INTERVIEW|アーティスト・西野達インタビュー
LOUNGE / ART
2014年12月9日

INTERVIEW|アーティスト・西野達インタビュー

INTERVIEW|アーティスト・西野達インタビュー

世界が夢中! 大胆な発想で見る者の心を揺さぶる西野達の頭の中(1)

ニューヨークのコロンバス・サークルに、昨年秋大規模なインスタレーションが出現した。高くそびえるコロンブス像の周りをすっぽりと覆って“居間”に仕立てた、その名も「ディスカバリング・コロンブス Tatsu Nishi Discovering Columbus」なる作品だ。2012年9月下旬から約2カ月半の展示期間に訪れた総観客数は、なんと10万人。この話題作を手がけたのが、アーティストの西野達(にしの・たつ)氏だ。彼の発想の源にあるものとは──

Text by KUROBE EriPhotographs by MOCHIZUKI Michika

狭いアートシーンから外に飛びだしたかった

「観客のクールさを壊したかったんだよね。美術館に行くと、観客がみんなクールに見ているだろ。それがつまらない。観客を動かしたくなったんだよ」

そう語る西野氏は、現在ドイツを拠点としながら世界各地でさまざまなアート・プロジェクトを手がけており、シンガポールでの「マーライオン・ホテル」、あるいは銀座メゾンエルメスの屋上に作った「天井のシェリー」など、常に見る者に新鮮な驚きを与えつづけている。

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(左)「マーライオン・ホテル」 Tatzu Nishi The Merlion Hotel, 2011, Marina Bay, Singapore, Photo: Yusuke Hattori

(右)「天井のシェリー」2006 Chéri in the sky (The Pyrotechnician, Atelier Gilod-Ezzoubir), Exhibition at Maison Hermès 8F Le Forum Tokyo, Japan © Nacása & Partners Inc., Courtesy of Hermès Japon

ドイツに渡航したのは1987年のこと。武蔵野美術大学を出たあと、袋小路に入ってしまい、1年ほど製作ができなくなり海外に飛び出した。はじめは留学するつもりはなく、ヨーロッパ美術の本場を見るための手段として、寿司屋の皿洗いのバイトに応募して渡欧したという。

西野氏にとって初の海外渡航である。それが偶然にも、現代美術史における非常に重要な場所のひとつ、デュッセルドルフ(Duesseldorf)だったこと、さらにヨーゼフ・ボイスらが教鞭をとる、世界に名だたる美術学校があることがわかると、再び創作意欲がわいてきた。ミュンスター(Muenster)の美大に入学し、それまで手がけていなかった彫刻やインスタレーションをはじめるようになる。ちょうどドイツではインスタレーションが盛んになってきた時期でもあり、新鮮だったという。

その間ギャラリーでグループ展も経験するのだが、それが「つまらなかった」と彼はふり返る。「オープニングにはたくさん人が来ても、そのあと来てくれる観客はすくなく、それもアート関係者だけ。狭いアートシーンのなかでやりたくなくて、外に出ていきたくなったんだよ」

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「obdach」Tazro Niscino obdach, 1997, Cologne, Germany, Photo by Carsten Gliese

そして、いろいろな人から100万円ほどを借り集め、1997年にはじめて“屋外で石像のモニュメントを囲む”というスタイルのインスタレーション「obdach」を試みた。「4畳半くらいの小さな部屋を、ベニヤ板を使って自力で建てたんだ」

工事の足場のレンタルに経費がかかるため、わずか3日間ほどの展示だったが、街に打って出ていく彼のスタイルはすこしずつ話題を集め、各地のキュレーターたちの興味を惹き、大きなプロジェクトへと発展していった。

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世界が夢中! 大胆な発想で見る者の心を揺さぶる西野達の頭の中(2)

海外だからこそできた街に打って出るアート

「いまになっておもうのは、ドイツだからこういうアートを手がけることができたんだな、ということだね。俺のやっているようなインスタレーションだと、まず役所に許可をもらわないといけない。ドイツの都市条例も厳しいんだけど、アートに対しては寛容なんだ。現代アートが好きで、アートとなると特例を設けてくれる。日本ではアートとなると、より融通が利かなくなる。というより、拒否反応が起きる。日本にいたら、こういうインスタレーションは100%はじめられなかったね」

“世界の西野達”になるためには、日本の土壌から飛びだしたことが正しかったわけだが、現在でも日本の行政がアートに関心を持たないことに忸怩(じくじ)たる想いがあるという。

「今回の『ディスカバリング・コロンブス』では総工費2億円ほどかかっているんだけど、主催したのがパブリック・アート・ファンド(※)という非営利団体。すべて寄付でなりたっているんだよ。ブルームバーグ市長を筆頭に、ニューヨークにはアートに大金を寄付する富豪たちがたくさんいるのがすごいね」

※パブリック・アート・ファンド=Public Art Fund。ニューヨークの芸術支援団体 http://www.publicartfund.org/

コロンブス像の周りをすっぽりと覆った「ディスカバリング・コロンブス」。マンハッタンの街を歩きまわっていたときに閃いたアイデアなのだという。コロンブス像はかなり高い位置に建っているため、ふつうに歩いていたら、よほど上を見あげない限り目に入らない。

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このインスタレーションによって、ニューヨーカーたちは、はじめてコロンブス像を間近に見ることができたわけだ。実際に見てみるとその巨大さに驚くし、「こんな像だったのか」という発見もある。その驚きと面白さが話題となって、入場制限がおこなわれるほどの人数を動員したのだが、これはまさに西野氏の狙いどおり。「普段アートに興味を持たない人たちにアートを見てもらうようにする、というのが屋外で作品を発表している大きな理由のひとつなんだ」

現代のコンセプト・アートの多くが一般の市民からは乖離(かいり)してしまっているのに対して、西野達のアートは普段アートに接しない人にも興味を持たせ、アートの持つ常識を揺さぶる力に気づかせる“なにか”がある。日本人にはめずらしいほどの大胆な発想は、どこで芽生えたのだろう。


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世界が夢中! 大胆な発想で見る者の心を揺さぶる西野達の頭の中(3)

人マネができなかった子ども時代

「人マネが嫌いな子どもだったね。整列して歩かされると、つい反対方向に歩いてしまって、教師に怒鳴られているような子どもだったよ。ことさら反抗的だったり不良だったわけでもないよ。ちゃんと勉強していたしね。だけど、先生の言うとおりに、いっせいにおなじ行動をすることが変におもえて仕方なかったんだ」

そんな西野少年は、ピアノも習字もほかの稽古ごとはすべて嫌いだったが、絵画教室だけは自ら希望して通っていた。そして武蔵野美大に進んだが、ドナルド・ジャッド(※)のミニマル・アートにはまって袋小路に陥ったという。

※ドナルド・ジャッド=1928年~1994年。ミニマル・アートを代表するひとり。同一の箱型の立体形を並置することで、いっさいの表現と意味を排除した「特殊な物体」を実現しようとした。(出典:三省堂『大辞林』)

「ミニマル・アートにはまると、作品を発展させることが難しくなるんだ。突き詰めればミニマリズムは、なにもしないことに行き着くから」

そこから海外に飛び出した経緯は前述の通りだが、意外なことに、いまでもミニマリズムに通底する部分があるのだと自己分析する。

「俺の作っているものは、ミニマルなんだよ。まず部屋を作るときには、その国の平均的な部屋を想定して作る。街のモニュメントの状況を変えるために必要なだけだから、下手に家具や内装に目が行ったりしない方がいい。モニュメントに手を加えるわけでもない。つまりミニマルな内装なんだ。しかも部屋=箱というところが、ドナルド・ジャッドと通じるよね」

こうしたモニュメントを使ったインスタレーションのコンセプトには「屋外と屋内/外と内の逆転」、そして「公共とプライベートの逆転」があるという。その逆転が異化効果(※)を生み出している。さらに公共の場であるために、期間限定で解体されるのも特徴だ。

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※異化効果=ブレヒトの演劇論用語。日常見慣れたものを未知の異様なものに見せる効果。ドラマのなかの出来事を、観客が距離をもって批判的にみられるようにするための方法の意に用いた。

「よく『解体されるのが残念じゃないですか?』って聞かれるんだけど、なくなるからいいんだよ。俺のアートには2回おいしい経験があるって言っているけどね」

まずひとつは実際に西野達のインスタレーションを体験すること。だが、それは恒久的な作品ではない。

「それが解体されたときに、もう2度とない、そこに行ったという本人の記憶が残るわけだよね。コロンブス像にしても、あそこまで像に近づいて見る機会はないだろうね。この先、100年経ったらまたあるかもしれないけれど。そんなことをするアーティストもいないだろうしね(笑)」

刹那だからこそ美しい。そこには、花は散るからこそ美しいと感じてきた日本人の美意識が、彼のなかにも脈々と流れているようにもおもえる。

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世界が夢中! 大胆な発想で見る者の心を揺さぶる西野達の頭の中(4)

アーティストとはだれも見たことのないものを作る存在

今年はすでに、6つほどプロジェクトが進んでいるが、実際に形になるのは半分ほどの確率であるという。はじめての試みゆえに、技術的に可能かどうかわからないこともあるし、都市条例にひっかかることもあるからだ。

ニューヨークで展示された「ディスカバリング・コロンブス」にしても、プロジェクトが開始したのは3年前に遡るというから、都市を舞台にしたインスタレーションとは息の長いプロジェクトである。

「制作はコンピュータひとつでやっているよ」と言う西野氏。「現場を見るために世界中を回るけど、アイデアをスケッチしたり、キュレーターや相手国の建築家とメールでやりとりしたり。そういったことに、ほとんどの時間を費やしている」

次のプロジェクトもまたモニュメントを囲うインスタレーションなのだろうか。「いや、まったく見たことのない作品になる予定だよ。昨年は部屋ばかり建ててきたから、今年はちがうことを試したいんだ」

アート・プロジェクトにかかわる街を歩きながら、どうやってなにをするか、アイデアを練るときがもっともエキサイティングだと言う西野氏。なるべくなにも知らない、まっさらな心のままにその街を歩いて、そこからアイデアが湧き出る瞬間が面白いのだと言う。

西野氏にとってアートとはなにかと問いかけてみると、「自由ってことじゃないかな」という言葉が返ってきた。「アーティストというのは、人がやったことのないことをやる人間であってね。たとえ人に不評であっても、人マネでないほうがアートとして価値がある。だれも見たことがないことに価値がある」

西野達のアートに接したとき、我々のなかで当たり前の日常がひっくり返り、その大がかりな仕掛けに驚き、そしてそこはかとないユーモアを感じるのだ。「だれもまだ見たことがないものにこそ価値がある」と言う西野達は、次はどうやって世界を驚かせてくれるのだろうか。

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西野達|NISHINO Tatsu

1960年愛知県生まれ。武蔵野美術大学で学び、1987年にドイツに渡欧。ミュンスター美術アカデミーで学び、1997年にケルンでモニュメントを囲った「obdach 宿あり」インスタレーションを手がける。ドイツを拠点にしながら、2005年ロサンゼルス現代美術館、2009年「カルダープロジェクト」(オーストラリア)、「ナント・ビエンナーレ」(フランス)など様々な国でプロジェクトに携わり、2011年「シンガポールビエンナーレ」ではマーライオンをホテルにしたインスタレーションで話題を呼ぶ。2006年銀座メゾンエルメスの「天上のシェリー」、2010年「あいちトリエンナーレ」などの国内での発表につづき、2012年ニューヨークで行われた「ディスカバリング・コロンブス」が大きな動員を生んだ。

           
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