ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日|Jean Michel OTHONIEL “MY WAY”
LOUNGE / ART
2015年1月21日

ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日|Jean Michel OTHONIEL “MY WAY”

フランスを代表する現代美術作家のこれまでとこれから

『ジャン=ミシェル オトニエル:マイ ウェイ』

パリで3カ月のあいだに20万人を集めるという記録的な成功をおさめた展覧会『ジャン=ミシェル オトニエル:マイ ウェイ』が来日。品川、原美術館にて2012年1月7日から3月11日まで公開されるこの展覧会では、パリよりもさらに充実した子どものためのワークショップ『ふしぎな現実』も併催。OPENERSでは来日したオトニエル氏へのインタビューの機会をえた!

Interviewer&Text: SUZUKI Fumihiko(OPENERS)Photo: JAMANDFIX

フランスを代表する芸術家と昭和初期の名建築の出会い

1938年建造の私邸を改装して1979年から美術館として運営されている品川の原美術館。住宅が軒を寄せ合う界隈に、ゆったりと庭を構えるこの瀟洒な洋風建築は、優しい陽光につつまれ、別天地のように穏やかだった。そこでは陽光とおなじように穏やかであたたかいフランス人芸術家が、愛情を込めて作品を並べたばかり。パリのメトロ駅「パレ・ロワイヤル」の入り口を飾る作品『夢遊病者のキオスク』や、群馬・ハラミュージアム アークの野外インスタレーション『kokoro』などで知られる現代フランスを代表する芸術家、ジャン=ミシェル・オトニエルが、パリで催した展覧会を原美術館のために再構成したのだ。

ガラスを使うことによって訪れた転機

── 今回の展覧会は『マイ ウェイ』というタイトルですが、キャリアを振り返るという意味でしょうか?

ええ。この展覧会では20年以上にわたる僕の作品がカバーされています。僕のこれまでを一気に見るような、ちょっと学問的っていうのかな、僕にとっての節目となる時期ごとに部屋をわけて、それを歩きながら体験してもらう。それで、僕の人生というのか、考え方みたいなものが表現できたらいいなと思っているんです。

この部屋(ギャラリーII)はちょうど転換期といえる時期ですね。ガラスを使い始めた時期ですから。それまでは硫黄とか、鋼鉄、鉛、布、刺繍といった素材で作品を作っていました。やわらかくて、変化する素材です。それで、液体から固体になるガラスに出会ったとき、これが変化する素材として一番いいなと感じたんです。この壁にかけてある黒いガラスの作品が僕の最初のガラス作品です。僕にとっては大事な作品で、火山由来のガラスを2年間、フランスのガラス研究所で、どうやったら素材として使えるか学びました。

ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日 02

最初のガラス作品『語音転換(Le Contrepet)』 1992年
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

── このガラスは最初から黒いんですか?

そうです。黒くて、透過性がない。これが最初の挑戦でした。これを作るときに、ガラス加工の世界を知ったんです。そこに可能性っていうかな、ガラスは彫刻みたいなものとして使えるんじゃないか、と感じました。

── これはオトニエルさんひとりで作ったんですか?

型を作ったのが僕です。そこが転機になったところで、この作品を作るまで、僕はひとりぼっちで作品を作っていたんですよ。アトリエにこもって、硫黄なんかをこねて、ひとりぼっちなんです。でも、ガラス作品はひとりじゃ作れない。チームで働くんです。ガラス職人、ガラスを吹く人、と、いろいろな人がいて。

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『無題(Sans titre)』 1997年
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日 04

『自立する大きな結び目(Le Grand Noeud Autoporté)』 2011年
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

それで、小さめのガラス作品を作るようになって──あそこにぶら下がっているものもそうです。小さいでしょ。それになんだかすごく個人的なものという感じで。こう、身体的で、ちょっと外に出せないみたいな。エロチックなくだものみたい。初期のガラス作品はこんな感じなんです。まだこのころの僕は引っ込み思案でした。でもだんだん気が大きくなってきて、作品も大きくなっていく。この時期の最後のころの作品はあの『自立する大きな結び目』だけれど、もう建築みたいなサイズでしょう。つまり、この部屋は、引きこもりっぽい、内向的な僕が、オープンになっていく時期なんだ。

── チームは何人ですか?

作品の構想はパリでやっていて、僕をふくめて4人のチーム。それから、職人の仕事なわけだけれど、大きなプロジェクトだと30~40人。職人はヴェネツィアのムラーノ島のイタリア人なんだ。ムラーノの職人がつくるガラスは色も素晴らしいし、素材も最高だよ。窓の外の作品を見てよ。すごいでしょ。今日は天気もいいし。幸せだね。

── 不定形のガラスの輪などにも型があるんでしょうか?

いやいや、そういうものは手づくりです。そういった形ができるのがガラスのいびつさというか、規則に従ってはくれないところで、作り方は、いまの時代としてはかなり込み入ったものです。というのも、普通ガラスというのは、キッチリと形が出る素材なんですね。だから有機的な形を与えるのは難しいんです。

ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日 04

── そこがオトニエルさんにとってのガラスの魅力でしょうか?

うーん。そうとも言い切れないけれど僕は技術的な部分にもすごく惹かれるんだ。もちろん、アイデアに形を与え、大きなものを作り、多くの人に公開し、みんなを魅了したい。そういう気持ちはあるけれど、モノを作るというところがまた面白いんです。職人さんからもすごく刺激を受けるよ。

フランスを代表する現代美術作家のこれまでとこれから

『ジャン=ミシェル オトニエル:マイ ウェイ』

展覧会はひとつの大きな作品

── これはちょっとほかとは違う感じですよね。金魚鉢みたいな……。

あはは。これはメキシコにいたころに作ったんです。僕は何年間か色々な国を旅してね。特にメキシコにはメキシコのガラス職人たちと一緒に行ったんです。すごく小さくて繊細なガラスを作る職人で、僕は彼らの作品をみて、これで大きなインスタレーションを作りたいって思いました。小さなものをいっぱい使ってね。作品の大きさが大事なんだ。この作品は、小宇宙っていうのかな、ビンの中に入れば、そこには内的な世界があるんだけれど。ちょうどこの展覧会もそうで、僕たちは展覧会全体という大きな作品の中にいて、ひとつひとつの作品を巡る。小さいものと大きいもの、そういうサイズが大事なんです。

ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日 06

『涙(Lagrimas)』 2002年
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

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『夢遊病者のキオスク(Le Kiosque des Noctambules)』(2000年)のためのデッサン
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

水彩デッサンの前にて

いまも仕事の最初は孤独です。デッサンからはじめる。デッサン帳を持っていて、いつも絵を描いています。もちろん描いた絵の全部が作品になるわけじゃないけれど、絵を描かずに作る作品はないよ。ここにあるのは、パリのメトロの入り口を飾っている作品『夢遊病者のキオスク』を作るときに描いたものです。デッサンを描いて、エンジニアとか建設屋さんなんかとの仕事になる。3Dでシミュレーションして、それからガラス職人にも参加してもらう。デッサンはそういう仕事の最初の一歩なんです。今回も子どもむけに『ふしぎな現実』というワークショップをやっていますが、僕はこれをやることで子どもたちにお絵かきの次にあるのは三次元の世界なんだって感じてもらいたかった。つまりエンジニアとの仕事、技術的な仕事が次に待っている。いっぽうで、デッサンが現実になっていくのは魔法みたいな、ふわっとしたステキなことだけれど、もういっぽうでは製作っていう現実的な作業の世界がある。一見、ふんわりしたものの裏にも、エンジニアの仕事があるんだっていうことを知ってほしいんです。

メトロの仕事のときはお祭りみたいな雰囲気をパリに持ち込みたかった。メトロの、地下の世界から、外に出るときに、派手なガラスの屋台があるのは……そう、『マイ ウェイ』というこの展覧会のタイトルに込められた気分をよく表していると思うんです。だって、地下は暗いでしょ。そこから光の世界に出ていくという移動なんです。参考にした絵のなかにはヨーロッパの古い版画で、昼夜をあらわしている絵があるんだけれど、その絵の夜はヨーロッパの暗黒の中世、昼はルネッサンスを暗示している。ヨーロッパっていうひとつの世界も暗いところから明るいところへ移動したっていうことです。

ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日 07

『夢遊病者のキオスク(Le kiosque des noctambules)』(2000年)のための最初のデッサン
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

このメトロの入り口の作品もおなじ発想で、メトロの入り口、口っていうでしょ。口みたいに暗くて狭い世界から、明るくて広い世界への移動を印象づけたかった。僕の作品はそういう、とっても単純な発想でできているんです。闇から光へ。そしてこの展覧会全体もおなじなんです。ひとりで小さなものばかり作っていた僕が、グループで働くようになって、作る作品も明るい屋外に置くものだから──それって、楽しい。楽しくなったっていうことなんです。だから、光と闇はバラバラにあるんじゃなくて、一本の道のうえにあるものなんです。

傷口のような赤いネックレス

── この赤いネックレスは中2階に展示されているんですね。

これは独特な作品だからほかの作品とははなれた場所においています。でも、僕にとっては大事な作品です。パリでパフォーマンスをやったことがあって、これを『傷のネックレス』という名前にして、1000個量産したんです。そしてパリの“ゲイ・プライド”っていうホモセクシャルのイベントで配った。それから、このネックレスをしている人を写真にとった。みんな、心に傷があると思うんです。でもその傷をもっとポジティブなものにかえていこうっていう思いの作品がこれで、パフォーマンスをやって、僕の気持ちは伝わったって思いました。僕もこれを作って以来、毎日ずっとこのネックレスをしてるよ。ファッションでもあるんだけれど、自分の作品を身につけていられるし。というわけで、これはちょっと政治的な意味のある作品なんです。

ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日 08

『傷のネックレス(Le Collier-Cicatrice)』 1997年
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日 09

『乳首の絵画 I(Tits Painting I)』 1995年
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

美しいものに必要な怪物性

── 2階はガラスではない作品が多いですね。

ガラスを使い始める直前にもう、大勢で仕事をやりたいという気持ちがあって、穴のあいた布のような作品『グローリーホールズ』を作って、ダンサーのパフォーマンスと一緒に公開しました。それから、穴をとおして向こう側がみえるから、作品が見られるだけじゃなくて、作品が人を見るという動きが生まれた。

この『乳首の絵画 I(Tits Painting I)』にも実はおなじ思いが込められていて、僕は作品が見る人を惹きつけるだけじゃなくて、作品に見る人を押し返してもらいたい。ちょっと怖いみたいな気分にさせてね。僕は作品の方が僕よりつよくなって、僕を支配してほしいんです。そうすれば、作品にもっと存在感が出る。作品は罠みたいなもので、最初は魅力的なんだけれど、かかると罠だったと気づいて逃げたくなる。そういう緊張関係みたいなもの、美しいものには、ただ好ましいだけじゃなくて、怪物的な怖さが必要だと思っています。

フランスを代表する現代美術作家のこれまでとこれから

『ジャン=ミシェル オトニエル:マイ ウェイ』

しあわせの日記帳

── あのそろばんのような作品も古いものなんですか?

これは最近のものですね。ガラスの赤い球は、不規則な形で、さっきのネックレスみたいにちょっと傷口みたいなイメージもあるけれど、タイトルは『ハピネス ダイアリー』。このひとつひとつの赤い球と棒の組み合わせが一日なんです。それでいいことがあったら白い方に、いやな一日だったら黒い方に、赤い球を動かす。年末になると、自分の一年が見えるという寸法です。

── ということは365個あるんですね?

そうそう。で、来年になったらまた最初からやる。でも僕も試しにやってみたら、ちょっと面倒でした。僕は急にすごいやる気になったり、すごいへこんだりするんだよね(笑)。みんなそうなんじゃないかな?

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『ハピネス ダイアリー(Diary of Happiness)』 2008年
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

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『腸の女たち(Femmes Intestines)』 1995年
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

壊れやすいもの。愛されるもの。

── 二階廊下にある絵はデッサンではないですね。

ここにあるのは『腸の女たち』というタイトルの連作です。古典的な絵画の複製の上に描いています。“腸”っていう語はフランス語だと“内側”みたいな意味がありますよね。だからこの作品は、「僕の中の女性」みたいな意味にもなる。僕のなかにある女性的な部分、それを受けとめて、女性になったような気分で作ったんです。男っぽい要素、暴力的で押し付けがましいところはなくして、慎みのある、女性っぽい要素を使いました。僕の作品でいえば、刺繍とかデッサンも女性的ですよね。とくにお絵かきみたいなことは女の子っぽいものとされてきた。壊れやすさであるとか、この連作は、そういった女性っぽさを一度肯定して、明確にしようとした作品なんです。

── ガラスも壊れやすい素材ですよね?

そう。だから、見る人、所有する人が作品を大切にしないといけない。それはつまり愛情を注ぐということです。愛されれば作品は何百年ものこる。日本にはたとえば、すごく美しい扇が美術館に飾られていたりしますよね。そういうものを見ると僕は「何世代にもわたって愛されてきたものなんだ。だからいま、僕の目の前にこの扇はあるんだ」って感じるんです。それに感動する。大きくて強くて硬いもの、パリのノートルダムとかね、ああいうものはがっちりしているから、長くもつのはある意味あたりまえです。でも何百年も昔の弱いものが、いままで生き延びたという場合は、たくさんの人がそれを好きだって思った、大事にした。ガラスもそういう意味で、愛されたがる素材です。最後の作品も建物みたいに大きいですけれど、取り扱いには注意が必要ですよ。

すばらしい現実

── 最後の作品は『ラカンの大きな結び目』というタイトルの輪のような作品ですね。ラカンというのは精神分析の?

そう。精神分析家のジャック・ラカンのことです。これは作品を創造することをあらわした作品なんです。ラカンによれば、モノを作るにはそれぞれがぶつかり合わずにまわっている3つの星のようなものが作用する。この作品はそれをあらわしています。ひとつは現実、ひとつはシンボル、ひとつは想像。この3つは僕の作品づくりにも大事なものです。想像からはじまって、そこに注釈をくわえ、現実を見て感動したいという欲求。

ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日 13

『ラカンの大きな結び目(Le Grand Double Noeud de Lacan)』 2011年
ⒸJean-Michel Othoniel/Adagp, Paris 2012

この作品を最後にもってきたのは、これを日本の人がどう思うか知りたかったからで、日本の人は現実、木や花を見て感動する感受性がとても強いと思うけれど、でも同時に、力強い想像の世界ももっていると思うんです。子どもむけのプロジェクトに、『ふしぎな現実』と名前をつけたのもおなじような思いで、子どもたちが現実を見ながら、感動を受けて、現実がすばらしいものになるんだっていうことを知ってもらいたかった。それから、作品のうしろには技術があるっていうことも知ってもらいたかったし、作品に触れるみたいな感じもいいと思って。美術館のなかの作品は触れないじゃない?

── さきほど体験しましたが、大人でも楽しいですよね!

もちろん! 原美術館のものはパリでやったものよりずっと大規模だし、みんなに楽しんでもらいたいです。

ジャン=ミシェル オトニエル:マイ ウェイ
東京都品川区北品川4-7-25 原美術館
会期|2012年3月11日(日)まで開催中
オープン|11:00~17:00(水曜日は20:00まで。入館は閉館時刻の30分前まで) 月曜日休館

ジャン=ミシェル オトニエルによる展覧会『マイ ウェイ』来日 14

撮影:スズキアサコ

ワークショップ『ふしぎな現実』を体験しよう

ワークショップ『ふしぎな現実』ではAR(拡張現実技術)を使ってオトニエル作品を楽しめる。
図形の描かれたパネルを手に、大きな画面の前に立つと、画面の中の自分のパネルの上にはオトニエル作品が立体的に浮かび上がるのだ!
手にしたパネルの向きをかえることで上下左右に作品が動きまわる体験は子どもならずとも楽しい!
オトニエル作品のぬり絵コーナーも。
共催:ボンポワンジャポン株式会社

Jean Michel OTHONIEL

Jean Michel OTHONIEL|ジャン=ミシェル・オトニエル
1964年、フランス、サンテティエンヌ生まれ。1980年代より、硫黄、鉛、蜜蝋といった可変性の素材を使って作品を作成。93年よりガラスをもちいはじめる。装飾性と官能性が作品の特徴として挙げられ、カルティエ現代美術財団、パリ装飾美術館、ポンピドゥーセンターなどで個展を開催。またドクメンタIXや光州ビエンナーレ、イスタンブールビエンナーレなどの国際展でも活躍。 http://www.othoniel.fr/

           
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