連載・柳本浩市|第25回 植木明日子さんに「アイデアとプロダクトデザイン」をきく(前編)
第25回 植木明日子さんに 「アイデアとプロダクトデザイン」 をきく (前編)
今回のゲストはプロダクトデザイナーの植木明日子さんです。大学院まで建築を学びながら、卒業後は文具ブランド「水縞」を立ち上げました。ある意味まったくちがう畑のようでいて、彼女のなかでどこが繋がっているのでしょうか? 建築的な思考がほかの分野へ展開が可能なのでしょうか? そんなことを考えながら、彼女との対話のなかで答えを探ってみたいと思います。
Text by 柳本浩市
「建築をやっていたらなんでもできるよ」というアドバイス
柳本 もともと建築を学んでいらっしゃった植木さんが、ステーショナリーの世界へと足を踏み入れた経緯と、さらにさかのぼって幼少のころのエピソードもふくめてお話いただけますか?
植木 父が建築を生業にしていまして、それにまつわる道具がかたわらにあるという環境で育ちました。当時の私にとっては父の道具は玩具同然で、物心ついたころには「ゆくゆくはなにかモノづくりの仕事に就きたい」と漠然と考えていました。しかし自分にとってのモノづくりとは、イコール建築だったので、それ以外のジャンルをまったく知らなかったんですね。そうこうしているうちに高校3年生になってしまい……その当時はとくに大きな希望があったわけでもなく、さらに父に進路をしむけられたこともあって、「じゃあ、もう建築で……」と半ば投げやりな進路決定をしました(笑)。
柳本 お父さんの影響がいろいろ強かったんですね。
植木 実際大学に進学してみると課題は楽しいし、それなりに充実していたのですが……ピュアかつ貪欲に建築を学ぼうとする同級生と「なんとなく建築やってます」の私とでは、「建築」に対する思いという面では歴然とした温度差がありました。このままいけば、自ずと先が見えてくるのも不安だったし、また「建築以外のなにかがしたい」という気持ちが心の片隅にいつもあって、それがコンプレックスにもなっていました。そんな学生生活で大きな転機を迎えたのが大学3年生のときでした。建築家の寺田尚樹さんが非常勤講師として学校にいらして、家具や照明をデザインする課題があったんです。それがものすごく楽しくて、「なんか私、気づいちゃったかも」って思ったほどで(笑)。そこで寺田さんに「将来はプロダクトの仕事もしてみたい」と相談したら、「建築をやっていたらなんでもできるよ」っておっしゃってくださって。当時、寺田さんをはじめ、私の周囲にいる方は皆口を揃えたように「建築をやっていたらなんでもできる」って言うんですね。「大きいものも小さいものもつくれる」と。その言葉に後押しされるようにもう少し学んでみようと、4年生になると大学院進学を考えるようになりました。
柳本 迷いがちょっとふっきれた感じですか。
植木 いざ受験をするにあたり、受験する大学の研究室の先生のところに相談に行き、これまでの作品、とくに建物や都市計画にかんするものを見ていただいたりして。するとまた自分のなかで葛藤が起こるんです(笑)。「あれ? 建築に対しての気持ちがないのに、このままで行ったらマズいんじゃないか?」って。すると「建物の構造が……」と先生に語っている自分をうさんくさく感じて(笑)。ついには「本当は照明や家具がやりたい!」という気持ちが抑えられなくなり、ここぞとばかりに先生に打ち明けたんです。「いままでの作品は本当の自分の気持ちではありません!」と。その結果、先生も理解をしてくださって。大学院受験のときはありのままの自分の作品(照明や家具)で臨むことになり、大学卒業後は東京芸術大学大学院の建築学科に進むことができました。
プロダクトをつくる=建築への延長=空間と接点ができる
柳本 進学されていかがでしたか?
植木 いざ大学院に進学すると、それはもうまわりの方々の建築のスキルや志の高さに圧倒されて、「絶対かなわないな」と。そこで私のなかでは建築をあきらめて、プロダクトや雑貨をつくるほうにシフトしていきました。まわりの学生はみな自分の作品制作に夢中で、私がわけのわからないものをつくっていても気にならなかったらしく、私も同様で自分のプロダクトづくりに没頭しましたね。ところが今度は学校側から「このままじゃ卒業できないよ」と言われて(笑)。たしかに建築学科なのに建築の作品がないですから。そこでまた先生とじっくり話しました。私はただ建築を避けていたのではなく、プロダクトをつくる=建築への延長=空間と接点ができる、と捉えていたので。先生には「床、壁、天井から空間をつくるのではなく、モノから空間を想起させる」というコンセプトを話すと、先生も私の思いをくみとってくださり、卒業制作では椅子、ドア、照明のデザインをして無事に卒業を迎えました。このときは建築を学びながらも、そのなかで別のこと(プロダクトデザイン)がやりたいという意志を確認するきっかけになりましたね。
柳本 そして、卒業後はすぐにプロダクトデザインの方面に?
植木 いえ、卒業しても「建築」の流れのなかにまだいまして(笑)。卒業後は設計事務所に入りました。ただ、私はここでも「建築と接点がもてるプロダクトデザインがやりたい」という話をして、事務所の代表も私の意見に納得してくださったんです。だけど私はなにもプロダクトデザインのことを知らず、製造・販売ルートにかんしても無知で……。実際にかたちになり、販売するまでに数年を要し、そのあいだは四苦八苦の連続でしたね。もちろん設計の手伝いもやりながら。いま振り返ると、学生のようにアイデアだけがノートに溜まっていくんだけど、かたちにする術(すべ)を知らず……だけども無我夢中で自分の手を動かしていましたね。
柳本 そんな手探りの状態からプロダクトブランドとして流通するにいたるまで、大きなきっかけとなったできごとはあったんですか?
植木 なにもわからなかったので、つくる方法を考えてたところ……まずは自分で1個、2個と手でつくリはじめました。だけどお店に少量あるより「数があったほうがそのなかから買いやすいだろう」と、お客さまの購買意識を察知しまして。そんなとき、私は設計の業務でタイに頻繁に行っていたのですが、タイは日本人のネットワークがすごいんですね。いろんな業種の方がなんらかのかたちで繋がっていて。そこで私が「こんなモノをつくりたいんだ」とたまたま話したところ、そのネットワークのなかで製造に携わっている方をあっさりと紹介してくださったんです。さらには私が自らつくったモノを見せたら、「すぐにでも100個くらいつくろうか?」と驚くべきスピードで商品を仕上げてきてくれたんです。とにかくそのフットワークの軽さにも驚きまして(笑)。いままで1個、2個しかつくれなかったモノが急に100個になり、となると小売店にも営業ができるようになって、さらにはリピート、発注と繰り返すことで、自分が好きなお店を中心にお取り扱いいただくことができるようになったんです。よくよく考えると、プロダクトデザイナーがデザインをして製造はメーカーがやる、という当たり前なことを私は知らなかったんですね。アイデアだけを見せてもなにもはじまらない、つくるまでにいたらないとプロダクトデザインとして成立しないということを身をもって知りながら、ようやくデザイナーとしてスタートを切ることができました。