連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「人形町編」

小春軒

LOUNGE / EAT
2019年11月20日

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「人形町編」

第15回「穏やかにゆっくりと美味しい時間を楽しめる街・人形町」

ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」のボードメンバーの伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なサンシャインジュースと対極にある、街の様々な人間臭いコンテンツを掘り起こしては、その歴史、変遷、風習、文化を探る。第15回は、食文化の魅力が溢れる人形町の楽しみ方について案内する。

Photographs and Text by IJICHI Yasutake

変わり続ける世の中で変わらないものを大切にする街

1760年 玉ひで(鳥料理)
1895年 今半(すき焼き)
1907年 双葉(豆腐料理)
1911年 鳥忠(焼き鳥)
1912年 小春軒(洋食)
1914年 魚久(京粕漬)
1914年 森乃園(甘味処)
1916年 柳屋(たい焼き)
1919年 快生軒(喫茶)
1919年 生駒軒(中華)
1923年 㐂寿司(寿司)
1933年 芳味亭(洋食)
1939年 おが和(焼き鳥)
1946年 キラク(洋食)
1947年 栄龍(中華)
1949年 寿々木屋(きしめん)
人形町で名の通った老舗の創業年表である。あの「今半」が創業したのは1895年。日本が日清戦争に勝利して下関条約を締結した年のこと。「玉ひで」に至っては、江戸幕府治世で鎖国していた時代のことである。
日本は1867年の大政奉還以降、その過程はどうであれ、急激に国家として自立していった。西洋文化を取り入れた文明開化と軍事力強化による富国強兵をスローガンに、文化と経済の発展を図った。西欧諸国に倣った大日本帝国憲法が公布制定され、日清戦争と日露戦争に勝利し領地を拡大、日韓併合によって韓国も統治下に置いた。

世界では第一次世界大戦が勃発する中、日本では活発化する大正デモクラシーを背景に政党内閣が組閣され、普通選挙も実現。昭和に入り、日本軍の満州での軍事行動拡大を発端に、国際連盟の脱退から日中戦争の開戦へと突き進み、1939年に第二次世界大戦に突入。1945年の終戦以後、GHQ傘下の戦後復興と高度経済成長を経て世界2位の経済大国になったのが昭和後期。それから平成、令和の今に至るわけである。
大正時代の日本はイギリスまで約50日かけて渡航していたという記録があるらしいけれど、100年経った今はスマホとSNSで毎日世界の誰かしらと繋がっている時代。隣の田中さんの顔はいまいちよくわからなくても、ミラノのジョルジョが昨日マルゲリータを食べていたのは知っている。恐ろしい変化である。
スマホもSNSも、インターネットもまだ当たり前ではなかった僅か20数年前、子どもの頃の私にとって人形町はハレの場所だった。私が小学生の頃、千葉に住んでいたわが家にとって人形町は立地が良く、「今半」や「芳味亭」などに祝事の節目の際に行ったものだった。だから、人形町がこれほど歴史深いとは知らなかったものの、食文化の魅力が詰まった街だという認識は当時からあった。
大人になってからは、“食事のため”に特定の場所や店に足を運ぶことは少なくなり、スポーツ観戦など主目的は別にあって、ついでに近場で美味しい食事を楽しむ、または食事の後の遊びや飲みもあわせて楽しめる場所に行くことの方が圧倒的に多いから、人形町に行くことはだいぶ少なくなっていた。

けれど近頃は老いのせいか志向が少し変わってきて、美味しい食事をゆったり楽しむためだけに出かけることがあってもいいんじゃないかと思い、また足が向き始めている。
例えば、1912年創業の洋食「小春軒」。洋食はいつの時代も老若男女問わず好きなものだ。誰と行ってもいい。コンパクトでかわいい店構えに、「西洋料理」ではなくて「西洋御料理」と書かれた白い暖簾が映える。初代は明治時代に第3代内閣総理大臣を務めた山縣有朋のお抱え料理人だったそうだ。茶屋や料亭などで賑わいトレンド最先端の街だった人形町で、当時まだ珍しかった洋食屋を始めたという。俗に言うハイカラである。
その面影を味わえる人気メニューが特製カツ丼だ。卵でとじたものではなく、デミグラスソースを使ったやさしく甘みのある味わい、フランス料理の付け合わせのようなカラフルな炒め野菜、そして目玉焼きが乗ったこのカツ丼はもちろんオリジナルレシピ。初代の孫である三代目が幼少期に食べていた味を思い出しながら再現したそうだ。「気取らず美味しく」をモットーに、今も庶民に愛され、そして多くの食通を唸らせている。
1919年創業の「生駒軒」は一見普通の町中華。最初は何気なく入っただけだったが、調べてみるとどうやら都内に数十軒とある生駒軒の本家だという。要するに他の生駒軒はここから暖簾分けを受けているのである。
余計なものを加えずにあっさりした味の透き通るようなスープと、分厚いコミックが並んだ棚。まさに町中華のお手本。

町中華にありがちな「床がべたべたしている」「汚い」などといったことはなく清潔感が保たれていて、迎え入れもお見送りも柔らかい。やはり100年続くには相応の理由があるということだ。
生駒軒がある甘酒横丁でその斜対面にある「森乃園」のほうじ茶もやはり美味しい。スタバのほうじ茶ラテが話題になり、コンビニでも以前より品数が増え、ここのところ人気のほうじ茶は市場も10年で3倍にもなっていると言うが、森乃園は100年以上ほうじ茶にこだわり続けている。甘酒横丁は常にほうじ茶の香ばしい香りが漂う。この香りに引き寄せられない人はおそらくいないだろう。ほうじ茶ソフトを片手に散歩してもいいし、二階でほうじ茶ラテやほうじ茶あんみつで小休憩を取るもいい。この芳しい香りに囲まれるだけで何とも言えず安穏とする。
関東大震災の1923年に創業したのが「㐂寿司」。ここは寿司の三大始祖のひとつだとか。芸者の置屋だった家屋を改修したというTHE江戸前の風格溢れる日本家屋。軒先のスクーターに木札のお品書きに味がある。老舗寿司屋でありながら緊張感はなく、一見も常連も分け隔てなく接してくれる心地良さ。
老練なひと手間が光る正統派の江戸前寿司。1人2万も3万も払えば美味くて当たり前、それも肩肘張らざるをえなかったり、握りが出てくるたびにスマホを向けるツレがいたり、美味しいものも美味しくないことが多い時代。そんな世界とは距離を置いて、終始穏やかで自分の時間をゆっくり楽しめる、本当に美味しい時間が過ごせるのだ。
文明が発達して世の中が変わろうとも、変わらないものもある。もちろん、まったく変わっていないのではなく、変わらずに居続けるために私たちにはわからないように少しずつ変わっているのだろう。大切なのは変わらないことではなく、変わらない関係であり続けること。人間関係でもお互いの性格や接し方が変わらないのが大事なのではなく大切に想い合う関係であり続けることが大事だし、仕事でもルールや手段を変えないのが大事なのではなく健全に経営して運営し続けることが大事。お互いに変わりながら変わらない関係を長年の中で築き、それを次代へと脈々と繋いていくことを大切にしている人たちが人形町には集まっている。
小春軒
住所|東京都中央区日本橋人形町1-7-9
電話|03-3661-8830
営業|平日11:00~14:00、17:00~20:00
土曜11:00~14:00 日祝定休

生駒軒
住所|東京都中央区日本橋人形町2-3-4
電話|03-3666-1633
営業|平日11:45~15:30、18:00~22:00
土曜11:45~15:30 日祝定休

森乃園
住所|東京都中央区日本橋人形町2-4-9
電話|03-3667-2666
営業|9:00~19:00(L.O.17:00)※1Fお茶屋と2F甘味処で異なる

㐂寿司
住所|東京都中央区日本橋人形町2-7-13
電話|03-3666-1682
営業|平日11:45~14:30、17:00~21:30
土曜11:45〜21:00 日祝定休
伊地知泰威|IJICHI Yasutake
株式会社サンシャインジュース 取締役副社長 1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に従事。その後PR会社に転籍し、PR領域からのマーケティング・コミュニケーション・ブランディングのプランニングと実施マネージメントに従事。30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」を立ち上げ、現職。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman
                      
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