連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第23回『日日是好日』
連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ
第23回 世の美しきことに気づく感受性を
『日日是好日(にちにちこれこうじつ)』
忙しく日々を過ごしていると、つい、立ち止まることを忘れてしまう。この世には、立ち止まらなければ気づくことのできない美は多い。喧噪の合い間に聞こえる鳥のさえずり、ひっそりと道端に咲く野花、しっとりと大地を濡らす霧雨、すべてを輝かせる陽光――。ありふれたものの中にある美に感謝できれば、“日日是好日”を実感できる。そんな感性を通して人生の美しさを謳った映画が公開となる。
Text by MAKIGUCHI June
自分の感受性を守るための何かを持つ豊かさ
映画『日日是好日』は、かつて週刊朝日の名物連載「デキゴトロジー」を担当していた記者、森下典子氏のベストセラーエッセイを映像化した作品だ。
原作となった著書『日日是好日「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』には、おっちょこちょいで不器用な著者が、ひょんなことから茶道を始め、何度も挫折しそうになりながらも稽古を続けた25年が綴られている。
就職に悩み、恋に傷つき、父との死別に打ちひしがれたそんな時にも、お茶が傍らにあることで、季節の移ろいを感じ、儚いものの中にある永遠性を感じ、人生の喜びを知り成長していく典子がとても愛おしい。特に、子供の頃にはわからなかったフェデリコ・フェリーニの『道』に涙を流すようになったというエピソードは、映画ファンの心に響く。
原作エッセイ、そして映画のタイトルとなっている“日日是好日”とは、茶道の師匠を訪れた典子が、最初に目にした言葉だ。茶の神髄を象徴する禅語のひとつで、“毎日がよい日”という意味を持つ。
雨の日も晴れの日も、喜びの日も悲しみの日も、一瞬一瞬をあるがままに良しとして精一杯生きれば、毎日がかけがえのない素晴らしい日である、ということなのだ。
本作を観ていると、自分もそんな風に生きたいと憧れを抱かずにはいられない。あるがままを受け止め、何があっても動じず、自然の一部であることを認める、そんな生き方。
それは何も感じないこととは正反対だ。その一瞬を懸命に生きるということは、生命としてあるべき感受性を研ぎ澄まし、自分を取り巻くものごとに感謝し、世の摂理を受け入れることから始まるのではないかと思う。
では今、自分を取り巻く美しいものに気づけず、感謝できないでいるとしたら、いったい何のせいなのか。頭を占める憎しみや恐れのせい? 周りにあるネガティヴなものばかりに気を取られるのは、不条理な世界のせいなのだろうか?
きっと違う。きっと自分の感受性のせいなのだ。忙殺され、心を忘れたことを誰かや何か、自分以外の他のもののせいにしていないか。そう思い至ったとき、ふと、茨木のり子の詩の一編が心に浮かぶ。
「駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ ばかものよ」
(詩集『自分の感受性くらい』より/花神社刊)
スタイルは違えども、この詩には茶道に通じる凛々しさを感じるのだ。茶道には、鈍感になった感受性を蘇えらせてくれるような力がある。
茶道が確立された頃、日本には戦いが絶えなかった。命がいとも簡単に消え、今日あったものが明日は無くなることが珍しくなく、価値観があっさりとひっくり返されることが多かった時代に、武将たちにとって茶室という小さな空間だけは、生き物としての心や尊厳を忘れずに存在できる貴重な場だったのではないだろうか。茶席は、激動の世の中で、人としての感受性を守ることのできる数少ない時間だったに違いない。
茶道が気づかせてくれる心のありようとは、樹木希林が演じた典子の師匠が言う言葉に集約されているのだろう。
「私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって」
それこそが、人生における真の喜びだ。春には桜を愛で、夏には蝉の声を聞きながら焼け付くような太陽の光を浴び、秋には紅葉や実りを楽しみ、冬には身を切るような寒さの中ふとした温かさに心をほどいていく。
きっと、この物語に描かれている茶道は、茶道であって茶道ではない。気づきのきっかけの象徴なのだ。気づきがあれば、人生はいったいどれほど鮮やかになるのだろう。
典子にとってのお茶のように、どこかぎすぎすとしたこの世の中で自分を保つための何か、自分の感受性を守ることのできる何かを持っていることはなんと豊かで強いのか。本作は、物質的なことに惑わされがちな私たちに、今こそ心を満たすすべを持てと優しく教えてくれている。
★★★★☆
日常に宿る美を再認識できる一作。お茶の師匠を演じる樹木希林さんの名演にも注目。
『日日是好日』
主演:黒木華 共演:樹木希林 多部未華子
監督・脚本:大森立嗣
原作:森下典子著『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』
配給:東京テアトル/ヨアケ
http://www.nichinichimovie.jp/
©2018「日日是好日」製作委員会
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