生方ななえ|連載第17回|柿の魔法
連載第17回|柿の魔法
写真・文=生方ななえ
味覚の秋。食の魅力がつきないこの季節になると自然と心が浮き立ってくる。サンマに栗、松茸、新米、果物では梨にリンゴ、柿……。あれも食べたい、これも食べたい。涼しくなって食欲も増し、旬のおいしいものを食べるのは最高に幸せな時間だ。そんななか、「食」にまつわるすてきな本に出会った。
岡本かの子さん著の『食魔』。“食魔”と書いて“グルメ”と読む。“美食家”や“食通”と書いてそう読むこともあるけれど、グルメの様はまさに「食」に魅入られた“食魔”で、この本をはじめて見たとき「たしかに!」と感嘆の声を上げた。
内容は、表題をはじめとする小説5編と、随筆22編が収められていて、すべて「食」を題材にした作品である。このなかに『鮨』という物語がある。
小さいときから甘いものを好まない子どもがいた。子どもの食べ物は偏っていて、魚が嫌いで、野菜も好かない。肉類は近づけなかった。体内へ、色、香、味のある塊団を入れると、何か身がけがれるような気がして食事が苦痛だったのだ。唯一食べられるものは、塩煎餅、玉子と浅草海苔、生梅などの酸味のある柔らかいもの。痩せていく子どもを心配する母親が、子どものために手製の鮨をにぎることにした──。
この母親がにぎった鮨を子どもが食べるシーンは圧巻! 玉子の鮨からはじまり、イカ、鯛、ヒラメ、とつづいていく。母親が手品師のように鮨をにぎり、口にした子どもがおいしさを全身で表現し、生まれてはじめて魚を食べられたことによろこびを感じている描写は活力に溢れていている。「すし! すし」と絶叫する子どもの姿を見て、母親はうれしいのをぐっと堪える少し呆けたような顔をするところは読んでいて胸が熱くなった。
この物語の読後、私が幼いころ不思議だった“柿”のことを思い出した。
幼いころ、柿には2種類あることを知った。“甘い柿”と“渋い柿”。私にとってそれは“好きな柿”と“嫌いな柿”でもあった。まちがえて渋い柿を頬張ったときのことは忘れられない。口の中に一気に苦みが広がり、そして水分が吸い取られてしょぼしょぼする感覚。「うわーっ!」とぺっぺっぺっと吐き出した。
秋も終わりに近づき肌寒くなってくると、おばあちゃん家の軒下には紐で結んだ渋い柿が何段にも連なってぶら下がっていた。“きっとこれは渋い柿へのお仕置きにちがいない”と思いシメシメと見上げた。しかし日が経つにつれて痩せてしわくちゃになり、表面が白くなっていくのを見ていたら怖くなった。そのようすは何か得体の知れない奇妙なもののようにかんじ、あまり見ないようにしていたのを覚えている。
ある日の夕暮れ時、E.T.のようになった柿を部屋に取り込むのを手伝うことになった。“その柿が怖い”、と言うのがちょっと恥ずかしいことのようにかんじていた私は、平気なフリをした。
おばあちゃんが軒下から外した柿たちを受け取って、なるべくその柿たちと目を合わせないようにしながら(目なんてないのだけど)ザルの上に並べていく。紐の部分をもつようにしているのにたまに柿に触れてしまうとザラリとしていてブルッと震え上がった。
おばあちゃんが柿たちを丁寧に渡しながら、「太陽の恵みをたっぷり受けたこの柿はおいしいんだよ」と言った。「これは食べられるの?」とびっくりして私が訊くと、「食べてみる?」と微笑んで、ハサミでちょきんと紐の部分を切って柿を一つ渡してくれた。“怖い”と思いながらも、好奇心から食べずにはいられない。柿と目を合わせないようにしながら(だからないんだけど)、おそるおそるはじっこを少しかじってみた。硬くてよくわからなかったけど、ちょっと甘い香りがしたので“大丈夫かも”と思ってもう一口かじってみる。すると口の中に深い柿の甘さが広がり、「おいしい!」と思わず声が出ていた。表面は硬いけど中はもちもちしていておもしろい食感。あっという間に平らげてしまった。おばあちゃんはそれのことを“干し柿”と呼んだ。
その日から渋い柿が大好きになった。あんなに渋いのにどうしてこんなに甘くおいしい食べ物なるのだろう。マジックで変身した柿を頬張りながら「食」の魅力に深く感動したものだ。
今年も柿のおいしい季節、秋が来た。