のことだと思います。
家に遊びに行けば、南部鉄器の鉄瓶があり「こういうのすごくいいよね!」って言うんです。「お茶の道具がこんなに綺麗にできていて、マテリアルも効率が良くて、電化製品はすごくて、テクノもある。日本はすごい」と言われたことも。ならば一度、当たり前すぎた自分の価値観や視点をクリアして、もっと掘り下げてみようと。今までは文脈として、量販なり、メーカーの理屈でモノづくりをしていたけれど、よくよく考えてみれば、日本の特性、文化をマーケットに乗せられる余地はあるし、海外から期待されることにもつながるではないかと。

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たとえば味のある日本旅館に行くとします。部屋に入ったら凛とした空気が流れていて、「いいな」と思うけども、その空間に場ちがいなデザインの冷蔵庫があると、一気にげんなりしたり……それってメーカーの責任でもあると思う。だけどそういう客室は全国規模で考えれば万とあり、空間に合う冷蔵庫を作って提案する必要があるのに、誰もやっていないわけです。これはメーカーと消費者の良好な関係が築けていない気がしました。今まではそれで市場が成り立っていたかもしれませんが、文化的背景やデザイン・マネジメントの視点で見ると、果たしてそれでいいのかと……。
そこで日本ならではというものを見つける「日本味」というプロジェクトをはじめたところ、社内で物議を醸しだしました。上司や社長までもが「これはぜひやるべきだ」と理解を示してくれたのです。あたらしい視点で市場や販路を開拓し、量販店とはちがう活路も見出だそうと。けれどようやく動き出すかというときに、組織が大きく変わることとなり、プロジェクトは断ち切れになってしまいました。社内には賛同者もいたので残念がられましたがなす術もなく。自分も所属が家電からパソコンに変わったため、「切り替えの時期なのかな……」と捉えました。

前に述べた展覧会出品はちょうどこのころのことで、自分の考えを本にぶつけることで一度気持ちに区切りをつけたわけですが、社外の方から多く賛同いただけたことで自分のスタンスがより明確になった気がします。ところがプロジェクトが終了して一年半後くらいに、「社内の誰かが<日本味>と同じようなストーリーで、プロダクトを企画している」という情報が耳に入りました。調べてみると熊本浩志氏(現・株式会社リアルフリート代表取締役)だったんです。彼もまた社内では風雲児で、「日本味」を見て、こういうのを改めてやってみたいと密かに動いていたようです。それが「atehaka」(アテハカ/デザイン家電の先駆け的存在)ですね。

すぐにでも熊本氏には会ってみたかったのですが、とにかく大企業はワンフロアちがうだけで、誰が何をやっているのかわからない状況。そんななか、やっと彼を見つけたんです。そしたら「僕も田子くんをずっと探していた」と言われて(笑)。インハウスは社内では匿名性があり、どれが誰のデザインかわかりません。また案件ごとにデザイナーを指名することもできないんですね。そういう状況のなか、やっと巡り会えた。これからは企みがあったら、裏で応援するから、お互い頑張ろうと話して。

柳本 なるほど。

田子 そして熊本氏が立ち上げた「atehaka」は、メディア戦略上、外部のキャラクターをモノ作りに参画させた方が理解されやすいということで、鄭秀和氏(建築家・デザイナー/インテンショナリーズ代表)が参加。実際にリリースされ業界では話題騒然となりましたが、諸事情があり「atehaka」の継続は困難となりました。これを契機に熊本氏はその後「リアル・フリート」を立ち上げることになります。

第30回 田子 學氏とデザイン・マネジメントについて語る(前編-3)

いかにブランド認知をエンドユーザーにしてもらえるか

柳本 その後、東芝では主にどんなプロジェクトに携わっていたんですか?

田子 「ダイナブック再生プロジェクト」にかかわることになります。パソコンというものが「B to B」(企業間の取引)から「B to C」(企業と消費者の取引)へと変わる大転換期。それまで「B to B」で成果を上げていましたが、「B to C」には出遅れていました。外資メーカーが日本市場を席巻するなか、ノートパソコンの生みの親である東芝のポジションを取り戻したいという想いがあったわけです。だからいかにブランド認知をエンドユーザーにしてもらえるかが重要な課題でした。
これからのパソコンは形やスペックよりも、そのひとなりのスタイルが重要視される。それがつぎのマーケットのキーになると思いつつ、事業部主導でなかなか思うようにはいかない1年目。2年目は企画段階からデザイナーがかかわることを強く要請し、ミッションを達成すべく、リアル・フリートと組むことを提案しました。そのころ、リアル・フリートは、販路をふくめて斬新でユニークなブランドとして確立しはじめていました。双方にとってWin─Winでもあり、面白いことになるのではと。そうして「dynabook CX1」と、リアル・フリートモデル「dynabook CX1R」を同時にリリースすることになったんです。肝は共通の金型を使用し、どのように2機種に特長づけしていけるか。そして綺麗なデザインにどこまでできるのかが重要でした。

当時windowsマシンは、その製造工程を理由に、納得いくデザインに整えることは至難の業でした。なぜなら、デザイナーは外観だけでなく、内部設計を考慮しなければいけないのですが、部品の調達がマーケットに準じて非常に流動的で、確固たるレイアウトというものが存在しません。都度パズルのピース合わせをせねばならず、外観との整合性をつけることが難しいのです。しかし「CX1R」を買う消費者、取り扱う店舗から見れば、メーカー事情は関係なく、極力綺麗なものが欲しい。だからデザイン的ノイズが少しでも軽減できるように今まで当たり前とされていた仕様についてもすべてチェックし、見直しが必要なものは改善。隅々までデザイナーが綺麗にマネジメントすることに努めました。結果、ラッチレス機構の採用、アイコンやフォントの変更など多岐にわたるチャレンジを達成することができたんです。

「CX1」は量販店の販売で上代が16万円、「CX1R」はライフスタイル系ショップでの販売で、上代が25万円。約10万円の差がありましたが、「CX1R」は瞬く間に完売しました。これが2004年の出来事でした。こうして私は約13年間お世話になった東芝を退職。デザイン・マネジメントを追求するために活動の場をリアル・フリートに移すこととなりました。

柳本浩市×田子 學対談「デザイン・マネジメントとは何か」(後編) →

柳本浩市|田子学 09

田子 學|TAGO Manabu
MTDO代表取締役 アートディレクター/デザイナー。東京造形大学II類デザインマネジメント卒業。東芝デザインセンターにて多くの家電、情報機器デザイン開発にたずさわる。同社退社後、リアル・フリートのデザイン・マネジメント責任者として従事。その後あらたな領域の開拓を試みるべく、2008年にエムテドを立ち上げ、現在にいたる。
現在は幅広い産業分野において、コンセプトメイキングからプロダクトアウトまでをトータルで担い、デザイン、ディレクション、マネジメントまでをカバー。

GOOD DESIGN AWARD、red dot design award、JDCAデザインマネジメント賞、ILS AWARDデザインビジネス賞、他受賞作品多数。2010年~日本デザイン振興会(JDP)「グッドデザイン賞」審査委員
http://mtdo-ch.com

(後編は10月25日(木)公開)
           
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