Chapter 7 Talk Show 坂 茂&野村友里|New BMW GRAN TURISMO@BMW Studio ONE
Chapter 7 Talk Show "LIFE"
第1回トークショウ 「ライフ」 坂 茂×野村友里
2010年1月30日に東京 神宮前にオープンしたBMW Studio ONEでは、2月28日までの約1カ月間、「未来へ向けたサステイナブルな生活のあり方」をテーマに、さまざまなイベントが催されます。毎週金曜日には、各界からのオピニオンリーダーをお招きして、「サステイナビリティ」について語るトークショウが開かれます。第1回1月29日のゲストは、建築家の坂 茂さんとフードディレクターの野村友里さん。ロバート・ハリスさんをモデレーターに、素敵な対談が繰り広げられました。
まとめ=三宅和歌子写真=吉澤健太
──本日のキーワードは「LIFE」。住と食を通したサステイナブルな生活と題して、建築家の坂 茂さんとフードディレクターの野村友里さんのお二人にお越しいただきました。まず、坂さんは小さい頃から建築家になりたいとお考えだったのですか?
坂 子どもの頃、家の増改築でいつも大工がいたので、最初は大工になりたいと思っていました。木の破片を拾って何かを作るのも好きでしたね。それが徐々に建築家に変わってきました。
──野村さんは? 昔から食の仕事をしたいとお考えだったのですか?
野村 そうでもないんです。ただ、母がずっとおもてなしの教室をやっていて、それを見て育ったせいか、自然と今の道に進んでいたんだと思います。
──お二人とも家庭環境が影響しているんですね。
坂 そうですね。僕の母も洋服のデザインをしていたので、その影響もあるのかもしれませんね。
──また、お二人は海外で勉強をなされたんですよね。坂さんはアメリカ、野村さんはロンドンですね。
坂 もちろん日本でも十分に勉強はできるのですが、建築の勉強で一番重要なのは、いい建築を見ることなんです。アメリカには近代建築、特に戦後から80年代までの世界でもっとも素晴らしいものが建っている。また、建築のシステムがよくできているので、アメリカに行きました。
野村 私は英語圏で外に出たかったんです。イギリスならすぐにパリやベルギーにも行けるのでイギリスにしました(笑)。当時は名のあるシェフが毎週のようにレストランをオープンしている時代で、学ぶことがたくさんありました。日本のこともものすごく質問されるので、必死に勉強したり、外に出たほうが俯瞰で日本を見られるので、よかったと思います。
──では、建築とサステイナビリティについてですが、坂さんは設計される時、サステイナブルであることを意識されたりするんですか?
坂 たまたま80年代後半から再生紙で建築をつくる実験をしてきたので、サステイナブルやエコロジーといったラベルを貼られることが多いんです。でも、もともと環境のことを考えて始めたわけではないし、今だに考えていない。ただ、モノを無駄なく、身の回りにある材料で特殊な技術を使わなくてもできる建築というのを考えた。それが今になって、その種のレッテルを貼られてしまったのですが、そういう意識は持っていません。ただモノを大切にしようという気持ちでやっているだけなんです。
──きっとそういう気持ちがサステイナブルな気持ちにつながっているので、そのように言われるのではないでしょうか。今、スライドが出ています。
坂 阪神淡路大地震の時の仮設住宅ですね。
──この時にはベトナム難民の方がずいぶん被災されたんですよね。
坂 そうですね。長田区に住んでいて被災した難民です。彼らにも政府の仮設住宅に入る権利はあるのですが、それは郊外にある。でも、彼らは近所の工場で働いていて、郊外に移ると通うことができず、仕事がなくなってしまうんです。それで近くの公園でテント生活を始めたのですが、周辺からスラム化を心配して追い出されかけていた。そこで衛生的で見た目もきれいなものなら周りも認めてくれるのではないかと、紙管とビールケースで仮設住宅「紙のログハウス」をつくりました。
──震災に出向いて何かしようというのは、いつ頃からですか?
坂 建築家の仕事を始めてショックだったのが、建築家はあまり世の中の役に立っていないことでした。歴史的に見ても、建築家はお金持ちや権力者など、特権階級のために仕事をしているんです。政治力も財力も目に見えないので、それを見せるために建築家を使ってモニュメントをつくってきた。現在でもそうです。医者や弁護士は社会的な弱者のために仕事をしている人もたくさんいるのに、建築家にはいない。その時に今から医学部に入るのでは遅いし、せっかく学んだ建築の技術で少しでも世の中の役に立つことをやりたいな、と思って始めたんです。1994年に国連難民高等弁務官事務所本部の指導のもとでルワンダ難民の仮設住宅をつくったのが最初です。
──被災地にご自分の生徒を連れていらっしゃいますよね。
坂 ボランティアで仮設住宅をつくる時に、学生はタダというのもありますが、学校の教育より実際の場所に連れて行って自分の目で見ることが重要なので。中国の四川大地震の時も向こうの建築学校と共同で1ヶ月で学校をつくりました。あの辺は相当に反日感情があって、日本人が来て何をするんだと敵対視されたのですが、一緒に仕事をしていくうちにだんだんそういうことがなくなってきた。帰る時には、みんなで抱き合って泣いていました。そういういろんな文化に日本人が飛び込んでいくことが必要だと思うんです。僕はモノをつくるよりも人をつくった方がいいんじゃないかと思っていて、僕の役割は次の世代をつくることだと思っています。それがもしかするとサステイナブルなのではないかと思います。
──野村さんは? 食べ物は生命を維持するものですが、食とサステイナビリティの関係をどうお考えですか?
野村 食欲があるというのは生きようという意思があることですよね。自分もまわりの人にも食欲があって欲しいなとは、いつも思っています。何をするのでも源になりますよね。料理で生きていけるのはすごくありがたいと思っているのですが、最近は年齢と共に自分には何ができるのだろうと思うようになってきて、結局大したことはできないのではないか、と。だったら一生懸命やろうと思うのですが、自分の料理を食べてもらうということは、少なからずその人の何か、精神的なものや肉体的な部分に関わることですよね。
だからその人たちがすごく素敵なことをしてくれたら、自分も間接的に関われたと思うし、そういう気持ちを日々大事にしていこうと思っています。仲間と食べられて会話ができて、という行為はなくならないで欲しいし、きっとどんなに進化してもなくならないと思っています。
──展示されているサステイナブルラゲッジですが、野村さんのところには水がありますね。
野村 ええ、水は生命の源だな、と思って。ほかに展示したものに『かぐや月に挑む』という本があるのですが、日本の衛星かぐやが打ち上がって、初めて月面から地球の入と出を見られた。DVDで地球が昇ってくるのを見た時に、なんてきれいな星だろうって。自分が月にいたら、いつか地球に行ってみたいと思うだろうなって思ったんです。やはり地球は水の星なんですよね。
──坂さんの展示には先ほどのお話にあった学生の写真と、ご自身の作品集がありますね。書くという作業はいかがですか?
坂 書くことは好きではないし、得意ではないのですが、アメリカで学んだクーパー・ユニオンで建築の必修科目に詩を書く授業があるんです。なぜかというと、詩と建築はとても似ているから。構造をつくって肉付けしてストーリーをつくっていくんです。それがわかってやってみたら、すごく得意で先生から褒められました(笑)。
──野村さんも展示品にスケッチブックがありますが、書くことは?
野村 あまり得意ではないですが、頭の中にもやもやしているものを書いたほうが整理しやすいので、スケッチブックを使っています。
坂 お料理をつくる時のヒントを書かれているんですか?
野村 そうですね。感覚や色や組み合わせを絵で描いたり言葉で書いたりしています。
──それぞれのサステイナブル・アイテムもとても興味深いですね。お二人ともサステイナブルであろうと意識しているわけではないけれど、結果的に生活スタイルや仕事に対する考え方がサステイナブルにつながっている。それがとても面白かったです。本日はどうもありがとうございました。
問い合わせ先|BMWカスタマー・サポート
0120-55-3578 (年中無休 9:00-20:00)