POGGY’S FILTER|vol.15 Casablanca シャラフ・タジェルさん
FASHION / MEN
2020年3月16日

POGGY’S FILTER|vol.15 Casablanca シャラフ・タジェルさん

小木“POGGY”基史氏がホストを務める『POGGY'S FILTER』の今回のゲストは、パリ発のブランド、Casablanca(カサブランカ)のデザイナーであるCharaf Tajer(シャラフ・タジェル)氏だ。PIGALLE(ピガール)を率いるStephan Ashpool(ステファン・アシュプール)の盟友としても知られる彼は、パリのファッションシーン、クラブシーンで活躍した後に、自らのブランドであるカサブランカを設立。ファーストシーズンとなった2019年春夏のコレクションにて衝撃的なデビューを飾り、瞬く間に世界のファッションシーンで注目の存在となっている。10年以上に亘ってシャラフ氏と交流し、カサブランカというブランドを最も理解している一人であろうPOGGY氏ならではの視点で、シャラフ氏のこれまで通ってきた道と独自のファッション感に迫ってみた。

Interview by KOGI “Poggy” Motofumi|Photographs & Text by OMAE Kiwamu

ル・ポンポンでの通貨はお金じゃなくてクールであること

POGGY シャラフが今まで何をやってきたかを知らない人たちのためにも、まずは生い立ちから教えてください。

CHARAF パリで生まれて、生後4ヶ月で母親にモロッコのカサブランカに送られたんだ。母は働いていて、僕の面倒を見ることが困難だったからね。それで3歳頃までモロッコで暮らして、またパリに戻ってきた。それ以降も、毎年夏になるとカサブランカに行っていたんだ。

POGGY それがブランド名の由来なんだね?

CHARAF そうです。カサブランカを始める前は、Pain O Chokolat(パン・オ・ショコラ)というクルーの一員として活動し、Le Pompom(ル・ポンポン)というクラブを作ったりもした。その後、全てを辞めて、自分の美学を表現するためにカサブランカを立ち上げることにしたんだ。他にもインテリアデザインもやっているし、レストランやナイトクラブ、共同住宅なども手掛けているよ。
POGGY 自分が初めてシャラフに会ったのは2007年頃で。たしか、Liquor,woman&tears(リカー、ウーマン&ティアーズ、以下、LW&T)にステファン達と一緒に来てくれて、ルームシューズを買ってくれたと思うんだけど。皆、本当に雰囲気があって格好良かったし、この人たちがブランドを始めたらすごいことになるだろうと思ってたら、その後、実際にピガールがスタートして。それで、すぐにUNITED ARROWS & SONSでも買い付けさせてもらったけど、改めて、ピガールはどのように始まったのかな?

CHARAF 僕たちにとって、ピガールはとても自然なことだった。SWAGGER(スワッガー)、PHENOMENON(フェノメノン)、THE NORTH FACE(ザ・ノース・フェイス)、MACKDADDY(マックダディー)、AMBUSH®(アンブッシュ®)のジュエリー……LW&Tで見たものにインスパイアされて、日本で見たストリートウェアのカルチャーをピガールを通して、フランスにもたらしたいとクルーの中で考えたんだ。それで、最初、Tシャツやフーディといった洋服を販売するストアとして始まって。そしてしばらくしてからコレクションが広がっていったんだ。

POGGY 自分的にはシャラフがピガールの中で音楽シーンとファッションとを繋げる、カルチャートランスレーター的な役割も担っていたと思ってたんだけど、実際はどうだったのでしょうか?
CHARAF その通りだね。若い時はファッションに興味がありつつ、音楽をやっていて、親しいミュージシャンやアーティストもたくさんいる。僕にとってはアートもファッションも音楽もすべて繋がっているんだ。だから、たとえば日本のブランドをラッパーや俳優に紹介するようなことは当たり前にやっていた。そういう意味では僕は架け橋のような存在かもしれない。それから、ピガールではストリートとハイファッションとの架け橋になることも進んでやってきた。POGGYも同じだと思うし、お互いの共通点を感じる。LW&Tに行った時に、Cartier(カルティエ)のヴィンテージリングが置いてあったのを覚えているけど、ストリートウェアをカルティエやFENDI(フェンディ)と混ぜたり、それにSUPREME(シュプリーム)のスケートボードを一緒に展示したりとかもしていたよね。そして、ストリートだけでも、ハイファッションだけでもなく、コンテンポラリーであることもとても大事で、ミックスすることが重要。最近はLOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)やDIOR(ディオール)、VALENTINO(ヴァレンティノ)など、ほとんどのブランドがストリートカルチャーを取り入れてるけど、僕たちはそういう意味では先駆者だったのかもしれない。

POGGY 2010年頃、ストリートファッションからスタートした人たちが、まだパリのファッションウィーク中に、オフィシャルスケジュール以外も含めて誰もショーをやっていなかった時代に、ピガールはショップのあったピガール地区でブロックパーティやファッションショーをやっていて。そのパーティではASAP Rocky(エイサップ・ロッキー)がシークレットゲストとしてライブをやったりと、毎回すごくて。あの頃はまだUberも無かったし、パリは夜、タクシーが全然捕まらないから、パーティに行ったら朝までいるか、1時間ぐらいかけてホテルまで歩いて帰るしかなくて。次の日に朝からアポが入ったりして、本当に辛かったけど、今となっては良い思い出(笑)。

CHARAF ごめんなさい(笑)。
POGGY さっきも言っていたように、シャラフはル・ポンポンというクラブを運営していたわけだけども、パリのクラブシーンに携わるようになっていった経緯を教えてください。

CHARAF ル・ポンポンを始める前からずっと、パリで毎月1回は必ずパーティをしていたんだ。だから、クラブをオープンしようというアイデアはずっとあったんだけど、どうやったら良いのか、やり方が分からなかった。そのうちに出資してくれる人が現れたから、「じゃあやろう!」って。それで、ル・ポンポンをオープンして、毎月1回開催していたパーティを毎日開催することになったんだ。

POGGY 毎日?!(笑)

CHARAF そう。日曜日以外は毎日。

POGGY すごいね。

CHARAF 24、5歳ぐらいで、若かったから疲れなかったし、毎晩、友達に会えるのが嬉しかった。友達がDJしてくれて、とにかく楽しかったし、毎日がとてもエキサイティングだったよ。当時、パリのクラブではLe Baron(ル・バロン)が人気で、ル・バロンの創設者のAndre Saraiva(アンドレ・サレヴァ)からたくさんの影響も受けた。けど、ル・バロンに集まっている人たちは僕たちより1世代ぐらい歳上だったし、僕たちは自分たちのスタイルで少し違うことをしたいと思った。そういった流れで、クラブシーンに携わることになったんだ。
POGGY フランス以外のいろんな国でも、ル・ポンポン名義でパーティをやっていたよね?

CHARAF そうだね。東京、NY、LA、マイアミ、ロンドン、コペンハーゲン、ベルリン、バルセロナ、ソウル、上海、バリ、シンガポール、ジャカルタ、ストックホルム……世界中、いろんなところに招待されて行った。ファッションとパーティの繰り返しで、友達と一緒に遊びに出掛けるためにオシャレして。それが僕らのライフスタイルだったんだ。

POGGY シャラフのパーティに来ている人たちって、必ずしもブランドものを身に着けるという感じではなくて。安い服とかを着ていたりしていても、コーディネートとか雰囲気ですごくオシャレに見える人たちばかりでしたね。

CHARAF パリのカルチャーっていうのも一つの理由だと思うけど、僕たちのパーティに集まってくるのは、いろんなタイプの人たちのミックスだった。スケートをやってるようなストリートキッズから、スーパーモデル、雑誌のエディター、さらにルイ・ヴィトンとかChloe(クロエ)みたいなハイファッションブランドに勤めている人たちとか。みんながそれぞれの美意識の上でオシャレをしてパーティに来ていた。パーティのエントランスでは、行儀が良くて、ファッションセンスがある人しか通さなかった。夜、ドアマンをやってくれる人は、僕らのフィロソフィーを理解していて、例えば、オシャレじゃない人が来て、「ボトルを入れるから入れてくれ」と言われても答えは「ノー」だった。僕らのクラブに入りたければクールじゃないとダメ。お金があるからという理由だけで入店させるような、シャンゼリゼにあるクラブみたいなのとは一緒にしないでほしかった。ル・ポンポンでの通貨はお金じゃなくてクールであることだった。ル・ポンポンはカルチャーに基づいたクラブだったんだ。
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