萩原輝美 連載 vol.153|デザイナー 髙田賢三インタビュー
改めて“量産”に挑む
デザイナー 髙田賢三インタビュー
髙田賢三さんは日本人でパリコレクションを発表した初めてのデザイナーです。8o年代に入ると賢三さんを追いかけるように日本人デザイナーがパリを目指しました。1970年から1999年まで自身のブランドのファッション デザイナーとして活躍します。その賢三さんが15年ぶりに「SEPT PREMIERES」のためにオリジナルデザインを手がけたSEPT PREMIERES by Kenzo Takadaを発表しました。「華やかじゃなきゃ、ファッションじゃない」と大好きなしゃくやくの花をイメージした作品が並びます。発表レセプションで来日した賢三さんに聞きました。
Text by Terumi Hagiwara
デザインしたいものはずっと変わらない
――15年ぶりの服作りということで、パリではかつてのスタッフとミニアトリエを復活させたとか。
髙田賢三(以下、髙田) はじめスタートする時は緊張しました。昔の感じがすぐにはつかめなくって。
――スタートしたら?
髙田 楽しくなった。
――作品を見ていたら、賢三さんが発表してきたパリコレクションを思い出しました。
髙田 デザインしたいものは変わらないんです。
――以前デザインしていたものより価格がだいぶこなれています。違和感はありませんでしたか?
髙田 はじめは制約がいっぱいあると思ったけれど、気に入った素材は使えたし、最終的な仕上がりも問題なかった。今までも服作りする時には価格のことも考えていました。
――以前のブランドはラグジュアリーでしたよね。
髙田 自分ではラグジュアリーなものを作りたい。と思ったことはありません。デビューコレクションは綿と麻中心でシルクは1枚もなかった。
――確かに、ナチュラルやソバージュなイメージですね。デザイナーが相次ぎデビューした80年代の活気がまたファッション業界に戻ると思いますか?
髙田 今の若いデザイナーたちはインターナショナルですよね。パリで展示会とか、上海で合同展だとか。世界をベースに活躍しやすくなっていると思う。もっと活気づいて欲しい。僕たちの頃は片道チケットで挑むパリだったから。
――プレタではなく、オートクチュールコレクションにデビューする若手デザイナーも増えています。オートクチュールの復活についてはどう思いますか?
髙田 そういう形もありますよね。新しい傾向だと思う。
――安いもの、大量生産に飽きた人たちへのこだわりの1点。賢三さん自身はクチュールに興味ありますか?
髙田 僕自身は難しいと思う。お客さん一人一人対応が違う…って大変だと思う。
インタビューを終えて……
賢三さんは文化服装学院デザイン科の先輩で、学生時代は「目指せ、髙田賢三」が口癖でした。パリに根付いて日本人デザイナーの存在感を見せつけてくれた賢三さん。クチュールからプレタに変わる70年代から活躍。もともとのプレタポルテのデザイナーです。
髙田賢三|TAKADA Kenzo
1939年 兵庫県に生まれる
1960年 文化服装学院デザイン科卒業
1964年 渡仏
1970年 パリにブティックを開き、ブランド”JUNGLE JAP”で初コレクションを発表。その後ブランド名を「ケンゾー」とし1999年まで続ける。
1984年 フランス芸術文化勲章シュヴァリエ位受章
2003年 高田賢三としてデザイン活動を始める。
萩原輝美|HAGIWARA Terumi
ファッションディレクター
毎シーズン、ニューヨーク、ミラノ、パリ・プレタポルテ、パリ・オートクチュールコレクションを巡る。モード誌や新聞各誌に記事・コラムを多数寄稿。セレクトショップのディレクションも担当。
オフィシャルブログ http://hagiwaraterumi-bemode.com/