連載・マシュー・ワォルドマン|Vol.16 建築家 Neil Denari(ニール・ディナリ)インタビュー
Design
2015年3月13日

連載・マシュー・ワォルドマン|Vol.16 建築家 Neil Denari(ニール・ディナリ)インタビュー

マシュー・ワォルドマンによるインタビュー

Vol.16 建築家 Neil Denari (1)

ニール・ディナリは建築家であり、Neil M. Denari Architects(NMDA, Inc.)の代表である。ロサンゼルスを拠点に、ニューヨークにも事務所を置く、国際的に著名な建築事務所だ。彼はヒューストン大学とハーバード大学で学び、現在はUCLAとハーバード大のGraduate School of Designの客員教授でもある。また、彼は数多くの賞を受賞し、2009年には、United States Artists Organizationの評議員に、また2008年には、American Academy of Arts and Lettersのアカデミー賞も受賞している。現在、彼の事務所は、アメリカ国内や、東欧、アジアなどで、大小さまざまなプロジェクトをおこなっている。ディナリはまた、2冊のベストセラー『Interrupted Projections』(TOTO,1996)と『Gyroscopic Horizons』(Princeton,1999)の著者でもある。現在、彼は2011年に出版される予定のあらたな著作に励んでいる。

文=マシュー・ワォルドマン


rumors|通販サイトへ

建築は、空間と生活を変容する存在である、という事実

Matthew 僕は、ほとんどのアーティストやデザイナーたちは、自ら受ける「インスピレーション」について語ることは得意でも、「モチベーション」について語るのはそうでもないことに、あるとき気がつきました。あなたがいまおこなっていること、そして引きつづきおこなっていくことについて、あなたのもつモチベーションとは一体なんなのでしょうか?

Neil 私自身が建築家になるためのもっとも大きなモチベーションは、多くの意味で時代と場所とに強く関係しています。60年代から70年代にかけて、D-FW Metroplex(Dallas / Fort Worth Metroplex / テキサス州のダラス・フォートワース都市圏)は、軍需産業とスポーツエンターテイメント産業の発達に多くを依拠し、大規模な郊外の拡大とともにこの国でもっとも論争を起こした地域です。このような展開を見ていて、私は、デザインされた世界とは、アノニマスなものから、華々しく目立つものまで、かたちづくることを助けるなにかであると、ただただ感じたのです。

自己の満足や個人の表現を越えて、モチベーションとは、往々にしていくつかの方法でより大きな社会、もしくは政治的な野心と交わっていくものでしょう。ここに、建築の規模と避けがたい大衆の議論が、これらのモチベーションに対しての意義を形成する際には、極めて有効な手段となります。言い換えれば、良きことのために、文化を前進するためになどがその根拠となります。

だからこそ、私の過去と現在のモチベーションは複合的であり、けれども個人の感情(純粋なデザインに対する愛情や、それを表明するための意志)と建築自体が、実際にどのような機能をもち、どんなふうに見えるということは関係なく、建築は、空間と生活を変容する存在である、という事実と、生産性のある関係を保つことでもあるのです。

より踏み込んでいえば、私の現在のモチベーションは、ほかのメディアと対峙するのではなく、ともに機能するような建築をつくりあげることです。なぜなら、我々がシンプルに、建築を「実態」や「空間」の守護者として利用するべきだ、とは、私には到底思えません。一方で、現在デジタルメディアは、実際より我々の日常生活を定義する際に大きな影響を及ぼしています。建築はこの領域において、より有用で適切であるという点では、少し遅れをとっています。

Matthew デジタルの革命は、アイデアを表現するパレットを無限にしてきているように僕には思えます。では、どのような技術があなたのなかでは遅れをとっているように思えますか?

Neil 建築の規模、そして本質的に手作業である過程は、とりわけ我々がほかの産業から取り入れたいと願う技術との関係と、ある種の問題を産むことになります。敷地を基本とした建築物の建造を超え、より統合された情報シェアシステムへと移行し、そして敷地が存在しなくとも、物質的な製作を基本とした機械を得ることこそが、我々のフィールドでのゴールとなるでしょう。

このレベルのプレハブ式を可能にするには、より大型の機械が、建築の規模を満たすためには必要となります。こういった機械のほとんどは、自動車や航空機の世界ではすでに存在しているものです。ただし、それらはクルマや飛行機の完成品の一部分や、部品のサイズのような規模の大きさに限定されています。

建築家の野心が、世界市場の潮流によって盛り上がっているのと同時に、ガラスをラミネートする、金属をプレスする、(リサイクルのポリマー樹脂など)のインジェクション整型をするような超大型の機械は、現在、中国やそのほかの国でも発達してきています。

我々が現在直面する経済的な状況においても、またこの2年間は同様の状況ではあるかと感じていますが、我々の野心においては、下り坂という局面はありません。ただ、より大きなレベルの技術的な統合を探求する機会が少なくなったということだけです。


マシュー・ワォルドマンによるインタビュー

Vol.16 建築家 Neil Denari (2)

ニューヨークに、デザインをする感覚が甦ってきたように思えます

Matthew 僕はニューヨーク市内を高層歩道で覆うあなたのプロジェクト「High Line」に大変興奮しました。じつは、今回のインタビューで、あなたとコンタクトをとることを決めたのも、それが一番の理由でした。チェルシー地区はすでにそのほとんどが完成しています。あなたはニューヨークが未来に向かって曲がり角を迎えていると感じていますか?

Neil その通りだと思います。あなたの質問が暗に意味していますが、1960年代以来、ニューヨークは建築を通して、都市のアイデンティティを刷新するようなことが起こることはありませんでした。けれども別の意味でそれは、視覚的に、また物質的な意味で少なかったということですもちろんニューヨークは世界的に見てもすばらしい都市のひとつではありますが、ただ、ここ最近の建築ブーム以上に、少なくとも地球規模で経済の中心となるような都市は、現在のイメージの、ある側面をもっとも明白に映し出す存在となったと、私は確信しています。

少なくとも内面的には、この都市はより複合的な場所でした。私が1980年代にイーストヴィレッジに住んでいたころは、アートと音楽のシーンがより一層パワフルだったことをよく覚えています。しかしその外側では、つまりこの都市の残りの部分では、より古い建築のモニュメントが、たとえばエンパイア・ステート・ビルディングや、クライスラー・ビルディング、とくにワールド・トレード・センターの悲劇的な喪失(ニューヨークの1970年代初頭のもっともすばらしいデザインである、シティコープタワーとともに)のために、ニューヨークの建築におけるアイデンティティを象徴しなければなりませんでした。

この都市は、ミュージアムの建築や、あらたな住宅様式の発明、また公共スペースのあらたなかたちでの発展を、何十年もおこなってきませんでした。だからこそ、この「High Line」は、チェルシー地区に建造されたあらたな建築としておそらく歓迎されたのでしょう。近隣でのプライベートオフィスやコンドミニアムなど、卓越したプロジェクトの多くと同様に、私は「High Line」の公共的な自然が、たとえば我々が手がける「HL23」のような建築に、公共領域の範囲として付加された、と確信しています。

私は、この「HL23」を、公共のプロジェクトだと呼んできました。なぜならこの建物は空間的に、そして物質的に「High Line」と、より合わされるほど関係性が深いからです。ひとによっては、これらの建築物は、建築ブーム時代の全盛をあらわしている、というかもしれません。建築的な思考としての全盛ではなく、国際的な富裕と、そして誤った繁栄の象徴と。いま、経済は叙事的なまでに底に沈みましたが、ただ、どの会社がお金を出したかということを越えて、建築的な実験としての、この仕事の結果は誰にもディスカウントすることはできません。

だからそうなのです。私はニューヨークが功利的な要素を越え、デザインをする感覚が甦ってきたように思えます。そして、また知覚することへと移行し、より都市がひとを惹きつけるようになり、また、より議論的になることさえあるかもしれないように思えるのです。

Matthew わかりました。この質問をしないように抵抗することが大変難しいのですが、ロサンゼルスを拠点にする建築家として、N.YとL.Aのあいだにはライバル意識があるのですが、N.YとL.Aの関係をあなたはどう見ますか?

Neil そうですね、ロサンゼルスに移る前の5年間、私はニューヨークに住んでいたのですが、私はいつも緑地や、ひとつの都市や、また別の都市の優越に対してあまり関心を払っていなかったように感じます。もちろんL.Aは私が住んでいる場所ですし、実際にその場所に移る選択をしました。なぜなら、私は自分が住んでいる環境を、物理的に自分自身の思考に作用させたかったからなのです。

けれどもN.Yはいつでも私にとっての体験の基準でした。この22年以上もの間、多くのパーティーや、多くのイベント、また多くの都市で、私はN.Y対L.Aについての会話をしました。そこにはまれに議論や、対立する弾劾演説や、謙遜的なコメントもありましたが、しかし、それらはほとんど、それぞれの都市のユニークな特質を探求した結果でした。

個人的に思うのですが、アメリカ東西沿岸の敵愾心や、それぞれの都市の優越性への主張は、いま、消えてきているのではないでしょうか。それはフランク・ゲーリーやトム・メイン、そして私が完成することができた意義のあるプロジェクトがN.Yに存在し、それらのプロジェクトが多くのニューヨーカーに歓迎されているという事実が証明しているかもしれません。そしていままで以上に、より多くの人びとや、知識、エネルギーの交差があるように見えるのです。

おそらく、現在も、そして未来も、もっとも長引く分裂は、いつも都市の形状にかんしてのことでしょう(水平的で拡散的な都市 対 コンパクトで足跡的な都市)。または、歩くこと 対 運転すること、人間的な境界面 対 機械的な境界面、などなどの要因です。信じてもらっていいですが、実際、私は、サステナブルな都市の構造という面について、ニューヨークは、ロサンゼルスよりも、より論理的であると思っています。私は自分の自動車をあまり運転しませんし、事務所やUCLAまではベスパで通勤しています。

それでもなお、ロサンゼルスはアメリカ的であり、また、そのことで、一般的な北米の都市が、どのようにより良く変わることができるのかどうか? という点を理解するためにスタディすることのできる場所はほかに存在しません。その点については、ここに住む以上のスタディはないのですから。

マシュー・ワォルドマンによるインタビュー

Vol.16 建築家 Neil Denari (3)

ロシアの公団住宅プロジェクトの規模感がエキサイティング

Matthew それでは、あなたの野心的なプロジェクトのいくつかが実現していないことについて、僕はそれを不幸なことだと感じていますが、このことがどこかであなたを悩ますことはあるでしょうか?

Neil この質問については「はい」とも言えますし、「いいえ」とも言えるでしょう。先ほどのモチベーションにかんしての質問に対しても触れましたが、物質的な方法で環境になにか影響をあたえたいという感覚のなかでは「はい」と言えるでしょう。数多くのアイデアが実現せずにいる事実を直視することは、極めてやっかいなことですから。

ただ、私を必要以上に悩ましているか? と聞かれれば、「いいえ」と答えるでしょう。なぜなら私はしょっちゅう失望しているからです(笑)。その建築が実際に建とうが建つまいが、つぎなるプロジェクトがいつも最善のものであることがプロの仕事なのです。これはただ快活で、楽観的な真言ではありません。真実なのです。

ヴァーチャルに物事を検証することができるように、思考の進化は、多くの意味において、現実化することと違いはありません。この点において、書籍はより重要な存在となるでしょう。私はなるべく多くの建築を実現させたい。けれどもそれはなにかを建てたい、という欲求からではありません。私は、この点については、NMDAの作品はある倫理を映し出していると思っています。

Matthew あなたは映画『インセプション』を観ましたか? もし観たなら、どう思いましたか?

Neil すみません、まだ観ていません。

Matthew 現在、どのプロジェクトがあなたをもっとも興奮させていますか?

Neil 我々はロシアのサンクトペテルブルグから20kmほど南に位置しているプーシキンの公団住宅のプロジェクトを進行させています。そこは4万5000人が居住でき、一度に大変大きなアパートを、なにもない敷地に建造します。4階建てのアパートと、都市へ高速道路で通勤する人びとのための多くの駐車場からなる、本当に郊外の即席都市なのです。この規模感は非常に魅力的です。なぜなら、この種のプロジェクトは決してアメリカ国内には存在しません。けれども我々は、住宅を基礎とした自動車と地形への理解を、特定の文化や気候のなかでも取り入れることでしょう。

Matthew 「東京」について、自由に連想してください。

Neil 視覚的にカオティック。インフラ的には正確
メランコリー
背の高い外国人
小津安二郎
どこでも、いつでも
中心の空白(皇居)
制服
ロボット工学
自宅から離れた職場
すばらしいトンカツへの探求

Matthew どうもありがとう。

nooka_rumors2

           
Photo Gallery