連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「目黒編」

とんかつ とんき

LOUNGE / EAT
2019年11月12日

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「目黒編」

第14回「様々な要素が玉石混交して形成された街・目黒」

ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」のボードメンバーの伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なサンシャインジュースと対極にある、街の様々な人間臭いコンテンツを掘り起こしては、その歴史、変遷、風習、文化を探る。第14回は、華やかなイメージもありつつ、下町らしい雰囲気が漂う目黒を紹介する。


Photographs and Text by IJICHI Yasutake

歴史深い老舗も、新進気鋭の注目店も違和感なく混在する街

人気の街、目黒。広尾や恵比寿を抱える渋谷区のような派手さはないが、目黒区という括りで捉えた時に、隠然と“アッパー”で“ハイソ”というイメージが形成されている。青葉台や八雲の辺りに錚々たる著名人たちが居を構えている影響もあるだろうし、「目黒雅叙園」や「八芳園」と言った格式高い式場があることも無縁ではないだろう。しかし、目黒が全域的に、且つ、歴史的・伝統的にそうだったかと言われるとそうとも言えないかもしれない。
目黒は従来、江戸の郊外。起伏が激しい地形は、庶民にとっては富士山も望める格好の景勝地となる側面もあったが、江戸時代はほとんどが田畑であり竹林であり、つまり農村だった。その後、昭和初期に現在の東急線が鉄道を開通させたのを機に発展していったという。富士山を望める程の高台と川沿いの低地からなっている極端な地形は、居住地として適しているとは言い難い気もするが、学校を誘致するなどして街の文化的価値を高めながら、住宅地として発展していった。
そんな目黒は、目黒駅から数駅の武蔵小山や学芸大学などは今も濃厚に下町然とした風情が残っているし、目黒の駅周辺もここ数年で再開発が進んだものの、商店街があれば入り組んだ路地もあり、その名残は今も潤沢に残っている。

ただし、これはあくまでも広義の意味での目黒(目黒区)になってしまうし、そもそも目黒駅が目黒区ではなくて品川区にあるのは有名な話で、ひとくちに「目黒」と言ってもその定義は非常に曖昧だ。従って、今回の目黒は、目黒駅から大鳥神社までの西口一帯を目黒と規定したいと思う。
私は、自動車免許を取ったのが日の丸自動車学校だったし、20代前半の頃、週の半分を目黒で生活していたことが3年間程あるから、目黒のことはそれなりに知っているつもり。ただ生活に馴染み過ぎてしまったが故に、わざわざ特別な意義を持って足を運ぶ街ではなくなっている。目黒川が1年で一番映える桜の時期や、さんま祭りの時期ですら、足を運ぶことはほぼない。それでも日常的にはわりと頻繁に目黒に足が向いているのは、昔と変わらない過ごしやすい安定した空気感があるからだろう。
その安定感に大きく寄与しているのは、「権之助坂」と西口駅前の「サンフェリスタ目黒」「メグロード」。20代前半の当時、権之助坂にあった店はほとんど行き尽くした。あの頃よく通った焼肉「本牧庭」や台湾料理「京龍」は寂しくも閉店したのだが、韓国料理「明洞」、手打ちそばの「小菅」、オールドスタイルの中華料理「香港園」は今もなお健在で嬉しい。
もちろん、「とんき」「大宝」「かつ壱」の豚カツ御三家も回収した。三者三様、どこに行っても安心してまごうことない口福時間が得られる。
とは言え、三者の中でもっとも知られているのは、否、目黒の飲食店と言うだけで多くの人が第一想起するのは、おそらくとんきではないだろうか。味についてはここであれこれ云々する必要はない。1939年創業。磨き上げられた白木のカウンター。そのカウンターから厨房が全貌できるオープンキッチンは創業当時からだという。明確に役割分担されて黙々と己の仕事に徹する職人たち。ご飯や汁やキャベツがなくなりそうになれば声をかけてくれて、食べ終わる直前にはおしぼりが出てきて、食べ終わる頃には温かいお茶が出てくる、広い視野と深い心配り。とんきでは、ただ美味しいだけでは得ることができない、満ち足りた充足感と安堵感が得られるのである。
サンフェリスタとメグロードは実は比較的新しい。竣工はサンフェリスタが1994年、メグロードが1987年。だが、この魅惑の飲食ビルたちは、そこはかとない年季と風格を醸し出している。

居酒屋、中華、和食、ビストロ、焼き鳥、焼肉、おそらく50以上の飲食店が入居し、1軒目からでも良いし2軒目でも3軒目でも良い。「この店がいっぱいならあっちの店にしよう」という具合で、何でもござれ。この選手層の厚さは、柳田が怪我をしても上林が不調でも、2000本安打内川に首位打者長谷川に卓越したバットコントロールを誇る中村晃が控えているソフトバンクホークスに匹敵する。
メグロードのB1F「大衆ビストロジル」は驚くほどコストパフォーマンスが良くて使い勝手が最高。手頃な店は、フードは良くてもドリンクに首を傾げることが往々にしてあるけれど、ここはグラスワインもしっかり美味しいのが良い。
1Fにある「寿司芳」はひとりでふらりと立ち寄れる気軽な寿司屋で好きな店。気軽に入れるのに、大好物のこのわたを頼めば、5日寝かせたものとその日朝に取ったものの2種類を食べ比べさせてくれる、そんな店主のこだわりようがいい。
しかし、サンフェリスタとメグロードの中で私がダントツ足繁く通ったのは「ホルモン道場闇市倶楽部」。今でこそホルモン焼き屋は溢れるほどあるが、約15年前の当時は数えるほどしかなく、ここはまさにその走りのような存在だった。
最初は、まず名物のお通しの千切りキャベツの威圧感に圧倒された。お決まりは、レバ刺し(当時は合法)とセンマイ刺し、次にホルモン塩8点盛り(ホルモンがお任せで8種類盛られている)とライス、お腹の具合によってプラスアルファを楽しんで、最後は冷麺で〆る。当時は、私が椅子に座ると板場のスタッフの方と目が合って、オーダーする前に既に8点盛りが準備されているくらい以心伝心の関係だった。朝5:00くらいまで営業していていつ行っても満席。壁にびっしり貼られた芸能人やスポーツ選手のサイン色紙がその人気ぶりを物語っていた。盛り付けや営業時間は当時と変わっているけれど、相変わらず今も盛況なのは昔を知る者からすると嬉しい。
目黒で大正12年(1923年)に創業した「玉川屋」も欠かせない。しばしばメディアでも紹介されていて人気なのが、バターどら焼きだ。私は、目黒区民で玉川屋のバターどら焼きを知らない人はモグリじゃないかと思っている。エンドウ豆のうぐいす餡とそら豆を煮た富貴豆を入れた餡とホイップバターを仕込んだふわふわのどら焼きは、重みはあるけれど軽く、濃厚だけどあっさり。純然たる和菓子ではないが、もちろん洋でもない。全てにおいて絶妙なバランスを誇るこのスイーツを嫌いという人に出会ったことがない。
目黒には、根源的に農村地帯から住宅地として発展していった裏地があるから、歴史深い老舗も、新進気鋭の店も、浮つくことなく、浮世離れすることなく、平時の暮らしを支えている。様々な要素が玉石混交して形成されているから、代々そこに住む人たちも地方出身者も、臆することなくすっと馴染める、そんな妙な街なのだろう。
とんかつ とんき
住所|東京都目黒区下目黒1-1-2
TEL|03-3491-9928
営業|16:00~22:45(L.O.)
火曜・第3月曜定休

ホルモン道場闇市倶楽部
住所|東京都品川区上大崎2-27-1 サンフェリスタ目黒 B1F
TEL|03-3491-8908
営業|月〜金17:00〜翌1:00(L.O.24:00)
土日祝16:00〜翌1:00(L.O.24:00)
火曜定休

玉川屋
住所|東京都目黒区目黒2-10-14(本店)
東京都品川区上大崎2-16-5(目黒駅前店)
TEL|03-3491-0555(本店)
03-3442-9158(目黒駅前店)
営業|9:00~19:00(本店)
10:00~18:00(目黒駅前店)
伊地知泰威|IJICHI Yasutake
株式会社サンシャインジュース 取締役副社長 1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に従事。その後PR会社に転籍し、PR領域からのマーケティング・コミュニケーション・ブランディングのプランニングと実施マネージメントに従事。30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」を立ち上げ、現職。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman
                      
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