Audi |アウディ R8|第11回 (前編)|「疑念を一蹴するほどのカッコよさ」
第11回 アウディR8(前編)
「疑念を一蹴するほどのカッコよさ」
一時期、ほぼ息絶えたスポーツカーが、ここにきて相次いで復活を遂げている。
ドイツのプレミアムブランド、アウディは、かつてルマン24時間耐久レースで連勝を飾ったマシンの名を与えた、
同社初の本格ミドシップ・スポーツカー「R8」を誕生させた。
文=下野康史Photo by Audi
アウディとランボの「幸せな結婚」
アウディがスーパーカー級のミドシップ・スポーツカーをつくっているというウワサをはじめて耳にしたとき、ぼくは耳を疑った。
「耳にしたとき、耳を疑った」って表現は、耳がダブってしつこいゾ、と思われるかもしれないが、アウディのスーパーカー話にも、そういうしつこさを感じたのだ。だって、ランボがあるじゃないか、と。
1998年の電撃的な吸収劇以来、アウディはランボルギーニの親会社である。
フォー・シルバー・リングスとファイティング・ブルとの合体には度肝を抜かれたが、しかし、よく考えてみれば、これは意外や「幸せな結婚」かもしれない。
すなわち、フェラーリ、なにするものゾの気概で、かつてスーパーカー街道を邁進した、いわば野獣派のランボルギーニにとって、アウディの、冷静沈着な理科系インテリ的テクノロジーとメンタリティこそ、もっとも必要なのではないか。
ランボで十分じゃないの?
実際、提携後のランボは目に見えてよくなった。いまの「ムルシエラゴ」や「ガヤルド」は、「ディアブロ」までの旧世代より、明らかに“商品性”が向上した。
いやな表現かもしれないが、それは主にドライバーとのインターフェイスの部分である。肝心な中身のアツさは、ドイツ人がマジメに温存している、の感がある。そんな立ち位置がいまのランボには感じられて、まさに“イイカンジ”だと思っていた。
だから、ランボがあるじゃないの、ランボで十分じゃないのか、という思いがあったのである。
常に未来を見ているデザイン
だが、はじめて目の当たりにした「アウディR8」は、そんな疑念を一蹴するほどカッコよかった。
試乗車は、白。アウディとしては、肩すかしを食らわすようなボディカラーだが、しかしこれがじつによかった。ドア後方の一部がシルバーに塗られている。このパネルだけをワンポイントで別色にするのが、あたらしい試みである。
スタイリングそのものは、ランボほどマニアックではなく、フェラーリほど耽美的ではない。が、しかし、確実にあたらしい。アウディのデザインは、けっしてレトロなんかに逃げ込まず、つねに前(未来)を見ているところがすばらしい。色づかいを含めて、「お洒落」という表現も似合う。
走り出しても、そんな外観の印象を裏切らなかった。