Audi |アウディ R8|第11回  (前編)|「疑念を一蹴するほどのカッコよさ」
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2015年4月14日

Audi |アウディ R8|第11回  (前編)|「疑念を一蹴するほどのカッコよさ」

第11回 アウディR8(前編)

「疑念を一蹴するほどのカッコよさ」

一時期、ほぼ息絶えたスポーツカーが、ここにきて相次いで復活を遂げている。
ドイツのプレミアムブランド、アウディは、かつてルマン24時間耐久レースで連勝を飾ったマシンの名を与えた、
同社初の本格ミドシップ・スポーツカー「R8」を誕生させた。

文=下野康史Photo by Audi

アウディとランボの「幸せな結婚」

アウディがスーパーカー級のミドシップ・スポーツカーをつくっているというウワサをはじめて耳にしたとき、ぼくは耳を疑った。
「耳にしたとき、耳を疑った」って表現は、耳がダブってしつこいゾ、と思われるかもしれないが、アウディのスーパーカー話にも、そういうしつこさを感じたのだ。だって、ランボがあるじゃないか、と。

アウディ初の本格ミドシップ・スポーツ「R8」。

1998年の電撃的な吸収劇以来、アウディはランボルギーニの親会社である。
フォー・シルバー・リングスとファイティング・ブルとの合体には度肝を抜かれたが、しかし、よく考えてみれば、これは意外や「幸せな結婚」かもしれない。

すなわち、フェラーリ、なにするものゾの気概で、かつてスーパーカー街道を邁進した、いわば野獣派のランボルギーニにとって、アウディの、冷静沈着な理科系インテリ的テクノロジーとメンタリティこそ、もっとも必要なのではないか。

ランボで十分じゃないの?

2003年フランクフルト・モーターショーでヴェールを脱いだ
コンセプトカー「ルマン・クワトロ」の市販バージョン。

ランボで十分じゃないの?

実際、提携後のランボは目に見えてよくなった。いまの「ムルシエラゴ」や「ガヤルド」は、「ディアブロ」までの旧世代より、明らかに“商品性”が向上した。
いやな表現かもしれないが、それは主にドライバーとのインターフェイスの部分である。肝心な中身のアツさは、ドイツ人がマジメに温存している、の感がある。そんな立ち位置がいまのランボには感じられて、まさに“イイカンジ”だと思っていた。

だから、ランボがあるじゃないの、ランボで十分じゃないのか、という思いがあったのである。

常に未来を見ているデザイン

だが、はじめて目の当たりにした「アウディR8」は、そんな疑念を一蹴するほどカッコよかった。

試乗車は、白。アウディとしては、肩すかしを食らわすようなボディカラーだが、しかしこれがじつによかった。ドア後方の一部がシルバーに塗られている。このパネルだけをワンポイントで別色にするのが、あたらしい試みである。

スタイリングそのものは、ランボほどマニアックではなく、フェラーリほど耽美的ではない。が、しかし、確実にあたらしい。アウディのデザインは、けっしてレトロなんかに逃げ込まず、つねに前(未来)を見ているところがすばらしい。色づかいを含めて、「お洒落」という表現も似合う。

走り出しても、そんな外観の印象を裏切らなかった。

コックピットデザインは、モータースポーツの世界を視覚的に反映させたという「モノポスト」コンセプト。
操作系をドライバーオリエンテッドに配した。

           
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