生方ななえ|連載第15回「夢の話」
写真・文=生方ななえ
久しぶりのオフ、その前夜。
「明日は好きなだけ寝ていよう」と、携帯の電源を切って目覚まし時計もかけずに就寝、翌日起きたら夕方の六時だった。昔からよく寝るタイプだけど、この時はさすがに自分のことながら驚いた。
辺りはすっかり薄暗くなっていて、さっきまで見ていた夢はなんだったっけ、と思いをめぐらしながらゆっくり起き上がる。水を飲んでフルーツを口に頬張るとかえって空腹感が増して、食材をつまみながらごはんを作った。そうこうしているうちに深い夜が訪れ、お風呂の用意をする。
湯船につかりながら読書をするのが日課である私、さて、今夜のお風呂本は何にしようか。お風呂用に用意したコレクションの数々を思い浮かべ、リラックス効果のある入浴剤をバスタブに振り入れる。
そうだな、今日はいっぱい夢を見たし(内容は忘れたけれど)、ひさびさに『文鳥・夢十夜』を読もうかな。上の棚から三段目、お目当ての本を取り出した。これは表題を含めて七編が収められている作品群だが、中でも『夢十夜』はたびたび読み返している大好きな作品だ。
「こんな夢を見た」──という書き出しではじまる夏目漱石著の作品『夢十夜』。
その名のとおり十の夢の話を綴った短篇集で、“第一夜”“第二夜”“第三夜”……とつづいていく。一つひとつの話は数ページと短く、ちょっと怪奇小説っぽい雰囲気に心惹かれる。『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』を書いた夏目漱石がこんな幻想的な話を書いていたとは! と、その意外性に驚くが、私にとってとくに印象的なのは“第三夜”の話……。
主人公は六つになる自分の子どもを背負って路を進んでいた。不思議なことに子どもはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。しかも何故か大人びた口調に変化していき、彼が発言した事柄がつぎつぎと現実に起きるようになる。だんだん怖くなってきた主人公、その心中にて子どもを森に捨てようかと殺意を抱きはじめるところから、物語はスリリングかつスピーディな展開をみせる。
雨が降り、路は暗くなっていく。
背後にいる不気味な子どものようすに主人公はゾクリとし、徐々につのる緊張感を読み手も覚えて、自然、胸の鼓動がはやくなっていく。そして、さいごに主人公が気づいたこととは……。
読後は毎回、化かされた気分になり、“これは一体どういった意図の話だったのだろう!?”とあれこれ考えてしまう。幾度も読み返しては、その度ごとにあたらしい“感覚のようなもの”を捉えるものの、それは存在感を残しながらアッサリ指先をすり抜ける。結局のところは、よくわからない。
たしか、はじめてこの作品に触れたのは国語の教科書だったか、家の本棚に積んであったものを端から読んだときだったか。この正解がない、物語に漂う空気感が心地よくて、きっと何度も手に取る本になったのだと思う。
静かに瞳を閉じて、そうして今日も眠りにつく。
この気持ちのまま夜の帳を迎えることができるなら、それはめくるめく私の夢十夜のはじまり。