第17回 古屋誠一インタビュー(2)
第17回 古屋誠一写真展『im fluss 流れゆく』インタビュー(その2)
前回(第16回)に引き続き、今回も古屋誠一氏におこなったインタビューの模様をお伝えいたします。
話は今展覧会のタイトルに託された古屋氏の思いから、彼の写真観へと流れていきます。
Photo by Jamandfixedit by TAKEUCHI Toranosuke(City Writes)
ドナウの川の流れに託された思い
──今回の展覧会には『im fluss 流れゆく』というタイトルが添えられていますが、これにはどんな思いが託されているのでしょう?
古屋誠一 このタイトルは「川」を意味するflussという言葉にimという副詞がついたドイツ語で、直訳すれば「川で」というような感じになる言葉です。
それを意訳して「流れゆく」という日本語タイトルを付けました。
そこにはまず、先ほどもお話しした時間の流れという意味を込めています。
私は現在オーストリアのグラーツという街に住んでいますが、近くをドナウ川が流れています。
ドナウ川は、黒い森(ドイツのシュバルツバルト)で生まれて、黒い海(黒海)に注ぐ大きな流れ。
私は常々、これはまるで人の一生のようだな、と感じています。黒い森は産道であり、黒い海はまさに死ではないかと。
そんな場所に住んでいることもあり、私にとって川の流れとは、とてもリアリティのある人生の象徴なのです。
さらにこの「流れゆく」という言葉には、私の写真に対するスタンスも現れています。
私は写真一点一点を、50音やアルファベットの一語だと考えています。ですから、極論すれば一点一点の写真に意味はないんです。
しかし、写真に写った一語一語を組み合わせることによって、それは言葉となり、物語となるんです。
そういう意味でも、今回の展覧会では、流れゆく物語を作品全体から感じてもらえればと考えています。
写真を使って紡ぎ出される物語
──ということは、ご自身としてもかなり客観的に自分の作品を見ているということですか?
ええ。私はいろんな写真を使って写真による文章を書いていますので、必ず自分も鑑賞者として写真を眺め推敲します。
展示をして見て、この写真はここにくるべき1枚じゃないなと気づくこともよくあります。
文章ですから、絶対にそこに収まるべきぴったりの1枚というものがあるのです。
そしてこれは必ずパブリックの空間に出して、距離をもって見ないとわからない。
だから私にとって展覧会とは、写真というカタチで内面をさらけ出す自分自身を、チェックする場でもあるのです。
私はなぜ写真を撮るのか。
突き詰めればそれは「自分とは何者なのか」という人間の根源的な問いにつながる行為なのです。
古屋誠一写真展『im fluss 流れゆく』
日程:8月3日(金)まで開催中
時間:12:00~20:00(月曜定休)
場所:RAT HOLE GALLERY(ラットホール ギャラリー)
港区南青山5-5-3 HYSTERIC GLAMOUR 青山店B1F
TEL:03-6419-3581