気鋭の若手デザイナーとの対談を通じ、ロアーガンズ濱中氏が振り返る20年とこれから|roarguns
FASHION / FEATURES
2022年2月4日

気鋭の若手デザイナーとの対談を通じ、ロアーガンズ濱中氏が振り返る20年とこれから|roarguns

roarguns | ロアーガンズ

conductorH | コンダクター

ブランド設立から今年で20周年を迎えるロアーガンズ(roarguns)。ファウンダーでありデザイナーでもある濱中氏に加え、同氏が今最も注目しているという新鋭ブランド、コンダクター(el conductorH)のデザイナー長嶺氏を迎えた対談形式で20年の軌跡を振り返る。世代もアプローチも異なる新旧デザイナーが語る、東京のファッションシーンの変遷にもご注目いただきたい。

Photographs by MAEDA Kazuki  Text by KAWASE takuro

ブランド立ち上げまでの経緯と2002年の東京ファッションシーン

ブランド設立20周年おめでとうございます。まずは、独立までの経緯を教えてください

濱中:独立する前は会社員として、DCブランドや海外ライセンスブランドの企画やアパレルのOEMを担当していました。仕事をしながら専門学校時代の友人たちと自宅でTシャツ作りを始めました。アウターやパンツなどもミシンで自作し、週に2〜3着を作り、ある程度の数量まで仕上がると当時並木橋にあったLOLOというヴィンテージショップに持って行って、委託販売という形で服作りをスタートしました。当時はハーレーに乗っていてガチガチのバイカーだったので、作る服もいわゆるバイカーを意識したものでした。

長嶺:自分がバイクに乗るときに着る服を作るなんて、まるでクロムハーツのリチャード・スタークみたいですね。クロムハーツも自分たちが身に着けたい少量のバイカ―ウエアのコレクションからスタートしましたから。

友人と始めた前身ブランドからロアー(※)として完全に独立するのは、その後の2002年ですよね? ※2018年AWより現在のグローバルネームの「ロアーガンズ」に統一

濱中:そうですね。正確なブランド設立年は2001年なんですが、コレクションを発表しスタートしたのは2002SSで、32歳のときでした。飲み仲間の片山さん(ISAMU KATAYAMA BACKLASH)と谷中さん(東京スカパラダイスオーケストラ)の二人から「そろそろ自分のブランドを始めなよ」って言われたことがきっかけで、「それじゃ、やります」ってすごく軽いノリで(笑)。予算がなく最初の展示会は片山さんの事務所をお借りしたんです。やっぱりOEMはあくまでも他社さんのためのモノ作りでしたから、自分の責任の範囲内で完結する服作りをしたいと決心して、独立しブランドをスタートました。

長嶺:僕がブランドを立ち上げたのも32歳でしたので、意外な共通点があったんですね。濱中さんがロアーガンズを立ち上げた頃、僕はまだ高校生でした。ちょうど裏原系と呼ばれるブランドの絶頂期で、スケートボードやヒップホップを背景にしたストリートブランドが多かったと記憶しています。一方でエディ・スリマンがディオール オムで注目されるようになったのもこの時期でした。なので、ストリートとモードが混在しているような状況でしたね。でも、決して今のようにモードとストリートが一緒になるという感じではなかったですね。
長嶺さんがご自身のブランドを立ち上げるまでの経緯をお聞かせください

長嶺:大学卒業後に服飾資材の専門商社の営業として入社しました。その仕事ではお客がデザイナーさんで、仕入れ先が職人さんだったので、自然と服作りの世界に入っていきました。会社員として働きながら、クラブイベントのオーガナイザーもやっていて、さまざまな人脈ができました。当時は今のようにSNSも多くなかったので、クラブを通じてかっこいい先輩たちにもたくさん出会いました。そうした人脈から、アーティストのスタイリングやファッションショーの仕事などをいただけるようになって、29歳のときに会社を辞めて独立しました。その後は店舗運営を任されたりしながら紆余曲折あり、2018年に自分のブランドを立ち上げました。

2000年代の東京ファッションシーンでは、海外ラグジュアリーブランドも盛り上がりましたが、ドメスティックブランドにも勢いがありましたね。話題のクラブやナイトスポットへ出かけると必ずと言っていいほどクロスガンモチーフを見かけました。

長嶺:僕がクラブイベントをやっていたときも、ロアーガンズの服を着たお客さんを結構見かけました。スワロフスキーが入ったデザインが印象的で、価格帯も当時としてはかなり高額でした。ギャルソンやヨウジといったこれまでのデザイナーズブランドとも、いわゆるBボーイ系のブランドとも明らかに違う、日本では新しい立ち位置のブランドだなと感じていました。ラグジュアリーだけど男らしい雰囲気は新鮮でした。

ブランドの成長とトレンドの変化、それぞれの海外進出

現在のメンズファッションで大きな影響力を持つのは、ジェイZやカニエ・ウェスト以降のラッパーたちですよね。2000年代と2020年代の大きな違いは、ファッションアイコンがロックスターからラッパーへと移り変わったこと。そして、ヨーロッパのモードを牽引するデザイナーも、ストリートへと引き寄せられた20年だったとも言えますね。

長嶺:今でこそラッパーがバレンシアガなどのモードブランドを着るのは珍しいことではなくなりました。先日急逝してしまいましたが、ルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクターだったヴァージル・アブローはその象徴的存在でしたね。80年代に頭角を現し急速に支持を得たヒップホップのスタイルが30年以上を経て、2010年代にはすでにクラシックとして認知されるようになったことが大きな原因だと思いますね。こうしたストリートとモードがフラットにつながる流れと、ロアーガンズをはじめとする東京ブランドがやっていたストリートとラグジュアリーの組み合わせも中身は似ているなぁ思うこともあります。

濱中:2000年代の初頭は、レニー・クラヴィッツがファッションアイコンでしたね。当時は“男はこうあるべきだ”っていう、固まった考え方があったし、すごく幅が狭かったのかもしれません。当時のコレクションはブーツカットのパンツとスリムジーンズばかりで、タックが入ったパンツなんてダサい!という感じでしたからね(笑)。

長嶺:僕のブランドは逆にタック入りのパンツばかりですよ(笑)!
たしかに90年代から00年代まではロックが主役で、多くのデザイナーたちが引用したのは、そこから派生したアンダーグラウンドカルチャーでした。ファッションは20年周期で変化するというのは本当ですね。さて、2000年代半ばにクロスガンモチーフでロアーガンズは大ブレイクした訳ですが、その後の海外進出について教えてください

濱中:スワロフスキーでクロスガンを入れたキャップやフーディーなどは、確かにブレイクしました。その反面、国内ではロアーガンズ=クロスガンという価値観のみが先行し、それ以外のデザインやディテールなどは重要でなくスルーされる事も多々ありました。その点で海外は、アイテムそのものをフラットに見てくれるのが新鮮でしたし、大きな刺激となりました。

日本のファッションブランドが海外でビジネスするのは大変だと聞きますが、パリの展示会への参加で得た物とは?

濱中:大変な理由として展示会へ参加するだけで、多額な費用がかかること。海外で販売するとき、いわゆるラグジュアリーブランドと同価格帯になってしまうこともハードルが高い原因ですね。実際、最初は珍しがって買い付けてくれてもその場限りということも多く、信頼関係を築き取引を継続していくことは日本のようには簡単にいかず難しかったですね。葛藤もたくさんありましたが、そんな中で闘っていくにはやはりクオリティとオリジナリティが大切だと感じています。

それでは長嶺さんにお聞きしますが、現時点でのエル コンダクターの海外進出についてどうお考えですか?

長嶺:昨シーズンの2021SSは立ち上げからちょうど3周年ということで、他ブランドとのコラボにも挑戦して、海外展開も視野に入れて準備をしていました。そんなタイミングでコロナ禍に見舞われてしまいました。おかげさまでずっとブランドは右肩上がりで、コロナによる影響もほとんどなく堅調でしたが、やはり海外展開は頓挫してしまいました。でも、気持ちを切り替えて国内でできることをまずやってみようと思い、Rakutenファッションウィーク東京に参加しました。

世代を超えて共有される「ファッションし続ける」こと

コロナ禍における最初の緊急事態宣言下では、ほとんどのショップや百貨店がクローズしてしまって、20SSシーズンは大打撃を受けたという話を方々で聞きました。

濱中:そうですね、世の中的にそういうムードだったので、うちの直営店も休業せざるを得ない状況でした。しばらくしてから営業を再開しましたが、やっぱり街に人通りがないし、状況的にもなかなかお客様に来店して頂けませんでした。直営店は1店舗のみで在庫も少なく良い点もありましたが、ある程度落ち着いてきてからは自分たちで売る力が攻めの姿勢になることを強く感じました。今やネット販売が重視される時代ではありますが、私達の作る服は全国のディーラーさんをはじめリアルに接客して売る場所が必要なのです。

長嶺:ウチのブランドは卸売りだけで会社の規模感もまだ小さいので、ほとんどコロナの影響を受けませんでした。ただ、コロナがなかったらもっと売れていたのかもと想像することもあります。とは言え、ブランドが成長する最初の段階でこうした最悪の状況に置かれることで、逆に良かったと思うこともありますね。もし、本格的に海外展開をして、お店を持っているというタイミングだったら、相当な打撃になったでしょうから。

ロアーガンズはパリと東京の展示会が発表の場ですが、コンダクターの直近(22SS)の発表形式は短編映画形式というのがユニークでしたね。実際に会場で映像をご覧になった濱中さんはどんな印象を受けましたか?

濱中:熱狂的なファンが会場にたくさんいて、ブランドとして盛り上がっていることをヒシヒシと感じましたね。すごく「ファッションしてるな!」って。こういう感覚って久しぶりだし、勢いあるなぁって。

長嶺:ありがとうございます。でも、濱中さんのように20年ブランドを続けるって、本当にすごいことだと思うんです。国内でブレイクして、認知されるブランドになってからも、ずっと「ファッションし続けている」濱中さんの姿を見続けていたので尊敬しています。20年以上も続けている先輩たちがいるのは自分にとっても励みになります。

濱中:そう言ってもらえるのは本当に嬉しいですね。新しい世代にいい影響を与えることができていたら、自分がやり続けてきたことは無駄じゃなかったと思えるし。
今思うと2000年代は大手アパレルが手がけるブランドでも、パリやミラノの最新ブランドでもない、インディペンデントなブランドが求められていたのだと思います。そうした選択肢のひとつとして、ロアーガンズのような新しいスタンスのブランドが注目されたと思います。そこから20年を経た今、既存の顧客から新しい顧客への新陳代謝ができるかどうかも、ブランドの継続にとっては重要ですね。

濱中:いやぁ、もう大変(笑)! 15年以上も前の服を着続けているファンもいて、それは大変嬉しく思っています。同時に20年の間に進化し変わってきている部分も多く、過去のイメージを求められる事も多いのですが、やっぱり今のロアーガンズも見て欲しいんです。変わることで失うお客さんもいるけど、ずっと同じじゃつまらないし、常に進化し続けられるブランドでありたいです。

長嶺:そうですね。今僕は35歳で、若い子たちの気持ちも分かるし、同時にもう大人だし若い子たちとそのまま同じというのもちょっと違う。その両方が分かるし、若者とおじさんの狭間という感じなんです(笑)。この先、5年10年というタイムスパンで考えたとき、若い子たちの気持ちが全て分かるかと言えば、それはやっぱり難しいなと。そう考えると、ブランドとお客さんが同じように歳を重ねていくのがいいのか、それとも若者の気持ちを体現してくれる新しい人材をブランドに招き入れた方がいいのか、判断しなければならないタイミングが自分にもいつか来るのだろうなと思います。

自分自身が本当に満足できる服を目指し続けた20年とこれから

今回はあえて第三者的な視点も入れたいということで、対談相手として長嶺さんのご指名がありました。実際にこうやって対談してどんな印象がありますか?

長嶺:濱中さんとお話しさせていただいてやっぱりすごいなと思うのは、僕みたいな若い世代にも気遣っていただけることなんです。築き上げたスタイルや成功に固執して、それ以外は全く受け付けないというスタンスではなく、互いの違いを認めながらも次の世代も面白がって見てくれる。そうした視点があるからこそ、20年も続けてこられたんだろうなと思いますし、将来は自分もそういう気持ちを持ち続けたいと思うんです。

濱中:いや、むしろ俺の方が学んでいるから(笑)。見ただけでは分からないから、展示会に行って、実際に袖を通してみて「今っぽいシルエットって、こういうことか」と。自分にはない部分に触れ、感心することもあります。それは真似したいということでは全くなくて、作り手として刺激されますね。

インディペンデントでブランドをやり続けるのは、本当に人知れぬ苦労があるものですね。それでは、今後ロアーガンズとして目指すポジションみたいなものがあるのでしょうか?

濱中:さすがに20年もやっているとロアーガンズでできることはかなりの部分やったという自覚もあるので、あんまり具体的な目標みたいなものはないんですね。それよりむしろ、もっと自分自身が満足できる物を作りたいという気持ちが強いです。やっぱりクリエイションに集中しているときはテンションが漲っていて楽しいものですが、展示会が終わると「もっとああしておけば良かった、こうしておけば」と思うことがあるんですよね。もちろん少しずつ成長しているからこそ、そういう反省点や改善点が見えてくるのだろうけど。これからはもっとじっくりと服作りと向き合っていきたいですね。

長嶺:コレクションが終わって、その手応えを感じながら自分自身でも「やってやった!」という気持ちになることはありますが、すぐに次も「このまま同じテンションで服作りができるんだろうか?」と毎回不安になります(笑)。でもしばらくすると、やっぱりまた服を作りたくなる。その繰り返しなんですよね。

それでは最後に次なるロアーガンズの10年後、濱中さんはどうなっていると予想しますか?

濱中:今年は20周年のコラボやイベントで忙しくしていますが、次の10年かぁ〜。その時には新しい世代に交代をして、のんびり釣りでもしていたいなぁ(笑)。

20周年を記念したコラボレーションアイテム第一弾が登場

アニバーサリーイヤーとなる本年、デザイナー濱中氏と親交のあるブランドを巻き込んで、数多くのコラボレーションが進行中だ。ファンならずとも見逃せないアニバーサリーアイテムの一部をこちらにご紹介しよう。
roarguns × Maison MIHARA YASUHIRO ¥46,200
2月に発売予定となる第一弾は、長年に渡り海外コレクションに参加し、国内外で高い評価を得ているメゾン ミハラヤスヒロとのコラボ。粘土で作られた原型をもとに作成された厚底ソールがインパクトを放つOGソールシリーズから、名作バッシュをモチーフにしたモデル“WAYNE”を選択。本コラボのためにクロコの型押しレザーを随所に用い、サイドにはクロスガンをメダリオン(パーフォレーション)で象っている。さらに実用性を重視する濱中のこだわりからシューレース無しでも着脱できる、スリッポン仕様にアレンジしている点も本コラボの見逃せないポイント。
roarguns flagship store
住所|東京都渋谷区代官山町1-8
電話|03-3461-6969
営業時間|12:00-20:00
定休日|不定休
来る2月25日(金)、”roarguns”をメインとしたハイブリッドショップ「GALLERY roarguns」が表参道ヒルズにオープン。ウェア以外にもデザイナー自ら厳選したアートやセラミックなど、ライフスタイルを刺激するアイテムも提案する。ほぼ毎月のように新しいコラボレーションアイテムがリリースされるので、ファンのみならず注目しておきたい。また、本対談後にroarguns × el conductorHのコラボが決定。発表時期など詳細は未定だが、世代を超えた東京ブランド同士のタッグは大きな話題を呼びそうだ。

GALLERY roarguns

  • 住所|東京都渋谷区神宮前4-12-10 表参道ヒルズ本館2F
  • 営業時間|月〜土11:00-21:00 日11:00-20:00
  • 定休日|不定休
問い合わせ先

roarguns flagship store
Tel.03-3461-6969
https://roarguns-store.com/pages/flag-shop

問い合わせ先

GALLERY roarguns
Tel.03-6804-6668