Missing Trace〜ロンドンの記憶と記録のあいだ〜 第3回|連載
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2015年9月30日

Missing Trace〜ロンドンの記憶と記録のあいだ〜 第3回|連載

アーティスト・久保田沙耶がロンドンで見たもの、感じたもの

第3回「かわいた記憶にお湯を注いで」

芸術が生活に根ざした街、ロンドン。日々、あたらしい表現が生み出される「創出」の場所である一方で、至るところに埋葬された過去の遺産を掘り出して、いまに蘇らせる「蘇生」の場所でもある。後者の行為は、たとえるなら過去から現在への伝言ゲーム。そんな時代を超えた“壮大な遊び”に心躍らない表現者がいるだろうか? 2015年4月か10月まで、修復とファインアートを学ぶために彼の地へ留学中の久保田沙耶もその魅力に惹きつけられたひとり。ロンドンの記憶と記憶のあいだを漂う日々のなかで、琴線に触れたヒト・モノ・コトを綴ります。

Text by KUBOTA SayaEdited by TANAKA Junko (OPENERS)

ものとひととの関係性を楽しみ、活かす

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ロンドンに来て一番はじめに驚いたことは、季節の香りがしないことだった。公園やお庭が多くても、植物や土地の匂いがしないのはなぜだろう、と考えてみると、日本との湿度のちがいに気がついた。スナック菓子が萎(しな)びないし、洗濯物の乾きもはやい。そして、時間が進む実感がほとんどなく、透明に毎日が過ぎていくようだ。日本で何気なく感じる四季の移り変わりや環境の変化の重みは、もしかしたら湿度が大きく関係しているのかもしれない。

日本列島が高湿度であるということは、考古学の観点からいうと、有機質の遺物が残りにくい土壌であるということ。とくに旧石器時代は、資料的にもかなり限られているそうだ。たとえば肖像画は、王族の肖像のような保存環境がよいものを除き、一般人の肖像として残っているもっとも古いものは、エジプトのアル=ファイユーム地方の葬儀時の少年の肖像であるとされている。これらは古代ローマ時代唯一の絵画であり、エジプトが乾燥した気候であったために残ったのだそう。低い湿度だといかにものが残りやすいのかを示す、とてもわかりやすい例である。

ロンドンの蚤の市を歩いていても、たくさんのポートレートや写真、日記、手紙などを見つけることができる。なかには髪の毛の入ったブローチまであったりする。街並みも石造りで、私もいま、日本の木造建築では考えられないほど古い建物に住んでいる。もちろん湿度が低いから、すべてが残っているというわけではないが、街がまるで乾燥保存されたように古い物に溢れている様子は、私にとってかなり新鮮だった。さらにその残るものといかに向き合っているのか、イギリスの特徴的な姿勢を日常生活のなかで感じる機会が何度もあった。

たとえば、このロンドン滞在中にできた私の親友は、いつも流行りの指輪ではなく、亡くなった祖母の指輪をつけている。

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その可愛らしい指輪をきっかけに、彼女の家族のこと、住んできた街、これまで考えてきたことなど、もしかしたら聞けなかったかもしれない話を知ることができた。イギリスの家庭では、いま流行っている家具よりも、祖父から受け継いだ椅子を使ったり、デパートで売っている有名画家の絵のプリントよりも、親戚が描いた風景画を飾ったりして、お茶を飲みながら、そのものが経てきた物語について、あれやこれや話をしたりする。たとえ個人的なものであれ、残っているもの自体に宿る文脈や物語に敬意を払うことで、ものとひととの関係性を楽しみ、活かすイギリス人の気質に驚かされた。

では、これら超個人的なものたちの記憶の総体とは、一体なんなのだろう。私たちが歴史を習うときに、大きな出来事や事件、人物から歴史を学ぶことが多いが、そのあいだに生きてきた多くの人たちの膨大な記録や記憶の総体から歴史をふりかえったら、一体過去と現在と未来はどのように見えてくるのだろうか。

香川県の粟島で立ち上げたプロジェクト「漂流郵便局」(※トップ写真)が2年目を迎えた。2013年におこなわれた「瀬戸内国際芸術祭」の出展作品として、半年間、島に滞在して制作したものだ。届け先のわからない手紙を受けつける郵便局として、局長である81歳の中田勝久さん(※同右)に管理いただいており、現在7000通の手紙を展示している。そこで受けつける手紙は、いわばひとつひとつアノニマスなプライベートの暴露であり、ここにひとつ、人間の心の奥から紡がれる時代性を見て取ることができる。現在、ロンドンに「英国漂流郵便局」を立ち上げているが、果たしておなじ時代にちがう文化で育った私たちは、根源的にどこがちがって、どこがおなじなのだろうか。

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そして、私にはこれら超個人的な記録媒体たちが、冒頭で述べた高湿度で溶けて消えてしまう日本の考古遺物たちのもつ愛おしさと、どこか似ているようにおもえてならない。

このように物語を孕(はら)む「もの」は、ときに驚くべき速さと量の情報をもっている。それは作品でもおなじことだ。その「もの」との向き合い方のひとつの例として、大英博物館のなかにある施設「Department of Prints and Drawings」の「Study Room」という部屋をご紹介したい。

ここは、主にリサーチャーのための部屋である。ミケランジェロ、ラファエロ、ゴヤなど、いわゆる巨匠の5万点ものドーイングが、一つひとつガラスケースに入って、まるで標本のように保存されている。そのなかから特定のドローイングを選んで事前に予約すると、一つひとつ丁寧に取り出して閲覧用のイーゼルに設置し、白い手袋と虫眼鏡で観察させてくれるすばらしい施設だ。

天井はガラス張り、太陽光でこのドローイングたちを見られるのはここしかない。保存状態を保つため、観察しないときには蓋をしなくてはならない。この儀式的にも見えるドローイングとの「密会」により、いわゆる一方的な鑑賞ではなく、まさにドローイングと密やかな対話をしている感覚に陥るのだ。

ドローイングを虫眼鏡でみると、微細な薄いスクラッチや軌跡を見つけることができる。その細やかな質感のなかに、作者が「もの」を必死に捉えようとした生々しく強い姿勢が見て取れる。

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これらは過去のものなのに、明らかにいまよりもずっと向こうの未来に投じられているようにおもえ、薄い紙一枚一枚から、存在についての本質的な問いを感じることができた。

ここはもはや、博物館の一部というよりは研究施設のような出で立ちである。数名のリサーチャーのおじいさまたちが、虫眼鏡でドローイングを食い入るように見つめ、静かにひたすらノートをとっていた。その姿はまさしくなにかを発明しようとしている科学者の姿そのもので、ガラスに挟まれた一つひとつのドローイングが、まるでシャーレの上に置かれた未知の物質のように見えるほどだった。彼らの背中を見ていると、文化にこそ未来があるとおもわずにはいられなかった。

どの分野においても、ものごとの解釈はいつも多様で、なにかを立証するためには内容の整合性や検証性が重要になってくる。そして主張の客観性は、どのような環境に育ったか、どのような教育をうけてきたか、どのような思想世界観をもっているのかということにも左右されやすい。立証するまでには論争があり、自身のデータで他人の検証に耐える言及を書き、自分の考え方、解釈の欠如を自覚して、相手の意見を受け入れ、大勢の研究者間に共通の見解と認識の形成をしたあと、それが定説となる。

ひとつの定説をつくり上げるまでには、たとえなにかを秘めていると感じていても、削ぎ落とさねばならない要素が数多くあるのだ。もしかしたら、私たち芸術家のひとつの役割は、その定説からこぼれ落ちた膨大な可能性をすくいあげ、ひとりの人間として丹念に磨き上げることかもしれない。

イギリスはアーカイブ、コレクション、リサーチの国だ。イギリス各地に散らばる様々なアーカイブ室の姿には、絶対的なひとつの真実、過去はこうであった、というような断定的な結論を下すのではなく、こうであったとすれば、というしなやかな仮説の構築を、真摯に考えることができるヒントがたくさん眠っている。記憶をアーカイブしてリサーチすることとは、いまとこれからの私たちの振る舞いを考えることとまったくおなじことなのだ。

「漂流郵便局」
http://missing-post-office.com

「英国漂流郵便局」
http://missing-post-office.com/missing-post-office-uk/

大英博物館「Study Room」
http://www.britishmuseum.org/about_us/departments/prints_and_drawings.aspx

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久保田沙耶|KUBOTA Saya
アーティスト。1987年、茨城県生まれ。幼少期を香港ですごす。筑波大学芸術専門学群卒業。現在、東京藝術大学大学院美術研究科 博士後期課程美術専攻油画研究領域在学中。日々の何気ない光景や人との出会いによって生まれる記憶と言葉、それらを組み合わせることで生まれるあたらしいイメージやかたちを作品の重要な要素としている。焦がしたトレーシングペーパーを何層も重ね合わせた平面作品や、遺物と装飾品を接合させた立体作品、さらには独自の装置を用いたインスタレーションなど、数種類のメディアを使い分け、ときに掛け合わせることで制作をつづける。プロジェクト「漂流郵便局」(瀬戸内国際芸術祭2013)など、グループ展多数参加。
http://sayakubota.com

           
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