長田新子(渋谷未来デザイン)× 三浦伊知郎(KDDI)対談。変化の時代に必要な人材・キャリア・働き方とは? | au 5G
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2021年2月17日

長田新子(渋谷未来デザイン)× 三浦伊知郎(KDDI)対談。変化の時代に必要な人材・キャリア・働き方とは? | au 5G

au 5G|渋谷5Gエンターテイメントプロジェクト 

「渋谷 5G エンターテイメントプロジェクト」に個性的な人たちが集まる理由

一般社団法人「渋谷未来デザイン」の理事であり事務局次長を務める長田新子氏と、KDDI株式会社 革新担当部長の三浦伊知郎氏による対談。長田氏はかつてレッドブル・ジャパンのマーケティング本部長として、エアレース開催など数多くのイベントを仕掛けてきた。一方、三浦氏も前職のディーゼル・ジャパン時代に大規模なアニバーサリーイベントを行うなど画期的な取り組みをしてきたことで知られる。
ユニークなキャリアを持つふたりは現在、KDDI / 渋谷区観光協会 / 渋谷未来デザインによる3者共同プロジェクト『渋谷エンターテイメントプロジェクト』における仕事仲間。同プロジェクトは、2020年5月、渋谷区公認の「第2の渋谷」として誕生した『バーチャル渋谷』を生み出した組織でもある。ここでは、バーチャル空間に渋谷を再現するという革新的な試みが生まれた背景を探りながら、変化の時代に必要な人材やキャリア、働き方を探っていく。

Text & Edit by TOMIYAMA Eizaburo Photo by MAEDA Akira

ノキアからレッドブル。NTTからディーゼルへの転職

三浦 長田さんは昨年、書籍『アスリート×ブランド―興奮を分かち合うスポーツシーンのつくり方―』を上梓されるなど多方面で活躍されています。そこで今回はキャリアや仕事についてのお話ができればと思っています。
長田 三浦さんと初めてお会いしたのは2007年ですよね。当時ディーゼルにいらしてパーティで紹介されたのを覚えています。ただ、ちゃんとお話ししたのは、「ビッグビーチフェスティバル」の会場だったと思います。
三浦 長田さんは、レッドブルで働かれる以前はノキアにいらしたんですよね。
長田 そうです。レッドブル・ジャパンには2007年に転職しました。これまでと全く違う業界に行きたかったというのが大きくて。当時、通信業界からFMCG(日用消費財)への転職は珍しかったこともあり、逆にチャンスかなと思ったんです。スポーツ観戦とかが好きだったこともありますけど。
三浦 僕はNTTから外資系の広告代理店を経て、ディーゼル・ジャパンに転職したんです。広告代理店で担当していた案件が、IBMのミドルウェアのコミュニケーション設計というあまり自分事化できるサービスではなかったので、身近でわかりやすいプロダクトでマーケティングをしたかった。
長田 そうか、お互いキャリアのスタートが通信業界なんですね。
三浦 しかも、レッドブルもディーゼルも目指していたところが似ていましたよね。両社ともチャレンジングな会社なので、そういう縁もあってビッグビーチでお会いしたんだと思うんです。
長田 ノリノリな感じの人がいるな~と思っていたから(笑)。結構、強烈に憶えてます。

異業種への転職はカルチャーショックが必ずある

三浦 あははは。レッドブルもそういう方たちが多かったと思いますけど、入社当初はカルチャーショックとかありました?
長田 入社初日にスーツで行っちゃって、すごく場違いで驚きました。でもいろいろな人がいる環境は慣れると逆にやりやすいですよね。
三浦 スーツではなかったですけど、僕はアパレルということもあって、最初はコーディネート・チェックをされている感じがして怖かった(笑)。
長田 試されてる感。「この人、誰?」みたいなのはどこでも最初はありますよね。
三浦 そうそう、まずは「お手並拝見」みたいな空気はある。実はみんないい人ばかりで、最終的にはすごくいい会社でしたけど。でも、カルチャーショックがガツンとあって、そこからどうフィットさせていくかはKDDIでも同じだったかもしれない。
長田 チャレンジってそういうものですよね。でも、新しい職場には可能性を感じていたわけですよね?
三浦 可能性はすごく感じていました。ディーゼルが良いブランドであることはわかっていましたし、自分がやれる伸び代もあると思っていましたから。長田さんはどうですか?
長田 ノキアは通信系の会社なので、携帯電話の端末だけでなくさまざまなサービスがあるわけです。一方、レッドブルは商品がひとつしかない。売れなかったら撤退という話も出てくるでしょうし、そこの違いは感じました。一方、ブランドやカルチャーを形作るアセットはたくさんあって、F1から音楽までコンテンツはたくさんあるわけです。その面では自分がやってきたことを生かせるのかなって。

大事なのは目の前の仕事を全力でやること

三浦 転職のモチベーションって「自分を生かせる」とか、こっちのほうが「やりがいがある」とか、そういうものですよね。
長田 私の場合、それまでB to Bの要素が強かったので、本当の意味でのコンシューマーマーケティングをやりたかったのが大きかったですね。
三浦 そこも一緒ですね。突然哲学めいた話になりますけど、僕はその都度、その環境に合わせて全力で生きようとやってきたんです。学生のときには世界中を旅するバックパッカーをやっていて、NTTに入社して、そこでやり切ったと思えた時点で自分にとってのベストを探したんです。そうしたら「転職」という答えが出てきた。
転職って会社をどう捉えるかだと思うんです。入社することを「結婚」と表現する人もいますけど、僕は結婚というより「彼女」ができた状態だと思っているんです。彼女だとある程度は変遷していくじゃないですか。つまり、自分のライフステージによって合う会社と合わない会社が出てくるし、自分の成長によって相性も変わってくる。ひとつの会社を勤め上げることはとても素晴らしいことだと思いますが、それだけが「正しいあり方」ではないと思っています。大事なのは目の前の仕事を全力でやり切って結果を出すことであって。
長田 私の場合は上に昇っていきたいというより、自分の興味を「横」に広げていきたいと思っていて。つまり、キャリアの幅を広げていきたい。そうすることで人生の豊かさも生まれてくると思うんです。人と出会うことで一緒に仕事をしたい人にも出会えるし、次に何かをやるときに広がっていく。そういうなかで自分自身も成長してきた気がします。

若いときに「NO」なんて言ってたら選択肢がなくなっちゃう

三浦 マーケティングは以前からやりたかったことでしたか?
長田 まったく考えてなかったというか、そんな余裕もなかった。最初の会社では営業もやっていて。いろいろやっているうちに、「こういうのやってみたら?」と言われたことを「NO」と言わずにやってきたんですよね。若いときに「NO」なんて言ってたら選択肢がなくなっちゃうじゃないですか。すべては「やってみます!」からスタートしています。
三浦 そうやって自然とマーケティングの仕事が増えていったんですね。
長田 レッドブルのときも、最初はマーケティングとコミュニケーションの部署が分かれていたのが、「両方一緒にマネージしたら?」と言われて「じゃあそうします」って。流れに身をまかせながら、自分のやりたいことを徐々に主張するタイプですね。
三浦 キャリアを振り返ると、自分は営業とマーケティングの両方をやっておいて良かったなと思うんですよ。とくに営業の経験は大事だと思う。
長田 お金だけ使っていても、モノを売る気持ちがわからないですからね。
三浦  例えば10万円のマーケティング費用を使うにしても、「これはデニムを何本売ればいいんだ?」という計算が働く。何十本も売って初めて使えるお金、という視点を持っているかどうかでいろいろと違ってくると思う。
長田 私が営業をしていた頃は、システム導入とか高額なものが多かったので。その企業がなぜ今これが必要なのか、導入することでどう変わっていくのかとか、そこをすごく考えていたんです。だから、単に売るだけではなく、その会社や働く人たちがどうハッピーになるのか、何が変わるのか、そうなって初めてどうマーケティングをしていくのかが大事になってくる。両方やるとお互いのありがたみがわかりますよね。

チャレンジ精神や面白そうという好奇心がモチベーション

――レッドブル時代の長田さんは公道にF1を走らせたり、千葉の幕張でエアレースをしたり、ストリートでのイベントを仕掛けたりなどたくさんやられてきました。三浦さんもディーゼルとして大型のイベントを数多く開催していましたよね。そんな面白そうな環境を去ろうと思ったきっかけは何ですか?
三浦 僕なりにやれることを全部やってみたんですよ、これ以上新しい手法が思いつかないくらい。そうしているうちに、自然とタイミングが来たんです。若手にポジションを渡して、自分は次のキャリアにいくべきだろうと。
しばらくして、もう一度大手の日本企業で何かチャレンジしてみたいという思いが生まれて、ご縁があってKDDIに入ったんです。たまたまですが、そのタイミングも長田さんと一緒でしたね。
長田 2017年ですよね。私の場合はそれまで外資系企業しか知らなかった。なので、日本の会社とか「まちづくり」みたいなのは面白そうだなって。そんな中、こういう組織(渋谷未来デザイン)が立ち上がるということで、退社する3ヶ月くらい前からボランティアで手伝っていたんです。やっているうちに、新しい企業の力や自分のネットワークを生かして、人や街のために何かやれそうだなと。本当の意味で新しい組織になりそうだと思ったので転職を決意しました。最初はみんな驚いていましたよ。
三浦 僕も驚きましたもん。
長田 立ち上がったばかりで誰も知らないから、みんなデザイン会社に入ったのかと思ったみたい(笑)。
――渋谷未来デザインが牽引する「まちづくり」や、KDDIによる「5G」を生かしたバーチャル空間など、次世代トレンドを追いかけているようにも見えます。
長田 そこは全く考えてなかったですね。
三浦 僕も全くなかった。結果的にそうなっちゃいましたけど。

まちづくりは相手が「消費者」ではなく「生活者」だから難しい

――それよりもよりマスに向けた、幅広いコミュニケーションがしたくなったということですか?
長田 マーケティングの観点でいうとふたつあって、ひとつは「渋谷」というブランドが魅力的だったことがあります。世界に向けてブランディングやマーケティングができる可能性がある。渋谷区民でもあるので、住んでいる場所への愛着もありますけど。
もうひとつは、ターゲットが「消費者」ではなく「生活者」だということ。働いている人も含め、渋谷で生活する人たちに街を好きになってもらったり、住み続けてもらったり、働く場所や活動する場所を作ったり、そこはこれまでの視点と全く違うんですよね。「訴求したい層に対してメッセージやモノを届ける」的な発想とは違う。そういう意味では本当に難しくて、マーケティングという表現が正しいかは抜きにして、幅広い生活者のためにどういうことをすればいいのかを考えることは新しいチャレンジなんです。
三浦 KDDIが渋谷未来デザインと取り組むことになったのは、「長田さんがいるなら、これはいけるだろう」というのも大きかった。誤解されたなくないのは、当たり前ですけど僕個人でやっているのではなく、あくまで組織としてやっているプロジェクトです。でも、会社に「こういう話がある」と胸を張って提案できたのは、長田さんがいらっしゃったからこそ。さらに、KDDI社内に理解のある仲間がいて、本気で取り組んでくれる優秀な社員たちがいた。
長田 バーチャル渋谷が生まれる、一年半くらい前からすでにいろいろな実験をしてきましたからね。
三浦 当初はスクランブル交差点に人が多すぎるとか、オリンピックになったらオーバーツーリズムのような問題が起きそうだとか。さらには、街の魅力をもっと知ってもらうことで回遊率をあげたい、などの課題がいろいろあって。KDDIとしては、ARやVRなどのテクノロジーや5Gを使って、それらの課題を解決していこうと取り組んできたわけです。

最新テクノロジーを使っていても最後は「人」であり信頼関係

長田 コロナ禍によって、突如「バーチャル渋谷」ができたように思われがちですけど、そうではない。
三浦 そうなんですよ、これまでにもすごいスピードで実験を重ねてきた。でも、長田さんと一緒にやっていて思うのは「やること」の重要性。考えてやらないより、リスク承知でやっちゃったほうがいい。そこは勝手ながら共鳴しているところです。
長田 公的な機関でもあるので叩かれることもありますが、実行したあとに文句を言う人は意外に少ないんですよね。成功にせよ失敗にせよ、やってみて「もっとこうしたい」となるほうがいい。でも、行政はそこまでリスクが取れないので、我々みたいな中間組織が実験をして、フィードバックしていくことが大事なんだと思います。
三浦 極論をいえば、仕組みの話以上に「人」なんですよ。渋谷未来デザインの方々もKDDIの社員も、それなりの覚悟で取り組んでいますから。精神論みたいになっちゃうけど、意外に大事なポイントなんですよね。
長田 「信頼関係」と「行動力」は大事です。いまも毎日のようにオンラインで話し合っていますし。「あとはよろしくお願いします」と任せることも、やろうと思えばできるんですけどね。
三浦 バーチャルだとか5Gだとかって、「0」「1」の無機質な世界に感じるかもしれないですけど、実はKDDIと渋谷未来デザインは渋谷区も含め喧々轟々と議論し、実行していること、そこが大きなバリューになっている。なので、他でも似たような「器」はできるとかもしれませんが、機能するもの、しいて言えば価値のあるものはすぐにはできないと断言できる。重ねてきた議論と、実行してきたスピードが圧倒的に違うから。

渋谷はチャレンジできる街であり、今後も新しいものが生まれていく

――コロナ禍を経て、今後渋谷という街を含め人間の生活や働き方はどうなると思いますか?
長田 渋谷の魅力は続くと思っています。常に何かが生まれてきた歴史がありますし、多種多様な魅力的な人がいるから。また、この状況でも頑張ってやられているお店は、地元の人に愛されていたり、常連さんがいたり、どこも何かしらのロイヤリティ(愛着、愛情)を持っていらっしゃる。バーチャル渋谷も含め、そんな彼らのためにいろいろと考えながらやっているので、街自体が死んでしまうことはないと思うんです。それは日本中そうだと思う。
三浦 チーマーやコギャルなど、渋谷は無形のカルチャーが育った街。今後、バーチャル渋谷がひとつのプラットフォームとして成長しながら、無形資産的なカルチャーの発信場所になれればいいなと思っています。将来的にあらゆるものがリアルとバーチャルのハイブリッドになると思うんです。渋谷区が推進する「創造文化都市」もそういったものになるんじゃないかと思っています。
長田 働き方のスタイルが変わってきて、空きオフィスが問題になるとも言われていますが、そこをどう有効活用していくかにすごく興味があります。バーチャル含め、新しいものが生み出される時期なのかなと思うんです。
三浦 そういう変化の時代にチャレンジできる街なんですよ、渋谷は。しかも行政との間に長田さんがいてくれる。本当に心強い存在です。

変化の時代に必要な人材、キャリア、働き方

――改めて、変化の時代に必要な人材、キャリア、働き方とはなんでしょうか?
長田 自分自身、時代と共に変化しながら、新しいことへのチャレンジを続けていきたいと思っています。年を重ねるとプライドが邪魔して保守的になりがちなので・・・・。でも、プライドの矛先を「興味」や「社会」に向けていくことで、自分も「変化」と「進化」が繰り返されたらいいなと。大事なのは、どういう環境でどのような人達と共にアクションするのか。これは年を重ねても変わらずです。そこに経験が加わってくるので、仲間も増えてやり方が変わってきています。
繰り返しになりますが、「横」に広げながらも少しづつ「深み」を加え、キャリアと連動しながら自分も成長していきたいと思っています。
三浦 これからの時代は不確定です。その際に必要なことは、とにかくさまざまな「経験」を積んでおくこと、より多くの世界を見ておくこと。とくに異文化との触れ合いはとても大切だと思います。世界中じゃなくても日本中でもいい。とにかく「生で体験する」という経験。
そして、今を全力でやり遂げるという「覚悟」と「チャレンジ精神」。将来の不安から保守的になることが一番いけないことだと思うんです。リスクがあってもチャレンジし続けること。全力でチャレンジし続けることこそが、将来の安心と成功への最大の近道だと思います。
時代が変わっていくからこそ、組織も変わります。そして個人も変わります。変化に柔軟に対応する能力も大切なことだと思います。すべてのことに「絶対」と「永遠」はないですから。状況に応じて自らが柔軟に変化してベストな環境を作ることがとても大切です。
最後に一番大切なこと。それは、働くうえで「いい会社」にいるかは重要ではありません。どれだけ「いい人」と一緒に仕事ができるか。いい人と仕事をするためには、自らが努力して「正しいこと」を実践し続けることが必要です。どんなに大きな組織、会社も最後は絶対に「人」です。この人となら一緒に働きたい、頑張りたいと思ってもらえるか。僕自身も最大の挑戦です。
不確定な時代だからこそ、「個」を磨き、時代に柔軟に対応する能力を「経験」を通じて身につけ、一回限りの人生、最高の仲間と一緒に働けるように全力で努力して、常にチャレンジし続けていくことが、これからの時代の働き方のキーになると考えています。
長田新子 | Shinko Osada
AT&T、ノキアにて情報通信及び企業システム・サービスの営業、マーケティング及び広報責任者を経て、2007年にレッドブル・ジャパン入社。最初の3年間をコミュニケーション統括、2010年から7年半をマーケティング本部長(CMO)として、日本におけるエナジードリンクのカテゴリー確立及びレッドブルブランドと製品を日本市場で浸透させるべく従事し、9月末にて退社し独立。現在は2018年4月に設立された一般社団法人渋谷未来デザインの理事兼事務局次長。一般社団法人マーケターキャリア協会理事、NEW KIDS株式会社代表。
『アスリート×ブランド 感動と興奮を分かち合うスポーツシーンのつくり方』
著者・長田新子/発行・宣伝会議
¥1,800(税抜)
「誰も振り向かなかったカルチャーをコミュニティごとサポートし、一歩踏み込んで関わり続けてきたからこそ、レッドブル・ブランドは成長してきた」。レッドブル元CMOが明かすブランドファンの獲得術。巻末にはエアロバティック・パイロットの室谷義秀氏や、株式会社ミクシィ代表取締役社長の木村弘毅氏ら4名と対談も収録。
三浦伊知郎 | Ichiro Miura
KDDI株式会社 革新担当部長
成蹊大卒。1996年よりNTT(日本電信電話株式会社)、Ogilvy and Mather、DIESEL JAPAN 広報宣伝室マネージャーを経て、PRコンサルティング会社を設立。2017年、KDDI株式会社にて事業のプロモーション等をメインとした領域の革新担当部長に就任。2020年1月より民間企業70社と渋谷区と共に「渋谷5Gエンターテインメントプロジェクト」を立ち上げ、渋谷発の5G、テック&エンターテイメントビジネスの創出を主導。
1995年より約5年間日本、オーストラリアにて大規模フェスティバルの立ち上げとプロデュースにも従事。また、学生時代より世界60カ国以上を旅して周るバックパッカーの顔も持つ。
                      
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