米山庸二×中村獅童 特別対談「挑戦するということ」|M・A・R・S
FASHION / MEN
2017年5月19日

米山庸二×中村獅童 特別対談「挑戦するということ」|M・A・R・S

M・A・R・S|マーズ
米山庸二×中村獅童 特別対談

挑戦するということ(1)

2016年に25周年を迎えた「M.A.R.S.(マーズ)」。それを記念して送るデザイナー米山庸二氏の対談連載。今回のゲストは、プライベートでも親交のある歌舞伎役者の中村獅童氏。常に新しいことへのチャレンジを続けながら、自らの手でその地位を切り拓いてきたふたりだけに、熱いお話が飛び交う対談となりました。

Photographs by ISHIBASHI MasahitoText by TOMIYAMA Eizaburo

小さい頃から、早く大人になりたかった

米山庸二さん(以下、米山) 獅童くんは6歳で日本舞踊を始めて、8歳で舞台デビューされて。しかも、一度は歌舞伎の世界を退いて、また戻られたり、中学ではロックバンドを組んだりもしていて。普通の人が経験していない人生ですよね。

中村獅童さん(以下、獅童) そうかもしれないですね。

米山 そこにはいろいろな葛藤があったと思うんですけど、これまでで一番モヤモヤしていた時期っていつだったんですか?

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獅童 常にモヤモヤしてますよ。でも、やっぱり中学とか高校くらいが一番かもしれない。いわゆる思春期の頃は、誰もがモヤモヤすると思うんです。

米山 それを晴らしてくれる存在がロックだったんだ。

獅童 小さい頃から大人に囲まれていたこともあって、ませガキだったから早く大人になりたくて。洋楽を聴けば大人になれるとか思ってたんですよ。学校も私服だったから、ファッションも好きで。当時はバンドブームだったから、流行りに乗ってバンドをやった感じです。

米山 いわゆる、イカ天世代ってこと?

獅童 そうですね。小学生の頃は、デュラン・デュラン、マドンナ、マイケル・ジャクソンとかが流行っていて。そういうポップスから入って、中学生のときに昔のローリング・ストーンズのMVを観て衝撃を受けたんですよ。彼らを通じてブルーズに出会ったり、いろいろ聴くようになりましたね。

コンサートも歌舞伎も、根底は同じだと思う

米山 ローリング・ストーンズは、一緒に観に行ったことがあったよね。

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獅童 あれはヒドイ話ですよ(笑)。2回目の来日かな、大変な思いをして横浜アリーナの前から3列目を取って。これまでにも米山さんとはロカビリーの話をすることが多かったから、当然ストーンズも好きなんだろうなと思って誘ったんです。そうしたら、案の定「行く!」ってふたつ返事だったのに、ライブ帰りの会話がイマイチ盛り上がらなくて。

米山 あははは。僕はロカビリーとかクラッシュは大好きだけど、ストーンズやビートルズは有名な曲しか知らないから(笑)

獅童 びっくりしましたよ。しかも、最初に行き先も間違えてね。

米山 あの日は、たまたま獅童くんが取材でうちの商品を着けてくれることになって。その帰りに突然、「ストーンズのチケットあるけど、これから行く?」って誘ってくれたから、そりゃあふたつ返事ですよ。しかも、甲本ヒロトさんと新横浜プリンスホテルのロビーで待ち合わせることになっていて。でも、何故だかナビの行き先を横浜プリンスホテルにしちゃったんだよね。

獅童 やっとの思いで横浜プリンスホテルに着いたら、「それは新横浜プリンスホテルです」って(笑)

米山 どうにか間に合って良かったよね。でも、獅童くんは演者さんだから観ているところが違うなぁ~って思った。あの照明はいいとか、あの移り変わりはすごいとか、全体を見渡している感じ。そういう感想を聞くと、さすが『あらしのよるに』を新作歌舞伎にアレンジしたり、座頭をこなしたりするだけあるなと思いましたよ。

獅童 客商売だから、昔から照明を見ちゃうし、お客さんも見ちゃう。そこを見て感動するんですよ。コンサートは5万人とか6万人の規模で、僕らは2千人程度とお客さまの数は違いますけど、ひとつの空間で同じ夢を見たり、泣いたり笑ったり。そういう意味で、根底は同じなんじゃないかと思うんです。そういう生身の人間のエネルギーを感じたとき、自分も頑張らなきゃとか、いい刺激を受けるんですよ。

米山 そもそも、小さい頃に歌舞伎役者になりたいと思ったのは、どういうところに魅了されたの?

獅童 憧れというか、仮面ライダーとかウルトラマンになりたいっていうのと同じですよ。ウルトラマンや仮面ライダーも好きだったけど、それと同じように歌舞伎があって。だから、お化粧をして舞台に立ちたいって自分から頼んだんです。

夢を諦めるか、自分で切り拓くかの選択なら、切り拓く人生のほうが楽しい

米山 音楽にもそれと似た部分があったの?

獅童 目立ちたいっていうのがあって。でも、子どもの頃から目立ちたがり屋なんだけど、引っ込み思案という特殊な性格で。

米山 それすごいわかる! 僕も目立ちたがり屋な部分がないわけじゃないんだけど、引っ込み思案のほうが勝っちゃう。だから、バンドをやっていたときも、ものすごい緊張してた。ちなみに獅童くんは、役者としてやっていくうえで、自分を奮い立たせてくれる作品って何かありますか?

獅童 音楽ではないですけど、そういった意味では役者の金子正次さんですかね。島から東京に出てきて、絶対に天下を獲ってやる、それまで都落ちはしないという夢を実現させた方で。しかも、映画『竜二』で数多くの映画賞を受賞したときには、すでにこの世から去っていた。その人生そのものがドラマチックですよね。自分で自分の道を切り拓いて、チャンスを掴むといった生き様に影響を受けました。あとは、矢沢さんの『成りあがり』。あれもチャンスを掴んで成り上がっていくという。

米山 熱いハートで闘ってきたんだね。

獅童 僕の場合は、子役の時に父が歌舞伎俳優を廃業していたので、後ろ楯がないこともあって「今後、主役をやるのは難しい」と言われちゃったんで。でも、そのまま夢を諦めるか、自分で切り拓くかといったら、やっぱり切り拓く人生のほうが楽しいじゃないですか。そんなときに、金子正次さんや矢沢永吉さんとか、自らの力で勝ち取った方たちの生き様は励みにもなったし、自分でもそうなりたいなって。そして、ローリング・ストーンズでも、甲本ヒロトさんでも、過去の栄光にすがらずに今を生きるロックだからこそ、彼らは懐メロにならない。だから、今に生きる役者でいたいし、胡座をかいたらそこで終わっちゃうのかなって。いつでもキャリアを捨てる覚悟は持っていたいなと思うんです。

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米山 すごくわかる。でも、キャリア捨てる覚悟って、いざとなると勇気がいることだよね。

獅童 過去にすがっちゃうと先に進めないというか、新しいものを作れないじゃないですか。作る必要もなくなるし。何故新しいことをやるのかといえば、古典を守りつつも「獅童ならではの歌舞伎」を追い求めたいから。それこそが、中村獅童という役者が生きている意味なのかなって。過去に評価されたことで安心してしまうと、違うことをするときにもっと勇気が必要になりますしね。

Page02. モノを創る人間は心はアナログでいないと感動を与えられない

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米山庸二×中村獅童 特別対談

挑戦するということ(2)

モノを創る人間は心はアナログでいないと感動を与えられない

米山 獅童くんは、すごく攻めているイメージがある。

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獅童 攻めないとつまらないですよね。おじさんっぽいことを言いたくはないですけど、今の若い子って何が楽しいのかな? って思うことがあるんです。僕は昭和47年生まれで、もうすぐ成人になるっていうときにバブルが弾けちゃって。どんちゃん騒ぎをしていた大人たちに憧れながら育った。だから、今でもいろんなことに興味があるんです。

でも、今や人と接するのが面倒臭いという時代。あらゆることがデジタル化して、知りたいこともスマホひとつでなんでもわかる。本屋に行かなくても、写真展に行かなくても、美術館に行かなくても情報が得られる。本当に便利だなって思いますよ。でもその半面、モノを創る人間は心はアナログでいないと感動を与えられないんじゃないかなって。とくに歌舞伎は、何百年も昔の人間を演じるわけですから。

米山 そういう話は若い子に話したりするの?

獅童 しないですね。それは自分自身の問題だし、それぞれいろいろな考え方があっていいと思っているので。僕も初音ミクさんと一緒に、デジタルと歌舞伎の実験的な作品をやったり、いろいろな可能性を試させていただいていますし。でも、お客さまは、生の舞台を観るために、バスや電車に乗ってとアナログ的な手順を踏んで来られる。僕らは、その思いに応えるべく、そこでしか味わえない一期一会の感動を追い求めていきたいと思うんです。

米山 やっぱり、便利な世の中になればなるほど、次に欲しくなるのは不便利なことだと思うんですよ。

獅童 車も全自動運転になったら便利だなと思うけど、運転する楽しさがないですもんね。

米山 クリスマスの時期とか、デパートのポップアップショップに立っていると、彼氏のプレゼントを選びにくる女の子とかに出会うんですよ。そういうときの、えも言われぬ表情とかを見ると、すごくいいなって思うんです。うちのブランドを選んでくれたことも嬉しいし、その瞬間に関われたのがありがたい。それはデジタルでは味わえない感覚ですよ。

獅童 そういうのが面倒臭いって思われちゃったら辛いですよね。

M.A.R.Sのジュエリーは、女優さんからのウケがいい

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米山 サプライズって、いまの時代はリスクを生むじゃないですか。それを避けるなら、やらないほうがいいっていう風潮にどんどんとなっている。でも、獅童くんのやってることってサプライズだと思うんです。お客さんは「獅童くんはどんなことをするんだろう?」って観に来る。そこで、自分が良いと思うものを演じて、お客さんはそれを受けて帰る。サプライズが大きなサプライズになって広がっていくのは、素敵なことですよ。

獅童 アクセサリーを作るのも同じでしょ? 本当に価値のある、消費されないものであることがますます大事になっている。何が大切で何が必要ないか、各々が問われる時代になっている。僕は、M.A.R.Sのジュエリーを大切に使ってますよ。ひとつひとつが繊細、それでいて存在感があって洒落も効いているところが好きですね。撮影現場とかに着けていくと、女性ウケがいい。共演する女優さん人気が高いですよ。

米山 それは嬉しいなぁ。獅童くんが大切にしているモノって他に何かありますか?

獅童 例えば、こういう筆も一生モノですよ。これなんかも初舞台から使っているから、もう30年以上。子どもの頃は眉毛、いまは細かいところを修正するのに使っています。これも普通の筆なんだけど、もう20年以上。崩れないように糸を巻いてボンドで固めてあるんです。いいものは持つんですよね、このセットさえあればだいたいの役ができる。

米山 そうなんだ。

獅童 あとは、おかもちもそう。舞台の袖まで、お弟子さんとかが持ってくる備品入れなんだけど。若い頃はコレを持っていくほど出番の多い役をやらせてもらえないから、必要はないんですけどね。でも、母が僕が10代の頃、すでに職人さんに頼んで作ってくれていて。やっと主役級の大役をやらせていただいたときに、初めて下ろしたんです。だから、ひとつひとつが一生モノ。僕の場合は父親が早くに廃業してしまったので、鏡台を譲り受けるとかはなかったけど。受け継がれるものもたくさんありますよ。

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米山 鏡台もそれぞれ自分のものを使っているんだ!

獅童 役者さんごとのオーダーメイドなんです。うちのは、逗子のほうにある木材専門の家具屋さんにお願いして。若いときは相部屋なので大きな鏡台は出せないですけど、ひとり部屋がもらえるようになって、やっと使えるようになったんです。

米山 今後、何か新しいことにチャレンジする予定はありますか?

獅童 カタチになるのは来年以降だと思いますけど、すでに進めています。いくつになってもチャレンジする気持ちを忘れずに、邁進していければと思っています。

米山 ますますのご活躍を期待しています。今日はありがとうございました。

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中村獅童|NAKAMURA Shido
1972年9月14日東京都生まれ。日本大学芸術学部演劇学科出身。祖父は昭和の名女形と謳われた三世中村時蔵。父はその三男・三喜雄。叔父に映画俳優・初代萬屋錦之介、中村嘉葎雄。従兄は、中村歌六、中村時蔵、中村又五郎、中村錦之助。8歳で歌舞伎座にて初舞台を踏み、二代目中村獅童襲名。

問い合わせ先

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03-3462-8187

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