島田 明|Life is Edit. #027 相棒MAXが教えてくれたこと
島田 明|Life is Edit.
#027 相棒MAXが教えてくれたこと(1)
ひとりのヒトとの出会いによって紡がれ、生まれるあたらしい“なにか”。
ひとつのモノによって惹きつけられ、生まれるあたらしい“なにか”。
編集者とは、まさにそんな“出会い”をつくるのが仕事。
そして人生とは、まさに編集そのもの。
──編集者、島田 明が、出会ったヒトやモノ、コトの感動を紹介します。
文=島田 明
だいぶご無沙汰してしまいました。皆さん、お元気だったでしょうか。
今回はぼくにとって特別な存在のひと、ではなく相棒であった犬の話です。
16年と3ヵ月。ぼくとずっと一緒にいてくれたMAXとの別れの話です。
~台風一過とともに、彼は旅立って行った
東京が台風に見舞われた、その日。ぼくの長年の相棒であり、息子のような存在であった愛犬MAXが天国へ旅立って行きました。
16歳、人間でいうと80歳を超える年齢を、ひとは「大往生だね」と言ってくれますが、ぼくにとっては、そう割り切れず、いまだにグズグズしている毎日です。
ここ数年、用を足すのもままならずにオシメをつけ、前立腺肥大の疑いで薬も欠かせず、今年に入って、それがガンに変化していることが発見され、5月に手術をおこなっても、そのガンが全身に転移しており、術後の医者の放った言葉が「余命3ヵ月です」。そして「最後は安楽死させる覚悟もしておいたほうがいいです」──ふざけんじゃねえ、胸ぐらをつかみたい衝動に駆られながらも、その現実を、ぼくは正面から受けとめざるを得ませんでした。
そして、いよいよ便が出なくなれば、死が近づいていることを感じつつ、ぼくはゴム手袋とワセリンで彼の用足しを朝晩問わず根気よく手伝っていました。それも効き目がなくなりはじめたら、長年通っていた動物病院に浣腸をしに連れて行き、そこでも浣腸の管が通らなくなったとき、「いよいよ来るときが来てしまった」と、ぼくにわざと聞こえるように呟く始末。それでも往生際の悪いぼくは、友人のJIMBOW君やジローラモに吉池先生という名医を紹介され、その病院で週2回腸内洗浄の処置してもらい、その日がいつ訪れるのかわからない、でも、その日は確実に近づいていることを感じながら毎日を過ごしていました。
でも、吉池先生の「最後までベストを尽くす。安楽死という言葉は簡単に使ってはいけない」といった懸命で心のこもった対応のおかげで彼は救われ、そしてぼくも救われました。
そんな愛ある対応もむなしく彼は突然、逝ってしまった。
でも、葬儀が終わったその足で、吉池先生へお礼にうかがうと、こうぼくに言ってくれました。
「安楽死にかんして悩みつづけた島田さんの気持ちを察して、きっとMAXは自分で逝ったんでしょうね。そしてぼくが彼に贅たくをさせてください、とアドバイスをしたことをふくめ、あなたは全部やってあげた。中トロや大トロを食べられた犬なんて幸せだったと思いますよ」
医学とは技術だけでなく、こういった吉池先生のあたたかいことばに救われる。ことばの大切さをあらためて思ったのでした。
島田 明|Life is Edit.
#027 相棒MAXが教えてくれたこと(2)
~本当に彼は愛されていた
彼の死を、ぼくは会うたびに「MAXは元気?」と言ってくれる、彼をかわいがってくれたひとたちに連絡しました。そして、その返ってきたメッセージは、どれもあたたかく、MAXの死を本当に悲しみ、同時にぼくのことを気遣ってくれました。ほんとうに、ほんとうにありがたかったです。
そんななかで彼が本当に皆から愛されていたことをぼくは実感できました。
ほとんど吠えない優しい性格、ひとや動物への気配り、年輪を重ねるごとに増す愛嬌、粗相をしたときの本当に申し訳ないといった素直な表情、そしてガンになっても決して痛さを感じさせなかった忍耐強さ、最後の最後までおいしいものに貪欲で、生きることに何より前向きだった姿勢……。
そういった彼への賛辞のことばの数かずに、ぼくはうれしさと同時に彼はみんなに愛され幸せだったこと、そしてそんな彼を誇りに思いながら同時に、「ぼくも彼のようになりたい」。バカな主人かもしれませんが、心底そう思っています。
16年と3ヵ月──彼はぼくにいろいろなことを教えてくれました。ほんとうに学ぶべき点が多かったのです。
そして、ぼくもMAXの死によって、本当にすてきなひとたちに囲まれ、助けられていることを実感したのです。
島田 明|Life is Edit.
#027 相棒MAXが教えてくれたこと(3)
~MAXが遺していったくれた、たくさんのもの
じつは、今年3月に父をガンで亡くしました。身近な死を、今年に入り立てつづけに経験したわけです。そんな死への経験はいろいろなことを僕に考えさせました。
そしてMAXは、多くのことを僕に遺していってくれました。
生命だけでなく、すべての関係には必ず終わりが来る、さよならのときが来る。そんな現実を最初から感じながら出会い、関係をひとはスタートするわけですが、失ったときのショックの大きさ、傷つくのを回避するためには深くは入り込まない、集中しない。そんなひとが増えてきている気がします。
確かにさよならはショックです。それはMAXの死で骨身に沁みて感じています。一日何度も瞬間瞬間に、涙がこみ上げてくるぼくですから。
でも、出会いは、それを上まわるくらいよろこびや幸せを運んで来てくれる。だから、ぼくはこれからも出会いを大切にし、ひとや動物、生きとし生ける者と深く関係し、喜びや幸せのときを一緒に感じたい──MAXは、その覚悟をぼくに遺していってくれました。
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#027 相棒MAXが教えてくれたこと(4)
~写真のなかに生きつづけるMAXへの深い愛情
今回、この原稿に添える写真を、かつてMAXの写真を撮ってくれたひとたちに提供していただきました。ありがとうございます。
カメラマンの秦 淳司さんの写真は、MAXが1歳くらいのとき。ジャック・タチの『ボクの伯父さん』をテーマに、ぼく自身がスタイリングした懐かしい1枚です。色がやや退色しているのは、秦さんが特別にMAXのために焼いてくれたプリントだから。秦さんもデジタルを使っていなかった15年以上前のものです。
ちなみに、ぼくがミニチュアダックスフンドを飼いはじめた理由は、このタチが、ダキというダックスを飼っていたからです。
増尾峰明さんの写真は、いまはなき雑誌『別冊ESQUIRE』のもの。このとき、ディレクションしてくれてMAXを起用してくれた高松シゲルさんには、MAXを『GQ』や『ライトニング』にも起用してもらい、MAXがモデル犬として飛躍(?)したきっかけをつくってくれました。そして別カットは、表紙やポスターにも採用された、MAXにとっても記念碑的な写真です。
稲田美嗣さんの写真は、何かの商品撮影のときの空き時間に撮ってもらったもの。MAXが元気だったころ、ぼくは彼をよくスタジオに連れて行きました。皆に愛想を振りまいていたMAXはつねにスタッフの人気者でした。稲田さんとは、よくMAXと一緒に釣りや山に行ったことが想い出されます。
M.S.パークさんの写真は、いまは俳優になった林 宏和くんとの2ショット。この反り返りを見ていたら、彼が焼かれて骨になったときに火葬場のスタッフに言われた「ほんとうに丈夫できれいな骨ですね」という言葉がオーバーラップしてしまいました。
島田 明|Life is Edit.
#027 相棒MAXが教えてくれたこと(5)
~MAX最後の旅立ちの顔は、ぼく自身で
その顔は、いつものMAXの寝顔のようでした。
あまりにも穏やかで、かわいかったので撮影しました。
合掌。
MAXをつうじて、ぼくはいろいろなひとに出会い、すばららしい時間をともにし、生きてきました。いまMAXは天国に旅立ちましたが、彼が遺していったものを大事に、いままで以上にすばらしい人生にしていきたい、それは彼の望みであるように思えます。そして、それが編集者としてのぼくの役目のような気がします。
MAX、本当にありがとう。
そして皆さん、MAXをかわいがってくれて本当にありがとうございます。
最後にMAXが逝ってしまった夜、ひとり読み返した有太マン著『抱くことば』(イーストプレス)のなかにあった、ダライ・ラマ14世のことばをいまの自分に、そしてみなさんに贈りたいと思います。
“両親や弟を失った悲しみは否定しませんが、
死にかんしては哲学的にとらえています。
古き友が去り、あたらしい友が来る。
それは一日が終わり、またあたらしい一日がはじまるのとおなじです。
大切なことは、意味ある友であったか、
意味ある一日だったか、ということなのです”