連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「新大久保編」
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2020年12月10日

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「新大久保編」

第25回「時代にアジャストしながら変化し続ける街・新大久保」

「ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本に「コールドプレスジュース」文化を定着させた伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なコールドプレスジュースと対極にある、街の様々な人間臭い文化を掘り起こしては、その歴史、変遷、風習を探る。第25回は、日本有数のコリアンタウンを抱える街、新大久保をナビゲート。

Photographs and Text by IJICHI Yasutake

観光地化が進むコリアンタウン

僕は中学から大学卒業以降までの約10年間、人格形成において重要な多感な青春時代を新大久保で過ごした。小学校時代は千葉で過ごし、祖母が池袋だったとは言え、東京の遊び場と言えば、原宿をようやく卒業して新宿や渋谷に少しずつ足を運ぶようになった時期。
それ以外の街のことは個性や世界観はおろかどこに何があるかもほぼ知らない状態で、新大久保に引っ越すことになった。池袋育ちの母が、「まさか新大久保に住むことになるとは思わなかった」と言っていたその意味もよくわからず……。
         
僕が住んだのは、百人町。今で言う「イスラム横丁」と呼ばれる通りを抜けた先だった。今は「グリーンナスコ」「ジャンナットハラルフード」といったハラルフードや世界各国の各種スパイスを取り揃える店が立ち並び、「大間水産」「新宿八百屋」などの卸し売り兼一般販売もする魚屋と八百屋もあって、近隣どころか遠方からもそれ目的で訪れる人が絶えない、志向性の高い人たちには垂涎ものの通りとなっている。けれど当時は、本屋が2軒、古本屋もあって、街の服屋や100円ショップが立ち並ぶ何の変哲もない小規模商店街だった。
新大久保はここ十年くらいで大きな変貌を遂げた。僕が住んでいた当時2000年前後の新大久保はまだ、西戸山公園にはブルーシートが大部分を占め、早朝はリアカーを引く人たちが車道まで溢れかえっているような、そんな街だった。登校時、通学路にマスコミ車両が集まっているから何かと思ったら殺人事件の現場処理だったということもある。夜は夜で21時頃にもなると駅前に性を生業にする女性たちが立ち並び、TSUTAYAにビデオを借りに行けば確実にお声がけを頂いたし、交番前を通ればたいがい職務質問も頂いた。そんなわけで、引っ越して1~2年も経った頃には、母の短い言葉に内在された意味合いが粗方理解できていた。
現在の新大久保はと言うとすっかり浄化され、明るく賑わう観光スポットと化した。駅前にはチーズダッカルビやチーズハットグを片手に歩く多くの若者が集う、チーズの街と化した。昔ながらの人間臭いコリアンタウン新大久保は好きだけど、客寄せ目的の画づくりのための商品にはあまり興味がないので、日中新大久保に行く用事があれば駅前の老舗でおいしい蕎麦でも啜ることにする。
         
駅前、横断歩道で信号待ちをしていると見えるのは、明治32年創業の看板を大きく掲げる「近江家」。数年前に改装しているから佇まいはクリーンで新しいけれど老舗中の老舗、町の蕎麦屋とは一線を画した本格蕎麦屋である。浅草で修行した初代が麻布で開業し、新大久保に移ったのは大正5年(1916年)とのこと。新大久保で100年以上も続いているわけだ。昼の丼ものから酒のアテ、あさり南蛮やカレーせいろなど興味をそそられるものまでメニューは豊富で、何を食べるか迷ってしまうが、駅前の喧騒を抜けてきているので、定番の天せいろで一息入れたい。
             
天ぷらは海老としし唐の二種とシンプルながら素材の食感をしっかり残してサクッと揚げた天ぷらは、蕎麦との相性抜群で美味い。さっぱりした蕎麦湯と蕎麦茶もしっかり身体と心をすっきりさせてくれる。濃厚な新大久保の駅前の本格的でありながら気軽に楽しめる蕎麦屋は、コッテリが苦手になってきた昭和生まれの僕らの心の拠り所になってくれるだろう。
さて、新大久保が変わったと言っても、長年の蓄積で街に根付いたカルチャーやシーンを根こそぎ浄化することは、一朝一夕にできない。まだきちんと面影を残している場所もある。新大久保から少し外れるが、総武線を隔てて大久保駅から小滝橋通りまでの一角はそのひとつ。久しぶりに訪れても昔と変わらない風景がそこにはあって、ほっとする。
来年2021年で創業50年となる駅前の喫茶店「ツネ」のマスター曰く、総武線が土手の上にあるからこの一角は開発の手を入れにくいそうで、「土手のおかげでこっちはなんとか残っているけど、あっち側(大久保から新大久保側)はどうにもなんなくなっちゃったねー」とマスターは言っていた。
         
一見すると、ツネは煙草を燻らしながら商談ができる昭和の純喫茶かと思いきや、世界各地のコーヒーを取りそろえて昼時は軽食もいただける硬派なコーヒー喫茶。仲が良さそうなご夫婦が切り盛りし、柔らかい笑顔で接客してくれる。半世紀の間続いている理由は、土手のおかげだけじゃないことがよくわかる、あたたかいお店。ご夫婦が続けてくれる限り、新大久保に行ったときは立ち寄りたい店だ。
新大久保駅の前を通る大久保通りから新宿側の職安通りに抜ける界隈も、韓国コスメや雑貨屋が増えたものの、昔から変わらない店もある。この界隈には昔から数多のラブホテルと性風俗、そして韓国料理屋がある。
僕が住んでいた頃、とにかく新大久保に居がある利を余すことなく享受すべく、当時はてっぺんまわってもギンギンで営業していたから、近所に住む友人とあらゆる店に足を運ぶことを心がけた。焼肉屋なら「くれないの牛」「大使館」はなくなってしまったが、「美苑」なんかは今も残る懐かしい店だ。中でも当時からすでに老舗の風格を持っていたのは、職安通りで長年煌々と輝き続けるドン・キホーテを挟むように構える韓国料理店、「ハレルヤ」と「松屋」で間違いないだろう。
                     
           
         
新大久保に引っ越した当時、家族で初めて外食した界隈の店がハレルヤだった記憶。有名な女優さんが大勢でワイワイ楽しまれていたのが印象深い。今も当時と変わらないお座敷。トマトやニラなどの各種キムチ、カボチャやナスにレンコンなどの各種ナムルをつまみに、チャプチェあたりも追加してマッコリを飲んでいると、気づいたらお腹いっぱい。鍋には辿り着けなくなってしまうくらい、存分に韓国料理の楽しさを教えてくれる。松屋は味わいのある店構えが目印。こちらもお座敷スタイル。ここはカムジャタンが人気なので初回訪問では食べ損ねないようにしないといけない。豚のコラーゲンが溶け込んだスープはまろやかで、ホクホクのじゃがいもと相性は抜群だ。
韓国料理と言えばここ数年は、新大久保駅の裏手の「韓味(ハンミ)」にも好んで通っている。きれいでゆったりした店内と、細かいところに目を配りながら切り盛りする寛容なオムニ(ママ)のに安心して包まれて、居心地が良いのが理由。
                     
ここで外せないのはコッチョリキムチと言ったか、サラダのように爽やかでシャキシャキしたキムチ。熟成させない、いわゆる浅漬けキムチ。酸味が少なくて甘さと胡麻油の香りが引き立った、また白菜のフレッシュな食感が際立つキムチ。いくらでも食べられるから、野菜の機能的恩恵をふんだんに体内に取り入れている感覚がたまらない。オムニの“トゥルットゥル”できめ細かな肌ツヤが毎回素晴らしく感嘆するのだけれど、それはおそらくコッチョリキムチのおかげだろうと勝手に推察している。コッチョリキムチとポッサムとチジミを頂いてマッコリが飲めれば、もう今宵は大満足。
20世紀まではディープなコリアンタウンだった新大久保も、韓流ドラマやK-popの流行を機に2000年以降は観光地としてのコリアンタウンとなった。けれど、外形的な変化をどれだけ遂げようと、やはり変わらない、変えられない部分はある。そもそも、新大久保に韓国人が移住し定着し始めたのは明治時代からともいわれているから150年近い歴史がある。それだけ長く積み上げられてきたものはそう簡単には崩せない。
そこにさらに、現在はミャンマーやベトナムなどの東南アジア諸国から移住してきている人も増えているというから、おそらく新大久保には移住してきた人たちが定着しやすい何かがあるのだろう。多くの人種が集って交差すれば、独特な文化も生まれる。
           
歴史に担保されて作り上げられた土台に、新しい要素が積み重なって、また新しい街が生まれる。“浄化”や“開発”という名のもとの“文化の破壊”に巻き込まれることなく、時代にアジャストして変化をしていく新大久保には、街を離れた今も、この先も寄り添っていたいと思っている。
                                                   
近江家
住所|東京都新宿区百人町2-4-1 サンビルディング 1F
TEL|03-3364-2341
ツネ
住所|東京都新宿区百人町1-24-16
TEL|03-3371-5383
ハレルヤ
住所|東京都新宿区百人町1-5-6白荻ビル 1F
TEL|050-5868-6399
松屋
住所|東京都新宿区大久保1-1-17ひかり荘 1F
TEL|03-3200-5733
韓味
住所|東京都新宿区百人町1-10-11フレスカ 1F
TEL|050-5485-7231
伊地知泰威|IJICHI Yasutake
1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に携わる。PR会社に転籍後はプランナーとして従事し、30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」の立ち上げに参画し、2020年9月まで取締役副社長を務める。現在は、幅広い業界におけるクライアントの企業コミュニケーションやブランディングをサポートしながら、街探訪を続けている。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman
                      
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