Audi e-tron|アウディ eトロン 製造工程の写真を公開
CAR / NEWS
2015年3月30日

Audi e-tron|アウディ eトロン 製造工程の写真を公開

Audi e-tron SPYDER|アウディ e トロン スパイダー

妥協なきクルマの制作

アウディは、パリモーターショーにて公開された「eトロン スパイダー」を製作する過程をおさめた写真を公開した。

文=ジラフ

刻苦が伝わる写真の数々

アウディ eトロン スパイダーは、2012年に実際の市場導入が目論まれているといわれており、数度の改変がなされている未来のプラグインハイブリッドスポーツである。ミッドシップにエンジンをレイアウトしたボディには、最高出力300ps、最大トルク66.3kgmを発生する3.0リッターV6ツインターボディーゼル「TDI」を搭載し、フロントアクスルにはモーターを2個設置することで、ここからも最大出力88ps、最大トルク35.9kgmが発揮されるという。

Audi e TRON|アウディ e トロン Photo02

Audi e TRON|アウディ e トロン Photo03

このシステムから生みだされるパフォーマンスは、0-100km/h加速4.4秒、最高速250km/h(リミッター作動)という、スーパースポーツ並の数値を実現している。また最長50km、最高速度60km/hでゼロエミッション走行が可能。EVモード採用の結果、欧州複合モード燃費は45.5km/ℓ、CO2排出量も59g/kmを記録。

eトロンの“e”には「エレクトリック」「エフィシエント」「エコノミー」「エンバイロメント」の4つの意味が含まれている。将来のあるべきクルマ像に欠かすことのできない諸要素が落とし込まれた同車は、開発にさまざまな試行錯誤がなされている。今回公表された写真は、デザインを担当する人間を決定するためにおこなわれたコンテストや、そのあとのクレイモデルの製作、それをもとにした実車製作などの開発現場を見せてくれる貴重なものとなっている。開発におけるあらゆる実験が直接伝わってくるかのような写真の数々を是非ごらんいただきたい。

BRAND HISTORY
Audi(アウディ)のエンブレムは“フォーリングス”。その輪ひとつひとつが自動車メーカーのアウディ、DKW(デーカーヴェー)、ホルヒ、ヴァンダラーをあらわしているのはご存知だろう。いずれもザクセン州に本拠を置き、20世紀のはじめ、ドイツの自動車産業を牽引したブランドである。しかし、第一次世界大戦後に起きた世界恐慌の煽りをくらった4社は、生き残りをかけて、1932年にアウトウニオンを結成。DKWがモーターサイクルと小型車、ヴァンダラーが中型車、アウディが高級中型車、そして、ホルヒがラグジュアリーカーに特化する戦略をとることになった。

しかし、第二次世界大戦の敗戦により旧東ドイツのザクセンはロシアの占領下となり、アウトウニオンは消滅。これを見越して、旧西ドイツのバイエルン州インゴルシュタットに新生アウトウニオンが設立される。BMWやメルセデス・ベンツとちがい、工場のない状況からの苦しいスタートをしいられたアウトウニオンであったが、DKWデリバリーバンなどの生産により徐々に体力をつけていった。

1964年末にフォルクスワーゲン傘下におさまったアウトウニオンは、ほどなくしてアウディの名を冠した新型車を世に送りだす。そして1969年には、ネッカースウルムに本拠を置くNSU(“ヴァンケルエンジン”の開発で知られる)を合併し、アウディNSUアウトウニオンとなり、1985年からはアウディとして現在にいたる。クワトロをはじめとするテクノロジーと、モータースポーツ活動に裏づけられたダイナミック性能、エレガントなデザイン。そして、質感の高い仕上がりが、アウディの人気を牽引している。

           
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