連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「江戸川橋編」

ホテル椿山荘東京の春の庭園

LOUNGE / FEATURES
2020年4月14日

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「江戸川橋編」

第20回「矜持を持ったプロが多く存在する街・江戸川橋」

ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」のボードメンバーの伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なサンシャインジュースと対極にある、街の様々な人間臭いコンテンツを掘り起こしては、その歴史、変遷、風習、文化を探る。第20回は、神田川が流れ、緑も多く感じられる江戸川橋にフォーカスする。

Photographs and Text by IJICHI Yasutake

日本ならではの四季折々の刹那的な表情を楽しむ

江戸川橋。ビジネスエリアの江戸橋のことでも、東京最東端の江戸川区のことでもない。文京区の江戸川橋。

江戸川ではなく神田川に架かる橋なのに江戸川橋、というのはなぜだろう。そう思って調べてみたら、どうやら神田川中流部分の名称をかつて江戸川と言ったようで、この付近一帯が江戸川と呼ばれていたことが由来のようである。江戸川の名称は1970年に消滅し、神田川に変更された。そしてそれから間もなくして1973年に南こうせつとかぐや姫のあの名曲「神田川」が生まれた。
それにしてもこの辺りは彩りが豊かである。江戸川橋から江戸川公園を抜けていく道は、春の桜のピンクから夏の新緑そして秋の紅葉と、まさに日本ならではの四季折々の刹那的な表情が楽しめる。コロナ禍の今はゆったり落ち着いて散策がすることできないかもしれないけれど、落ち着いたらぜひ足を運んで季節を感じてほしいエリアだ。
江戸川公園を抜けていくと「ホテル椿山荘東京」がある。近くには、「鳩山会館」「旧細川伯爵邸」のお屋敷や「関口芭蕉庵」などの史跡が軒を連ね、ここも山縣有朋が西南戦争の功で得た財で購入したと言われる邸。東京のホテルでは比類なき広大な庭園は、陽の光をめいっぱい感じられる贅沢な空間になっている。
椿山荘は、私が20代前半だったまだフォーシーズンズだった頃に、時の先輩から「椿山荘のロビーラウンジのアイスティーが美味いんだよ」と教わった。古き佳きラウンジ「ル・ジャルダン」で出てくるアイスティーは氷も紅茶で作られたもの。庭園の緑に囲まれた中で味わうそれは至高の味わい。五感で味わう美味しさとはまさしくこのこと。ル・ジャルダンはそれ以来、心の渇きと喉の渇きを同時に癒してくれる安穏スポットとなった。無論、桜や紅葉の時期は人気となって2,3時間待ちはザラになるから注意が必要。
さて、江戸川橋はあまり馴染みがないという人の方が多そうだが、良い意味合いで適当な場所ということを知っておくといい。電車の便は有楽町線のみだけれど、車なら都心部、例えば六本木辺りからでも外苑東通り一本で約15分と意外に近い。また上述したようなお屋敷や史跡などに加えて、食事処も歴史が根付く老舗名店は多い。明治43年(1910年)創業の「石ばし」と天保6年(1835年)創業の「はし本」は言わずと知れた鰻の名店。日本で初めてフランスパンを製造販売した「関口フランスパン」も明治21年(1888年)創業で、ここ江戸川橋にある。椿山荘と反対側の南側を上がれば、すぐ神楽坂と言った具合。一方で、駅周辺には大衆的で日常的なお店も多いのが嬉しい。
例えば、町中華の雄「新雅」。神田川に隣接並行する路地に新雅は、都内屈指のチャーハンの名店として名高い。昼時は並ぶ。1時間くらい待つのは平時でも覚悟した方がいい。私は“並ぶ店”や“予約が取れない店”は基本的に好きではない。唯一無二の絶対価値を誇るそこでしか食べられない食材と調理方法は例外として、相対比較としての価値だったならよほど人気があったり人に勧められたりしても主体的に行くことはほとんどない。それでも、新雅なら“並ぶのもありかな”と思ってしまう。
チャーハンはしっとりともさらさらとも言えない。麺類や餃子に特別な個性があるわけではない。けれど、どれも適当な塩梅で、絶対的に美味しい。町中華はニュアンス的には「美味しい」より「旨い」という表現が妥当だろうが、新雅のニュアンスは「美味しい」。ボリュームもばっちりだけど表現は「美味しい」が妥当な気がする。清潔な店内と明るい接客。晴れた日なら“並ぶ”という行為も含めて、その高揚感を楽しみたい、そんなお店だと思っている。
それから、天ぷらの「天仙」。平成元年(1989年)創業。江戸川橋のふもとにある巨大なプラザ江戸川の半地下で味わいある門構えが迎えてくれる。カウンター数席とテーブル席が2,3の小さなお店は、カウンター前の板場で黙々と揚げてくれる店主と歯切れがいい女将が切り盛りしている。ここも昼時は並ぶ覚悟が必要だ。
ランチは、かき揚げ天丼と海老野菜天丼が1200円、特製天丼は1800円、コースも確か1500円と3000円とリーズナブルだった記憶だ。特製天丼は、海老2本、きすとアナゴ、かき揚げ、海老が入った大ぶりの椎茸、しし唐2本。これだけ入って1800円。大手チェーンの天丼屋ならまだしも、店主が目の前できちんと揚げて丁寧に提供してくれる店でこの価格は、令和2年の今異常だと言える。もちろん見た目からしてボリュームも十分。けれど、女性もきちんと一人で平らげられる。それはつまり油が重くなく、タレも辛すぎず甘すぎず、すべてが絶妙に仕上げられているということだろう。美味しくて手頃で、気持ちがいいサービス。これを昼から味わった日の終わりに感じる充足感たるや、である。
そして、大衆割烹「すみれ」。昭和51年(1976年)創業。ふぐ割烹と書かれたやや末枯れた看板には来店意欲をそそられて、手書きのメニューに食欲がそそられる。カウンターとテーブルと小上がりの座敷で、門構えからのイメージよりは意外と広い店内。
ここでは、昭和酒場の象徴「サッポロ赤星」を傾けながら、刺身から天ぷらまで色々とつまみたくなる。ドラマや映画のロケで使われることも多いらしく、一見すると気難しそうな女将が嬉しそうに色々語りかけてくるのが、かわいくてほっこりする。

つまみの定番はイワシのたたき(軍艦巻き)だろう。ここから冬ならふぐにいくのが勝利の方程式。ふぐってこんなに気軽に付き合える相手だったっけと思うけれど、ここでは付き合っていいみたい。肉厚に切られたふぐとの対峙できる幸せ。京都の料亭で修行を積んだ店主が気軽に飲める居酒屋を目指して開いたお店だから、どれも間違いない逸品。それを一人5,000円で食って呑んでできる。金曜夜に気の置けない友人とすみれでゆったり呑む。たぶんそれは最高に幸せなひと時になるだろう。
私たちの当たり前が当たり前じゃなくなってきていると感じることが多い時代。表層的で中身は空っぽなモノに触れることもあるし、一過性のトレンドに塗り固められたコトにお金や時間を費やすこともある。楽しみ方は人それぞれだし、そういう過程を踏むのも大事。だけど、そればっかりでそれが続くと振り回されて精神的に消耗する。できるなら、手間と時間を惜しまずに真っ当な仕事をしてくれる人たちと触れ合いたい。あらゆる面で当たり前の生活が当たり前ではなくなった今だから、「当たり前が何か」を初めて考えるきっかけになるかもしれない。江戸川橋の街には矜持を持った多くのプロがいる。だから刺激的で楽しい。紅葉の頃に「当たり前」の生活が戻っていたら、「当たり前」の仕事をまた味わいに行きたい。
新雅
住所|東京都文京区水道2-11-2
TEL|03-3946-2077

天仙
住所|東京都文京区関口1丁目23-6 プラザ江戸川橋 B1F
TEL|03-3946-2077

大衆割烹すみれ
住所|東京都新宿区山吹町359
TEL|03-3260-5576
伊地知泰威|IJICHI Yasutake
株式会社サンシャインジュース 取締役副社長 1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に従事。その後PR会社に転籍し、PR領域からのマーケティング・コミュニケーション・ブランディングのプランニングと実施マネージメントに従事。30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」を立ち上げ、現職。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman
                      
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