連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「蒲田編」

寿々㐂

LOUNGE / FEATURES
2020年7月28日

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「蒲田編」

第23回「ディープな盛り場がある東京最南端の街・蒲田」

ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」のボードメンバーの伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なサンシャインジュースと対極にある、街の様々な人間臭いコンテンツを掘り起こしては、その歴史、変遷、風習、文化を探る。第23回は、ビルが立ち並びつつも昔ながらの商店街も多い街、蒲田を紹介する。

Photographs and Text by IJICHI Yasutake

ある種の緊張感を持って対峙しながら楽しみたい街

社会人になって最初に入った会社はイベント会社だった。クライアントはリシュモングループやLVグループなどの錚々たるブランドで、エクスクルーシブなパーティやショーの企画制作運営を請け負う会社だった。アウトプットされるA面は華やかな一方、-世の中の仕事のほとんど多くがそうであるように- 表に出ないB面は泥臭い地味な作業の積み重ねだった。“ペーペー”だった僕に与えられた仕事は備品準備。当時アマゾンやアスクルはないので、足りないものがあれば渋谷のハンズやロフトに買いに行き、怪しげなマスクを探しに道玄坂のアダルトショップに行ったこともあった。テーブルクロスの生地探しには蒲田の「ユザワヤ」に行った。
ユザワヤ
僕が記憶の中で初めて蒲田の地を踏んだのはユザワヤに行くためであり、それからしばらくは蒲田=ユザワヤのイメージしかなかった。その後、当時CAだった妻から、蒲田が「餃子の街」であることを聞いた。羽田へのアクセスが良好な蒲田はしばしば同僚らと訪れる街だったようだ。

最初に行ったのは「你好」。それから「歓迎」「金春」も行った。この3店は親戚関係で蒲田の餃子御三家と呼ばれているのは有名な話である。今となっては通販があって全国どこでも你好の餃子は食べられるようだが、当時は「蒲田に你好の餃子を食べに行く」ことが立派な目的意識になりえた。
今は、餃子を目的にして蒲田に行くことはなくなり、蒲田に用事があるついでに餃子を食べて帰ったり、蒲田で飲むことになって2軒目で餃子を食べたりするケースの方が多くなった。行くのは西口なら「金春」、東口なら「春香園」。2つは姉妹店である。いずれも席が狭くなくて、フラッと行ってもすぐに入れることが多いのがその理由。二軒目は、既に酒も入っているし、より深い話をしたいから、窮屈で隣が近い店は回避したいのだ。蒲田名物の羽根付き焼餃子や水餃子、あるいは海老入りやナマコ入りなど様々な餃子をつつきながら、無駄話に花を咲かせるのがだいたいの流れである。
蒲田は、東京の最南端の盛り場と言っていいだろう。餃子だけではなく、庶民的な飲み屋、スナック、ネットカフェや漫喫が猥雑としていて、それぞれしのぎを削っている。それは東口も西口も同じ。だから蒲田のことを何もリサーチせずに何も知らずに訪れたとしても、どこかしかにいい店はあって、賑わいを見せている店に入ってみればいい。とはいえ、僕は完全にノープランで出かけるタイプではないので、行く前にはなんとなく「ここ行ってみてダメだったらあっちかな」などの目星はつけておく。
いとや
例えば、西口のもつ焼き屋「いとや」。これまでも何度か紹介してきた通り、僕はもつが好きである。けれども、火の入り方がどうだとか下処理の仕方がどうだとかその辺に大したこだわりがあるわけではなく、適当に美味しくて居心地よく楽しく過ごせる店ならいい。いとやは、大きなコの字カウンターでつまみながら、店内テレビで野球中継を見られる店。比較的新しいから清潔感があって、トイレを我慢する必要がない。これはもつ焼き屋の選択基準としては相当優位性が高い。希少部位も豊富にラインナップがあって、「あー、それ今日終わっちゃいましたー」とかもほぼない。近所ならひとりで立ち寄れるし、職場が近ければ同僚や友人と行ってもいいし、女性ひとりでも違和感なく溶けこめる。そんな希少なもつ焼き屋である。
それから、西口サンロードの奥にあるうなぎの「寿々㐂」。1935年(昭和10年)神田で創業して1945年終戦の年に蒲田に来たらしい。うなぎは好きだけどここ数年は食べなくなった。ご存知の通りうなぎの価格は急激に高騰した。それこそユザワヤに来ていた20代前半の頃は1000円そこそこで食べられていたのが、いまや店によっては5000円以上。多少の質の違いはあれ、資源が枯渇している事情もあれども、5倍以上の価格になると自然と遠のいてしまう。
しかし、元来うなぎは庶民の生活様式に馴染んできたものであり、そうした楽しみ方もまだできるということも事実。それが蒲田なら「寿々㐂」ということだ。店は21時クローズながら19時頃になると品切れになってしまうメニューも頻発するというから、「仕入れの量を増やせばいいんじゃないか……」と思うけれど、それもご愛嬌。肝焼き、たたき、柳川、うな重とひと通りを楽しみながら酒呑んで、ひとり4000円前後。このくらい楽な感じが僕にはちょうどいい。
サンロードに平行して走る東急線高架下にバーボンロードという通りがある。駅前から奥に入るにつれてスナックやアジア料理店が広がっていく。そこを抜けると「喜来楽」という台湾料理屋がある。
ご夫婦で営む、台湾屋台をそのまま輸入したような佇まいの店で35年前にスタートしたらしい。初めて訪れるときはその佇まいが醸し出す異様なオーラにたじろぐかもしれない。で、それは店内に入ってからも変わらないどころか、そのオーラが勘違いやニセモノではなかったことを改めて認識させてくれる。比類なきアクの強さを発揮するママが、圧倒的な主導権を持ってオススメメニューを提供してくれるのである。
どんなメニューが出てくるのかと戦々恐々としながらも、意外にもシンプルでやさしい料理でもてなされる。最初に出てくる生メンマや糸切り豆腐はあっさりしていて食感がたのしい。シャキシャキした軽妙な歯ざわりがいい龍鬚菜(リュウノヒゲ)や、ウーロン茶で煮込んで八角の香りが染みた茶葉蛋(台湾風煮卵)もおいしい。豚の大腸を使った台湾のソウルフードだという大腸麵線はにゅう麺のようなノドごし。メニューはほぼお任せしてひとり2500円程度。どんな格安航空券でもさすがに2500円で台湾は行けないだろう。ここでは料理だけではなく世界観も含めて体全体で楽しみに行かないといけない。
ユザワヤ、餃子を経て、蒲田に特定のイメージを持つことは今なくなりフラットに楽しめるようになった。しかしながら、蒲田=ディープと多くの人が持っているだろうイメージに違わず、アーケードにクラクション鳴らしながら突っ込んでくる車に出くわしたり、ひとりで物騒な言葉を叫んでいる酔っ払いを見かけたりということはいまだにある。時々ヒヤヒヤするけれど、それも街を構成する要素のひとつだったりする。街を楽しむなら、景色や料理や音楽のようにわかりやすい物質だけではなくて、価値観であり性格であり匂いであり、目に見えないその街特有の性質を感じたい。東京と川崎の間で独自のキャラクターを作ってきた蒲田にはそれがしっかり根付いている。期待感と高揚感にある種の緊張感を持って対峙して楽しみたい。
春香園
住所|東京都大田区蒲田5-22-1
TEL|050-5868-1522

いとや
住所|東京都大田区西蒲田7-29-3 1F
TEL|03-6885-4970

寿々㐂
住所|東京都大田区西蒲田7-63-2
TEL|03-3731-5239

喜来楽
住所|東京都大田区西蒲田7-60-9
TEL|090-4527-3392
伊地知泰威|IJICHI Yasutake
株式会社サンシャインジュース 取締役副社長
1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に従事。その後PR会社に転籍し、PR領域からのマーケティング・コミュニケーション・ブランディングのプランニングと実施マネージメントに従事。30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」を立ち上げ、現職。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman
                      
Photo Gallery