カンヌの常連、グザヴィエ・ドラン監督による衝撃作『わたしはロランス』
「彼は女になりたかった。彼は彼女を愛したかった」
カンヌの常連、グザヴィエ・ドラン監督による衝撃作
“女性になりたい男”とその恋人が歩む愛の物語『わたしはロランス』(1)
これまでに制作した3作品すべてがカンヌ国際映画祭に出品し、話題となった弱冠24歳のグザヴィエ・ドラン監督。彼が手がけた心揺さぶるラブストーリー『わたしはロランス』が、9月7日(土)より、新宿シネマカリテほかにて全国順次ロードショー。
Text by KUROMIYA Yuzu
10年にわたる強く美しく切ない愛
『わたしはロランス』は“女性になりたい男”ロランスと、その恋人フレッドの歩む長い年月を、強く美しく、ときに切なく描いたラブストーリー。昨年度のカンヌ国際映画際ある視点部門に正式に出品され高い評価を得た。
カナダ・ケベック生まれの監督、グザヴィエ・ドランは現在24歳。18歳で処女作『マイ・マザー(原題:I Killed My Mother)』、19歳で『胸騒ぎの恋人(原題:Heartbeats)』を制作。本作をふくむ3作品すべてがカンヌ国際映画祭に出品されるという快挙を成し遂げた気鋭の若手監督だ。
ハリウッドの異端児、ガス・ヴァン・サントは彼の才能に惚れ込み、アメリカでの公開時には自ら志願してプレゼンターを務めたという。本作への注目の高さがうかがえるエピソードだ。
主人公ロランスには、『ぼくを葬る』などで知られるフランス人俳優のメルヴィル・プポー。その母ジュリエンヌは、ヌーベルバーグを代表する女優のひとり、ナタリー・バイが演じた。フレッド役のスザンヌ・クレマンは、2012年カンヌ国際映画際のある視点部門で最優秀女優賞を受賞した。
恋人のカミングアウトにより加速する物語
モントリオール在住の国語教師ロランスは、恋人のフレッドに「女になりたい」と打ち明ける。それを聞いたフレッドは、ロランスを激しく非難するも、彼の最大の理解者であろうと決意する。あらゆる反対を押し切り、自分たちの迷いさえも振り切って、周囲の偏見や社会の拒否反応に果敢に挑む長い年月。その先に待ち受けるものとは。
社会の拒否反応をも恐れず、トランスセクシャルという問題に向き合ったロランスとフレッドの愛の物語を、その目で見届けてほしい。
MOVIE|「彼は女になりたかった。彼は彼女を愛したかった」
カンヌの常連、グザヴィエ・ドラン監督による衝撃作
“女性になりたい男”とその恋人が歩む愛の物語『わたしはロランス』(2)
ここでグザヴィエ・ドラン監督のインタビューをお届けしよう。トランスセクシュアル(性同一性障害を持つ人)というテーマに取り組むことになった理由、そして本作を作る上で影響を受けたものまで、彼なりの率直な言葉で語ってくれた。
Edited by TANAKA Junko (OPENERS)
自伝的であり、自伝的でない
――この作品を作ろうと思ったきっかけは?
『マイ・マザー(原題:I Killed My Mother)』の撮影スタッフが実際に経験した、過去の恋愛体験に基づいているんだ。彼の話を聞いてぼくは想像した。もし友達や親、あるいはパートナーから、突然面と向かって、驚くべき事実をカミングアウトされたなら。これまで一緒に過ごした時間のすべてが消失することはないとしても、クエスチョンマークをつけられたら、一体どんな気分になるのだろうと。その話を聞いた夜、自宅に帰ってすぐに30ページ分のテキストを書きなぐった。その時点で、もうタイトルもラストもわかっていたんだ。
――これは自伝的作品ですか?
そうとも言えるし、そうでないとも言える。そうでない理由は、まずぼくはトランスセクシャルではないし、その点はすでに解決ずみ(注・ドラン監督はゲイであることを公言している)。一方でそうとも言えるのは、これまで手がけてきたすべての作品が、自伝的でぼくの体験や意見が反映されているから。これからも、その姿勢は変わらないんじゃないかな。もちろん注文を受けて作る映画はあるよ。でもね、監督というのは、必ず作品に自分をほんの少し投影させるものなんだ。それに100%虚構だなんて映画が、実際に存在するとは思えないね。
どうやらぼくは、作品のなかで自分の気持ちを明かさずにはいられない性質(たち)なんだ。ナルシストとか言われても、まったく気にならないよ。自分がよく知らないこと、コントロールできないことを語って、観客を混乱させるのはごめんだね。怠慢なわけでも野心がないわけでもない。でもいまのところは、自分の領域で勝負したいと思っている。だけどそこには、すべてを把握している安心感と同時に、他人の評価をダイレクトに受けてしまうということはあるね。間にワンクッションも防御スクリーンもなくて、自分自身が直接、矢面(やおもて)に立たされるわけだから。
映画を観た人は、グザヴィエ・ドランという人間を知るわけだ。ぼくが映画界に入ったきっかけは、自分の存在が忘れ去られる恐怖から。それで俳優として映画に出はじめた。そういうわけで、ぼくにすればどの映画もある意味自伝的なんだ。監督っていうのは、自分のことを忘れ去られたくなくて、個人の記憶を集団の記憶に売りわたす。そのために人生を投げ売ってもね。でも作品ごとに記憶に言及することも減って、自分自身に目を向けるようになる。そうして、ようやく作品は映画についてだけ語るようになると思うんだ。
――なぜ監督や脚本だけでなく、衣装のコンセプトや編集までも担当されているのでしょうか?
映画は第7芸術(※)、つまりほかの6つの芸術の総合芸術(建築、彫刻、絵、舞踊、音楽、詩)を統合するもの。ファッションは軽視されているけどね。要するに、ぼくは映画に関わるあらゆるパートに関心を持つべきだと思っている。それでようやくすべてが理解できるって。とにかく、ぼくは結果的に最も金のかかる芸術を選んだ。構想自体はひとりで考えても、制作は集団作業というのは当然だよね。確かに衣装と編集はそれぞれ性質の異なるパートだけど、どちらも自分で担当したいと思う。両方とも熱中するほど興味があるから。
――この作品では音楽が印象的に使われていましたが、ドランさんなりのこだわりを聞かせてください。
ストーリーに10年以上のときの流れがある場合には、時代や場所を示す目印として音楽が必要なときもある。だけど、そういった役割だけではなく、音楽はぼくが生み出した登場人物の人生に寄り添う存在なんだ。登場人物たちに自分が何者なのかを思い出させ、彼らが愛した人びとを喚起させる。忘れられた人びとを忘却から呼び戻し、悲しみを和らげ、罪のない嘘、打ち捨てられた野望の数々を思い起こさせることも。音楽には、ぼくら個人の感情に働きかける力がある。監督や俳優、カメラマンも自由に操ることのできないインパクトを持った、唯一の要素なんだ。音楽が“映画の魂”と言われるゆえんはそのためだと思う。
ゲイへの偏見が薄れはじめた時代
――今回の作品は、なにに影響を受けていますか?
準備のために、アマゾン(Amazon)やイーベイ(eBay)で、ファッション誌、アートブック、写真集を何十冊も買った。なかでも、特に影響を受けた人を挙げるとしたら、写真家のナン・ゴールディン。あと名前を思い出せない人たちも山ほど。構図に関しては、マティスやタマラ・ド・レンピッカ、シャガール、ピカソ、モネ、ボッシュ、スーラ、モンドリアン。色彩に関してはクリムト。映画に絞っていえば、『欲望という名の電車』のマーロン・ブランドに、一瞬だけど非常に厳密な形でオマージュを捧げている。
執筆中に読むもの、目にするもの、聞くもの、そのすべてから触発されるのはよくあること。それがたとえ自分の趣味や好みじゃなくてもね。まずなにかに感動する。その“なにか”に影響を受けて、ぼくらはぼくらなりの表現をめざす。想像力による伝言ゲームだね。いずれにしても、映画におけるあらゆる表現はすでになされている。ひとりの映画人としていくつか野望はあるけれど、自分がスタイルや学説を発明した、なんていう思い上がりで時間を無駄にするつもりは一切ないよ。
――映画の時代設定を、1980年代後半から90年代にしたのはなぜですか?
この作品をぼくの幼少期に設定するのはごく自然な選択だった。当時はゲイ・コミュニティに対する偏見も薄れはじめて、エイズにまつわる排他的先入観もようやく収まりはじめていた時代。“鉄のシャッター”が上がったんだ。その時代を経て、社会は自由をまとい、なにもかもが許される時代になった。
主人公のロランス・アリアが、この時代の高揚感に乗じてサバイバルを思いついたのは、とても理にかなったことだけど、当時トランスセクシュアルは、おそらく最後のタブーだったように思う。だからロランスは、崩れる寸前でなかなか崩れない壁にぶつかってしまう。いまでもトランスセクシュアルの教師は、子どもを狭い鳥籠のなかに押し込めていたい両親らの不安をかきたてるだろうね。
ぼくから見れば、トランスセクシュアルは“差異”を表す究極の表現。10年というときの流れのなかで、社会が本当の意味でどれほど変わったのかを考察するのに、1990年代ほどしっくりくる時代はなかったんだ。今回の作品はこの論議を提示しつつ、その表層をかすめているにすぎないけどね。