萩原輝美|来日したアントニオ・ベラルディと対談!
萩原輝美のファッション・デイズ vol.70
来日デザイナーにインタビュー
アントニオ・ベラルディと対談!
アントニオ・ベラルディ。1994年、ロンドンのセントマーチンンズ カレッジを卒業と同時に話題を呼び、ガリアーノ、マックイーンに続く期待のデザイナーがベラルディでした。デビューから18年。ミラノからロンドンにコレクションを戻し、来春からは東京でブリッジライン「BERARDI」を発売します。そのプレゼンテーションのため来日したアントニオ・ベラルディに聞きました。
Text by HAGIWARA TerumiPhotographs by HORIBA Toshitaka
“あたらしいものを作るのは簡単。クラシックを作る方が難しいんだ”
萩原輝美(以下、萩原) とてもフラジールなんだけれど、芯は強い。ベラルディさんが女性の服を作るうえで一番大切にしていることは何ですか?
アントニオ・ベラルディ(以下、ベラルディ) 「コントラスト」。両親はシシリア生まれの生粋のイタリア人。でも僕はイギリスで生まれて英国国籍です。
イタリア人女性の魅力はセクシーでフェミニン。イギリス人女性の魅力はリアルでマスキュリンなところです。僕は両方の魅力がわかるんです。僕のDNAも両方だからね。そのコントラストが大切だと思っている。
萩原 セントマーチンズの卒業ショーは話題になりましたね。26歳でブランドをスタートさせ、セレクトショップにコーナーを持ちました。ロンドンコレクションはデザイナーデビューが早く、その期待はプレッシャーになりませんでしたか?
ベラルディ あたらしいものを作るのは簡単。クラシックを作る方が難しいのです。僕のコレクションに対する期待を持続させることが大切だけれど、その期待も変わってきた。ただあたらしいものではなく、クラシックに残るベラルディらしさを期待されている。僕は研究室で実験を繰り返してるようなものだね。
萩原 ロンドンからミラノに発表の場を移し、再びロンドンに戻りましたね。なぜですか?
ベラルディ 服づくりの原点はロンドンのサビルロー。テーラーリングです。ミラノに移ったのは偶然です。
萩原 でも住まいはいまもミラノ。
ベラルディ 僕も毎朝目が覚めて、ミラノのグレーの空を見ながら思うよ。「なんでミラノに住んでいるのだろう?」と。
萩原 デザイン以外の楽しみは?
ベラルディ 休みはあんまりないけれど、イタリア料理は得意でよくクックするよ。
萩原 長期休暇があったら、どこへ行きたい?
ベラルディ メキシコのサブカルチャーを見たい。場所より、ひとに興味があるから。
萩原 10年後のあなたはどうなっていますか?
ベラルディ 髪がもっとグレー! いまの仕事は大好きだから、続いていたら幸せ。でもいくら好きなことでも終わる時はきっとくる。その覚悟はしています。
イタリア人の情熱とイギリス人のクールさ。そのバランスが会話にも覗きます。「あたらしいものよりもクラシックを作ることの方が難しい」時代は大きく動いています。ベラルディの服づくりの原点がここにありそうです。
萩原輝美|HAGIWARA Terumi
ファッションディレクター
毎シーズン、ニューヨーク、ミラノ、パリ・プレタポルテ、パリ・オートクチュールコレクションを巡る。モード誌や新聞各誌に記事・コラムを多数寄稿。セレクトショップのディレクションも担当。
オフィシャルブログ http://hagiwaraterumi-bemode.com/