ART|「ヨコハマトリエンナーレ2011」レポート(前編)
「OUR MAGIC HOUR ─世界はどこまで知ることができるか?─」
「ヨコハマトリエンナーレ2011」レポート(前編-1)
横浜を舞台に3年に一度おこなわれる、現代アートの国際展「ヨコハマトリエンナーレ2011」。風光明媚なヨコハマの街で開催される現代アートの国際展とあって、アートファンならずとも要注目のイベントだ。港町の風情を楽しみながら巡ることができる、展覧会場のなかから独自に選んだ注目の作品を、前後編の2回にわたって紹介しよう。
写真と文=加藤孝司
美術館のエントランスや通路までをつかったダイナミックな展示
ヨコハマトリエンナーレ2011 『横浜美術館』
2001年のスタートから第4回となる今回のヨコハマトリエンナーレ2011のタイトルは、「OUR MAGIC HOUR ─世界はどこまで知ることができるか?─」。
1990年代後半以降、インターネットの発達とともに情報化が進み、世界でおこっている事件や、ささいな出来事のほとんどをリアルタイムで知ることができるようになった。そこで起こっていることは実際に体験しなくても、情報を知ることで誰もが知ったつもりになっている時代が現代である。
しかし、今回のヨコハマトリエンナーレ2011のタイトルにもあるように、この世界には多くの謎や、まだ誰も見たこともない魅力的なこと、あたらしい視点が潜んでいる。「OUR MAGIC HOUR」という言葉には、知り尽くしても知り尽くすことのない、この世界のすばらしさをアートで伝えようというディレクターの願いを感じることができる。
77組/79名のアーティストによる約300点以上の作品
メインの展覧会場となるのは、みなとみらい地区にある横浜美術館と、港湾地区にある日本郵船海岸通倉庫(BankART Studio NYK)。総合ディレクターを務めるのは、メイン会場のひとつともなっている横浜美術館館長である逢坂恵理子氏。アーティスティック・ディレクターは、パリの国立アート・センターパレ・ド・トーキョーでチーフ・キュレーターなどを歴任した三木あき子氏が担当する。展示作品は、先の東日本大震災以降の危機を乗り越えながら、21の国と地域、77組/79名のアーティストによる約300点以上、国際美術展として世界的にも注目される作品が集まった。
今回初めてメイン会場として使用される横浜美術館では、建物正面にスイス人アーティスト ウーゴ・ロンディノーネ氏の12の彫刻作品を大胆に展示。2メートルほどもある12の作品は、それぞれ暦の1月から12月に対応するプリミティブなオブジェクト。ユニークな表情をした未知の精霊たちが、この場所を訪れたひとたちを陽気に迎えてくれる。
美術館に入るまえに、もうひとつ見逃してはならないウーゴ・ロンディノーネ氏の作品がある。それは美術館建物の屋上に据えられた本展のタイトルでもあるOUR MAGIC HOURのレインボーカラーのネオンサイン。日本の建築家ユニットSANAAが建築を手がけた、ニューヨークにあるニュー・ミュージアム・コンテンポラリーアートでの作品でも知られるロンディノーネ作品同様、港町ヨコハマの青空を背景に本物の虹のように晴れ晴れとしてみえる清々しい作品だ。
中国人女性アーティスト 尹 秀珍からのメッセージ
館内に入り、まず目に飛び込んでくる、エントランス中央にすえられた作品は、中国の女性アーティスト 尹 秀珍(イン・シウジェン)氏の作品「ワン・センテンス」(2011年)。色とりどりのテキスタイルをロール状に巻いたものが108つ、規則正しく展示台にならんでいる。作品を離れて見てみると、展示台も作品とおなじように渦巻き状になっている。これらの作品は一点ずつが、一人の人間の着衣をほどいてできているという。
108人分の着衣は、仏教における108つの煩悩の数をあらわし、古着という個人の記憶のメタファーにもなっている。目印のように洋服についたタグも織り交ぜながら、ひとつに巻き上げられた色とりどりのテキスタイルは、あたかも地球上にいる異なる肌の色をした人びとの姿のようだ。人間は似ているようで、当然ながら一人ずつちがう。だからこそ共生していかなければならない。古着を人間の「第二の皮膚」と捉える彼女からのそんなメッセージも感じることができる。
オノ・ヨーコ氏によるスリリングな作品
そのおなじエントランスに、実際にひとが入ることができる迷路のような作品「TELEPHONE IN MAZE」を展示したのはオノ・ヨーコ氏。アクリル板の迷路の中央には、四方を映し出すミラーボックスが見える。それはあたかも透明性のある世界にいながら、先の見えない社会のなかにいる我われ人類の未来を予見しているともみてとれる。
だが、その外の見えないミラーボックスのなかには一台の電話がおかれている。そこには、不定期に作者であるオノ・ヨーコ氏自身から着信があるという。時と空間を超えた、メッセージで繋がる作品と鑑賞者。東日本大震災後にもいち早く世界にむけてメッセージを送ったオノ・ヨーコ氏。運よく作家からメッセージを受け取ることのできるかもしれない、そんなハプニングを予見されるスリリングな作品だ。
「OUR MAGIC HOUR ─世界はどこまで知ることができるか?─」
「ヨコハマトリエンナーレ2011」レポート(前編-2)
田中功起氏のインスタレーション
現在、ロサンゼルスに拠点をおき、日本人現代芸術家として近年その活動が注目されている田中功起氏は、日常のなかに潜むなにげない一コマに小さな波を起こすことに長けた芸術家だ。今回田中は美術館の館内の倉庫や通路にあった、ショーケースや椅子、案内板などと自身の作品を組み合わせてインスタレーション作品を制作。日常と非日常を曖昧にしていくこのレディメイドともいえる作風は、彼にあってほぼ完成されたといっていい。
「ありもの」で構成される作品は、作家が世界をみる視点をそのままあらわにしている。そのなかに挿入される5つの映像作品だけが、この空間と鑑賞者を世界に繋ぎとめる。
まるで制作途中と見まごう展示風景には、戸惑う鑑賞者も多いと思うが、すべてがドラマチックとはいえず、これといったあてもなくつづいていく日常を、その作品から感じとることができるだろう。
マイク・ケリー氏が暗幕のなかに出現させた小さな都市
巨大なキャンバスに精緻な絵筆によるファンタジックな世界観がひきつける作品は、薄久保 香氏の「D&D Delicate discovery」。一見、写真のように見える作品だがじつは油彩作品。描かれる被写体は、慎重に表情をさぐられないように後ろや横を向いている。少年をモチーフにしながら、けなげさや、無邪気さとは無縁の神秘性をただよわせているのは作家の内面性をあらわしているからだろうか。
LA在住のアーティスト マイク・ケリー氏は、砂糖菓子のような小さな都市を、暗幕のなかに出現させた。トレイに置かれたテーブルウェアのようにも見えるそれらの作品は、アニメ、スーパーマンの故郷となった架空の都市「カンドール」をイメージしてつくられているという。
静寂さに満ちたハースト氏らしい作品
つねに世界のアートシーンから注目を集める現代アートの最高のスターはダミアン・ハースト氏といっても過言ではないだろう。親子の牛を切断してホルマリン漬けにした作品や、ドクロにダイヤモンドをあしらったもの、そのすべてが現代アートを挑発する力強さにみちている。
今回ヨコハマトリエンナーレ2011で発表される作品は、ハースト氏らしい静寂さに満ちたもの。宗教画のような荘厳さをもちながら、鮮やかな色合いによって華やかさを備えた作品は、じつは何千枚もの蝶の羽根で描かれたタペストリーとも曼荼羅ともとれる。死と生に向き合いながら、その本質にある生命のダイナミックさを表現する作品を発表しつづけるハースト氏らしく、生命の意味と価値を作品をもって問いつづけている。
「OUR MAGIC HOUR ─世界はどこまで知ることができるか?─」
「ヨコハマトリエンナーレ2011」レポート(前編-3)
日本独自の死生観を想起させる杉本博司の作品
鉄パイプを中世の伽藍のように組み上げた作品は、イタリア人アーティスト マッシモ・バルトリーニ氏の「オルガン」(2008年)。パイプから荘厳なオルガンによる音楽が響く仕組みで、天井高のある空間を活かした展示だ。
美術館のなかに、写真を中心として自身の作品と骨董品、隕石や化石による空間「神秘域(かみひそみいき)」を出現させた杉本博司氏。自身の有名性をもった現代アート作品と、無名性によるアノニマスなオブジェクトを組み合わせて、日本独自の死生観を想起させる、侘び寂びとも感じさせる独自の世界観をつくり上げている。
現代アートを観る楽しみ
無数のクリスタルボールがランダムに床一面にちりばめられた空間。作品につけられた意味深なタイトルからイメージされるものを、作品を体験しながらなぞるのも、現代アートを観る楽しみのひとつだ。
写真家の荒木経惟氏は、圧倒的な量の写真作品を美術館の展示らしく上品に展示。愛猫チロを被写体にした作品、ブルーが印象的な空の写真、モノクロームのノスタルジックな作品と、ゆるぎない荒木経惟氏独自の世界観を縦横無尽に多様に表現している。なかでも「被災花」と題された作品は、赤色が際立った花の写真一枚で、震災後の無常感溢れる世界を鮮やかに切り撮ってみせた。
それらの作品に共通しているのは、荒木氏個人の生命観から発せられる、「エロス(生)」と「タナトス(死)」の混在した世界。生と性をテーマに「死」さえも自身のなかに取り込んだ近年の荒木氏の写真表現は、一見すると世界に対して拡散していく外にむかうエネルギーの強さを感じるが、じつは内省的な魅力に満ちていることを、これらの作品から感じることができるのではないだろうか。