連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第8回『幸せなひとりぼっち』
連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ
第8回 愛する人と伴に生きた幸せを抱き続ける男の物語
『幸せなひとりぼっち』
あなたにとって幸せとは何だろうか。価値観が多様化する現代では、自分らしい幸せを知ることが、何よりも幸福への近道だろう。誰にも理解されなくとも、世間に認められなくても、例えひとりぼっちでも、自分の生き方次第で幸せであり続けることは可能なのだと教えてくれているのが、スウェーデン映画『幸せなひとりぼっち』だ。
Text by MAKIGUCHI June
新しい出会い、そして人生に芽生えた新しい意味
スウェーデン郊外の住宅地に暮らす59歳のオーヴェは、最愛の妻を数年前に亡くした男やもめだ。自治会の規則に厳しく、顔を合わせれば文句ばかりでにこりともしない彼は、隣人たちからけむたがられている。ある日、43年も勤めた会社から解雇され、もはや生きる意味なしと、亡き妻の後を追うことに。ところが、天井から垂らした縄に首を通し「いざ」というときになって、外が騒がしくなる。新しい隣人が引っ越してきたのだ。それからオーヴェの日々は、自殺どころではなくなってしまう。向かいの家で暮らし始めたイラン人のパルヴァネ一家が、何かとオーヴェに関わってくるのだ。手料理を持って来たり、車の運転を教えてくれと言ってきたり。文句を言われても怒鳴られても一向にめげない彼らに、オーヴェはいつしか根負けして心を開き始め、妻との思い出を語り始める。そこには、愛に溢れた愛妻との日々があった――。
時折挿入される回想シーンによって、まるでヴェールを一枚一枚めくるかのように、オーヴェがいつも不機な理由が徐々に明かされていく。母を早くに亡くしたものの、父親に深い情愛を持って育てられてきたこと。父を亡くしひとりぼっちになった彼を、明るい光で照らし寄り添ってくれた女性がいたこと。そして今は彼らを失ってしまっていること。そういった過去を知ることで、観客の心には、やっかいな偏屈男が本当は、とても豊かな人生を歩んできた愛すべき人物であることが深く刻まれていくのだ。
監督は豊かな人物描写で、人と人との温かな関わりを、心に染み入るような慈しみ深い視点で綴っていく。ちょっとした視線、短いセリフ、とびきりの笑顔。そんな日常的な何気ない描写の一つひとつに、人生の素晴らしさをたっぷりと詰め込み、それらを丁寧に重ねるようにしてオーヴェの人生を描いていくのだ。
目には見えない“人が人を想う気持ち”を手に取るように表現する演出が、とても素晴らしい。例え今はひとりぼっちでも、愛し愛された記憶は決して揺らぐことはないのだと力強く語りかける本作には、劇的な出来事などない何気ないシーンで、幾度も号泣させられた。
オーヴェが、今や隣人にとって偏屈な頑固男でしかないのは、不器用な彼と社会とを繋ぐ“通訳”のような存在がもはや失われていたからだろう。にこやかで料理上手な妻はまさに、そんな存在だったのだ。だがパルヴァネ一家という新しい“通訳”が現れたことで、オーヴェは新しい幸せを見出す。愛した者たちは皆すでにこの世を去り、オーヴェ自身もこの世に何の未練もない。そんな状況だったはずなのに、生きてさえいれば人生に新しい意味、新しい意義を見つけることは可能なのだろう。
オーヴェという男の人生に、どうしようもなく胸が熱くなる『幸せなひとりぼっち』。家族の愛をことさら強く感じるこの季節に、本作は、あなたとあなたの大切な人にとって、かけがえのない贈り物になることだろう。
★★★★★
温かい気持ちが心の内からふつふつと湧きあがる。ツボに入れば号泣必至。
『幸せなひとりぼっち』
監督・脚本 ハンネス・ホルム
出演 ロルフ・ラスゴード、イーダ・エングヴォル、バハー・パールほか。
12月17日(土) 新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー
牧口じゅん|MAKIGUCHI June
共同通信社、映画祭事務局、雑誌編集を経て独立。スクリーン中のファッションや食、音楽など、 ライフスタイルにまつわる話題を盛り込んだ映画コラム、インタビュー記事を女性誌、男性誌にて執筆中。