Chapter9:コート・ジ・ボアール
Chapter 9 : 大好きなコート・ジ・ボアール
約半年振りにニューヨーク(NY)の部屋に戻ってきた。日本にいるとバタバタして落ち着いて書き物も出来ないのでこっちでゆっくり原稿を書こう……と、思っていたらとんでもない災難に見舞われてしまった。
“ベッド バグ” って聞いたことがあるだろうか。なんか可愛い小動物を思わせるこの名前の生き物の正体は “南京虫”。いま、40年ぶりに全米を震撼させているこの “南京虫” が、私のアパートにも出没し、最初はタカをくくっていた私も見事にこの虫に体中を刺され、仕事どころの騒ぎではなくなり、最終的に引越しまでする羽目になった。
私の借りていたアパートは決して雑多な場所でも不潔な場所でもなく、たしかに様々な人種はいるけれどどちらかというと環境の良いエリアで結構気に入っていたのだけれど……マジ、南京虫はヤバイ!
アフリカのどんな貧しいエリアに行っても、どんなホテルに泊まっても、南京虫には刺されたことがなかったのに……まさかNYで刺されるとは……。あ~あ。
さて、今回の 『アフリカの風』 は、爽やかな風が吹き、日差しもなんとなく西アフリカの日差しを思わせるような季節になってきたので、大好きなコート・ジ・ボアールのことを記そう!
ちなみに首都アビジャンの治安は決して良いとは言えず、写真を撮ることが出来なかったので想像力を駆使してお楽しみください。
text&photo by ASANO Noriko
1994年8月。初めての西アフリカ
1994年8月。初めての西アフリカ。コート・ジ・ボアールの首都/アビジャンの景色はそれまで行ったエチオピアやエリトリア、ケニアとはまったく違っていた。
この地は色彩に溢れていた。女性の着ているものは、それまでテレビのなかで目にしていた原色の布でつくられた民族衣装。頭の上に荷を乗せ、スタスタと歩くその姿こそ私のイメージしていたアフリカだった。それまで行ったアフリカの国では、そんな光景は見たことがなかったから当時、初心者の私にとっては “ これぞアフリカ!” って感じでワクワクしたものだ。
アビジャンは、小さな島が橋で繋がっている。高層ビルが並び、各国の大使館やビジネスの拠点となっているプラトー、高級住宅地で治安もかなり良いココディー、そして私たちが宿泊したトレッシュビル。トレッシュビルは、地元の人達が住むエリアで治安も他のエリアに比べたら悪い。でもアビジャンの人たちの日常が判るし、安くて美味しい食堂もたくさんある。
とくにトレッシュビルのマルシェ (マーケット) は、様々なものが雑多に並べられていて大好きなところだった。……その後、94年に行ったマルシェは火事で全焼し、新しいマルシェが建ったのだけど……放火だったという噂も聞いた。
95年の誕生日は、コート・ジ・ボアールで迎えた。最高の誕生日だった。夜行バスで9時間かけてブルキナファソとの国境ちかくの町、ファカハに行った。
ファカハに着いたのは朝4時半を過ぎたころ。東の空から朝日が昇りかけたとき、反対側の空には大きな、大きな満月がその姿を消そうとしていた。
アフリカの大地で見る満月は感動的。とくにこの時の月は本当に大きくて……。昇る太陽と消える月。なんて言うか、広い宇宙の中の地球という星で大地を踏みしめている、生きている自分を思い切り感じてしまった。マジ、感動!
ファカハからコロゴへ
ファカハは、大きなマルシェがあってけっこう活気がある街だった。ホテルも過ごしやすく食事も美味しい。
ここは、ヨーロッパで凄く人気がある布で有名なところ。その場所へも行ったが大きな広場で女の人が綿花を紡ぎ、男の人が布を織る。その布にシンプルだけど凄く上品な刺繍を入れていく。すべて手づくり。通常は、テーブルクロスに使うらしいが、ファカハのホテルではこの布をシーツにも肌掛けにも使っていて、これがじつにサラサラで心地良く、暑い所にはピッタリの布。私も気に入ってたくさん買い込んでしまった。
機会があれば、『rumors』で紹介したい。
しかし、このときファカハに行ったのはついで……というか、目的地の途中に立ち寄ったというのが本当のところ。最終目的は、コロゴペイントで有名な集落に行くことだった。
コロゴペイントは、アフリカ好きなら知っている独特のペイントを施したタペストリーなどに使われる布。最近では、機械で織った布にペイントを施したものもあるが、私はどうしても本家本元……コロゴに行ってみたかった。
コロゴは、ファカハからタクシーをチャーターして道なき道……赤土のサバンナを1時間ほど行ったところにいきなり現れる30世帯ぐらいの集落。その場所への道のりはアフリカの大地を身近に感じることが出来る。
大きなバオバブの木が点在し、その間を車が走り抜けていく。ときどき、カラフルな民族衣装をまとい、たくさんの木を頭に乗せた女性たちにすれちがった。アフリカの女性は、本当によく働く。それにしても1日何キロ歩くのだろう……。とりあえず、体脂肪率“0”ということは間違いなさそうだ。
コロゴの集落は、泥で出来た小さな家が広場のまわりに数件あるだけ。その広場でコロゴペイントの最終作業が行われている。
……と、言っても物干しに手書きのペイントを干していくだけの場所なのだが、この手書きのコロゴペイントが、アートの域に達している。ザクッと織られた大きな綿の布に泥と特殊な顔料を混ぜたもので絵を描いていく。その絵がじつに面白い。動物や人が主に描かれているのだけれど、それが宇宙的っていうか、原始的っていうか……。よくテレビなんかに出てくる大昔の壁画とかに通じるものがある。
この集落までわざわざ行ったのは、その場所で自分の気に入った布が買えるという話を聞いたから……。1日がかりで行った甲斐があったというか、そこにあったコロゴペイントはアビジャンのマーケットに置いてある物とは比較にならず、線の力強さと空間の使い方が群を抜いていた。
やっぱり、現地に行くと本物に出会える。凄く幸せな時間だった。
どうにもならない焦燥感
…………しかしその後、すぐにどうにもならない焦燥感に襲われることになった。
私には喘息の持病がある。だからどんなところに行くにもミネラルウォーターを持参する。
一度、高度2400メートルのエチオピアで発作が起こったときに水を持っていなくて本当に大変なめにあったことがある。地元の人が水を持ってきてくれたのだけれど茶色く濁った水を私は飲むことが出来なかった。感謝の気持ちは物凄くあったけど……。それ以来、どんな所に行くときにもミネラルウォーターは、欠かせない。
そしてこのときも、私は500ミリのペットボトルを持参していた。何気なく口にした “透明の水”。それを見ていた子供たちが一斉にその透明の水を欲しがった。……私はどうすることも出来なかった。その水を渡してしまえば自分の命が危なくなるかもしれない。子供たちは茶色の水を飲めても私には飲むことが出来ない。……そう、自身を納得させるしかなかった。
でも、物凄い罪悪感に襲われた。たしかに、一瞬 “透明の水” をあげたところで彼らがずっとそれを口に出来るわけではない。でもあげるべきだったんだろうか……。
その後、西アフリカの広いエリアでコレラが大流行した。劣悪な衛星環境、汚染された水を飲んだ人たちが感染し、数多くの体力のない子どもたちの命が失われた。
私たちが当たり前のように口にしている “水”。水道の蛇口をひねれば無限に流れると錯覚してしまう私たちの日常生活。…………でも、本当は違うんだよね。
私は、アフリカの人たちに沢山の元気を貰い、沢山のことを教えてもらっている。……そう、生きることの根本を。
…………と、いうわけで今回は、コート・ジ・ボアールのことをチョットだけ記しました。またつぎの機会にこの大好きな国のことを記します。楽しみにしていてください。
その後、コート・ジ・ボアールは、クーデターが起こったりして退避勧告および渡航延期勧告がいまなお発令されています。1日も早く、あの平和な大好きなコート・ジ・ボアールが戻ってくることを祈らずにはいられません。