Chapter7:『ルワンダ映画祭~“虐殺”から学ぶこと』-2
Chapter7
『ルワンダ映画祭~“虐殺”から学ぶこと』-2
前回の“アフリカの風”では、エリックカペラ監督の『記憶の守人』を紹介しました。今回は、アフリカ系ハイチ人のラウル・ペック監督の作品『四月の残像』を紹介します。
この映画祭は4月20日まで渋谷のアップリンクで行われているので時間のある人は、是非足を運んでください。
※上映スケジュールが連日変わるので詳細は http://www.uplink.co.jp/top.php をチェックして下さい!!
photo&text by ASANO Noriko
『四月の残像』
‘94年に起こったルワンダの大量虐殺は、ルワンダの大統領(フツ民族)とブルンジの大統領(フツ民族)が乗った飛行機が追撃されたことから始まった。フツ民族系のラジオの放送がそれを伝える際に「殺らなければ殺られる。」と民衆をあおったことが、大量虐殺の始まりだとも言われている。アフリカ諸国においてラジオの普及率は高く、影響力も大きい。テレビは都市部の限られた人たちだけが所有している贅沢品でワールドカップの時などは、みんながテレビを欲しがる。でも結局は、ラジオの放送に大勢の人が群がり一喜一憂している。ラジオはアフリカの人たちにとって必需品だ。そのラジオを利用した大量虐殺……。
物語は、フツ民族の警察官の兄と人気ラジオ局のDJをしているその弟、そしてツチ民族である兄の妻とフツとツチの両方の血を引く子供達の惨劇を中心に当時の大量虐殺が描かれている。
当時、フツ民族とツチ民族が夫婦になることは、決して少なくはなかった。しかし、一部の民族浄化を提唱するフツ民族系の軍部は、大統領の乗った飛行機が追撃されたことをきっかけにツチ民族の一掃を始める。夫婦であってもツチ民族をかばう者は裏切り者とされ、やはり殺されることとなった。
虐殺が始まった夜、妻と子供達は隣人である白人の家に一晩だけかくまって貰う。近所からは、銃声と悲鳴が聞こえてくる。それは、他に類をみない大量虐殺の幕開けだった。フツ民族の身分証明書を持たないものは、有無を言わさず殺された。その殺され方は、あまりに残虐だった。そこには、殺人を楽しむような光景さえ見られる。斧を振りかざし、殺人を行う人々。群集心理の恐ろしさ。そんな中、UNをはじめ、先進国の国々は、白人のみを安全な場所へ移動させた。すぐ側で虐殺が行われていても助けることをしなかった。
民族闘争の根底にはDNAの断絶という最悪の思想がある。将来敵対するかも知れぬDNAは絶つ。だから、女、子供だからといって容赦しない。当時、聞いた話だが、例えば父親がフツ民族、母親がツチ民族で6人の子供が居たとする。その場合、母親に3人の子供を選ばせてその3人の子供達と母親を父親が他の子供達の見ている前で殺害したそうだ。残された子供達は、父親の残虐な行為にショックを受け、精神障害を起こした子供達も少なくないという。この映画では、父親は妻と子供達を逃がした。しかし、実際はそうでないケースも多かったと聞く。又、この映画の中で何度も描かれている大量虐殺場面。実際に行われたこの一つを記そう。ある晩「今夜、フツ民族の襲撃があるからみんな教会に身を寄せなさい。」と誰かが言い、恐怖に慄いた多くの村人は教会に逃げ込んだ。教会の中が一杯になったその時、外側から鍵をかけられ、火を放たれた。数百人のツチ民族の村人が逃げ場をなくして教会の中でもがき、苦しみ、息を引き取った。その場所には、今も多くの虐殺された人たちの遺骨がそのままにされているという。この映画では、目を覆いたくなるようなシーンが何度も描かれている。でも、それはあくまでスクリーンの中に観るものであって実際の現場には、“血”の臭いが埋めいていたことを忘れてはならない。
立場の違う兄弟とその家族。‘94年にアフリカのルワンダで何が起こったのか……。“血”とは何なのか……この映画を観て、是非考えてみて欲しいと思う。
<メディア>
私はこの映画を観てメディアによる洗脳がいかに恐ろしいものかを改めて感じた。アフリカの友人たちはともかくテレビを欲しがる。その度に私は、何故か溜息をついてしまう。日本に生まれ、それこそテレビと共に生きてきた。しかし悲しいかな自分もメディアにかかわる仕事をしていながら彼らがテレビを持つということを諸手を挙げて喜ぶことは出来ない。それは情報を確かめるという手段を持っていない彼らが、一方的に流される情報に凄く左右されてしまうからだ。実際、この虐殺もそういった“メディア・コントロール”……いわゆる“洗脳”によって広がっていった訳だし……。
先進国でもメディアを動かすものの意思によって情報を操作し、事実を捻じ曲げてしまうことはいくらでも行われている。一方的な報道は、人々に真実かどうかを考えさせない妙な説得力を持っている。メディアにカリスマ性を持つ人の言葉がのると民衆は、一気にその言葉に流されがちだ。加えて、メディアはその影響力を理解していて、それに関る人はきっと正しい事を言っているに違いない……と、思っている人が多いようでメディアの発言をそのまま受け止めてしまうことが多々ある。勿論、多くのメディアとそれに関わる人たちはキチンと物事を検証し、事実を伝えようとしている。しかし、そうでない時もある。
映画の話から横道にそれてしまったけれど、メディアは大量殺人を誘導することも出来てしまう……ということを言いたかった訳で、みんながそれを頭の片隅において一人、一人が真実を追う世の中になって欲しいと思う。……とはいえ、アフリカ諸国をはじめ、第三世界では中々それも難しいのが現状なのだけれど……。
<先進国の役目>
この‘94年の大量虐殺において先進国は何をしたのだろう。救える命を見殺しにした……というのが本当のところだと思う。ルワンダで何が起こっているのか多くの先進国の政治家は知っていた。でも仲裁に入るどころか見て見ぬ振りをした。PRFが政府軍を制圧し、報復を恐れたフツ民族の人達が近隣諸国に難民として国を逃れたとき、多くの先進国がようやく動き出した。日本のメディアもこの大量虐殺を詳しく取り上げ始めたのは、難民流失が始まった頃だったと思う。だから、多くの人が知っているあのルワンダ難民の光景は、虐殺を行った側のフツ民族の人たちの姿であり、100万人近く殺されたツチ民族の人たちではない。そして、あの難民の中には大量虐殺で主導権を握っていた幹部も多く含まれていた。……とは言っても難民になって数百キロの道のりを歩いた大半が弱者であり、女、子供だったのだけど。
この、ルワンダの大量虐殺は、先進国がもっと介入を早めればここまで大きなものにならなかったに違いない。UNも先進国の協力を得ることが出来なかった。日本も含め、救える命を見殺しにした責任は大きいと思う。
それと、前回も書いたように虐殺が行われているとき、日本のメディアは殆ど扱わなかった。100日間で約100万人の命が失われたのだ。もっと早い時期からニュースで取り上げていれば、日本人の多くが関心を持ち、政府も動いたのではないかと思う。政治を動かすのは、民衆の声で、そこに情報を提供するのはメディアの役目だと思っている。良い事も悪いことも含め、もっと広い視野で情報を提供していく必要があると思う。何かというと「視聴率が……。」と言って隣を見ながら番組作るのは止めたらいいのに!って、いつも思う。ただでも日本は島国で、人の行き来が少ないんだからもっと海外のことを多く取り上げないと本当に“井の中の蛙”になってしまうと思うけど。
<あとがき>
アフリカには、53ヵ国がある。でもそれは、西側諸国が線を引いた53ヵ国で本当は5000とも6000とも言われる民族が存在し、それぞれの言語と文化を持っている。西側の植民地政策が行われる前は、それぞれの民族が共存共栄していたとも言う。……植民地解放からまだ50年も経っていないアフリカの多くの国は国としてまだヨチヨチ歩きの赤ちゃんで多くの助けを必要としている。ルワンダの大量虐殺は悲しいことだけど、多くの教訓を残してくれた。あの大量虐殺は、決して他人事ではないんだと思う。自分の生活に置き換えてみると本当に沢山学ぶべきことがある。繰り返してはいけないこと……。
……今年、私は虐殺から13年経ったルワンダに行ってみようと思っている。そこに多くの笑顔があることを期待して!!
シネマアフリカ映画祭絶賛開催中!
■シネマアフリカwebサイト
http://www.cinemaafrica.com/
■会場アップリンクwebサイト
http://www.uplink.co.jp/top.php