米山庸二×八嶋智人 特別対談「音楽と演劇とジュエリーと」|M・A・R・S
M・A・R・S|マーズ
米山庸二×八嶋智人 特別対談
音楽と演劇とジュエリーと(1)
2016年に25周年を迎えた「M.A.R.S.(マーズ)」。それを記念して送るデザイナー米山庸二氏の対談連載。今回のゲストは、俳優の八嶋智人氏。対談のなかで、八嶋さんが仲間と立ち上げた劇団「カムカムミニキーナ」とM.A.R.S.は、創立年が同じということが判明。お互い音楽好きという共通点もあり、話は大いに盛り上がりました。
Photographs by TANAKA TsutomuHair by HIROKI (W)Make-up by Nagisa (W)Text by TOMIYAMA Eizaburo
メガネモチーフは数多くありますけど、いまだにこれを超えるものは見たことがない(八嶋)
――おふたりの出会いは、どのようなきっかけだったのですか?
八嶋智人さん(以下、八嶋) 最初は俳優の梶原善さんにM.A.R.Sを教えていただいて。というのも、結婚指輪のオーダーをお願いしたんです。きっと愚直な職人さんが来るんだろうなと思ったら、福山雅治さん並にかっこいい方でびっくりして。それでちょっと緊張したんですけど、おしゃれでかっこいい人なら任せて安心だなと思って(笑)。
――そこからお付き合いが始まったんですね。
八嶋 そう、僕が2004年に日本メガネベストドレッサー賞を獲ったときは、記念のリングまで作っていただいて。世の中にメガネモチーフは数多くありますけど、いまだにこれを超えるものは見たことがないですね。後ろを見ると、ちゃんとモダン部分も表現されていて。しかも、リングの内側にメッセージも入れてくれたんです。最近は細かい字が読みずらいんですけど(笑)。これは本当に嬉しかったなぁ、授賞式にも着けて行きました。
米山庸二さん(以下、米山) メガネベストドレッサー賞を獲りそうだと伺って、急ピッチで作ったんですよ。レンズ部分にセットした石もこのためにあつらえて。すべてが完全な1点もの。
八嶋 ほんとありがたい。あと、結婚10年目のときに頑張ってスイート10的なものをサプライズで贈ったんですけど、そのときも真っ先に米山さんに相談して、イメージを伝えてオーダーしました。あとは、コンポジットリングもお気に入り。カスタムをしてもらって、840(八嶋)の数字が入っているんです。
米山 結婚指輪をする以前は、何かしらアクセサリーを着けていた時代もあったんですか?
八嶋 若い頃にネックレスはしていましたけど、指輪は男がするものじゃないと思っていて。昔は相当ダサくて、夏はざっくりとしたVネックのサーマーセーターに、がっつり刺繍が入ったデニム、そして素足にモカシンみたいな。そこに太めの金のネックレスしてウェストポーチ持って(笑)。
米山 それが奥さまと出会って変わったんですね。
八嶋 それもそうですし、米山さんと話をしながらいろいろ変わったんですよ。自分の好みも汲み取ってもらえるし。
米山 そういってくれると嬉しいな。八嶋さんは大学時代に劇団を立ち上げられてますけど、演じることにはいつくらいから興味があったんですか?
思春期のヒーローは甲本ヒロトさん
八嶋 覚えてないんですよね。ただとにかく人前に出るのが好きで。小学校の3年生くらいから、学校の集まりがあると司会をしていましたね。あとは5年生のときにお芝居をした思い出があるくらい。でも、中学校3年生のときには将来そういうことをやりたいなと思っていて。うちの両親はお芝居といっても歌舞伎くらいしか知らないから、「とにかく人より長く脛をかじるかもしれません」と。そういうジャブだけはずっと打ってたんです。
米山 最初は目立ちたい一心なんですね(笑)。ということは、歌手でもお笑いでも良かったとか。
八嶋 そうそう、ただ流行りに乗っただけですよ。80年代、90年代は小劇場ブームとバンドブームがあったから。だから高校時代はバンドもやってたし。
米山 どんなバンドを?
八嶋 アメリカンハードロックのコピーバンド。モトリークルーとかやってましたね。でも、ぽっちゃりとした眼鏡男子だったので、それがヴォーカルだとかっこよくないんです。その恥ずかしさを埋めるために、少しコミックバンド寄りなことをしていて。でも、演奏はちゃんとやるぜみたいなアプローチ。
米山 当時、憧れていたスターは誰でしたか?
八嶋 それが不思議なことに、のちにM.A.R.Sを通じて出会うことになる甲本ヒロトさんなんです。もう僕らの世代はみんなそう。中学時代に初めて知って、布団にくるまって絶叫しながら聴いていましたね。初めて東京に出てくるときも、新幹線の中で大音量で聴いていましたし。自分を鼓舞するというか、思春期特有のモヤモヤを一緒に発散してくれる存在でした。
米山 僕がブルーハーツを知ったのは20代だったかな。ヒロトさんは本当にかっこいいですよね。
八嶋 バンドの音色やメロディのかっこよさもあるけど、僕は歌詞がすごく好きで。昔から歌詞が聴けないバンドはダメなんです。そんな僕にとって、まさに歌詞が聴こえてきたのがブルーハーツ。14~15歳だった僕のモヤモヤをすくい取ってくれるようで、そこに熱狂したんですよね。救ってくれたというか。後になってヒロトさんから「僕は14歳に向けてやっている」と伺って、やっぱりそうだったのかって。
米山 今でもその感情は呼び起こされますよね。
八嶋 ありますね。ライブに行って、どうにもこうにも泣いてしまう瞬間があるんです。自分ではわかんないんですよ、その感情は。感極まるっていうか。それでいて、ヒロトさん自身は普段とても穏やかで理知的な方。どこかで静かに深く悩んでらっしゃるのかもしれないですけど、僕みたいな人間と交流を持ってくださることを嬉しく思いますね。出会った最初の頃、「僕らは似てるよね」と仰られて。すごく嬉しかったんですけど、どう見ても似てない。あっ、ここにいる人みんなが不思議そうな顔してるけど。でも、ご本人が仰ったことなんで(笑)
積極的に役者を選んだのではなくて、消去法で絞られて現在に至る感じです(八嶋)
米山 アハハハ。ヒロトさんに憧れなはら高校時代にはバンドをやっていて、本格的にお芝居を始めたのは東京に出てきてからなんですか?
八嶋 演技をするために東京に出てきたんです。
米山 そのきっかけになった方はいらっしゃいますか?
八嶋 いないんですよ。とにかく人前に出たいという思いだけがあって。なぜ人前に出たいのかというと、モテたいからチヤホヤされたいから。なのに、ヴィジュアルはよくない、運動もできない、頭もよくない、モテる要素がなんにもないわけです。でも、関西の場合は少しおもしろければモテる可能性があるんですよ。そこにかけた部分はあるんですけど、向き不向きもあるし、芸人さんに対するリスペクトもあるので、僕ごときがなれるわけないなという思いもあって。
米山 へぇ~。
八嶋 そこから、だんだんと自分のできる場所があればバンドでもお芝居でもやっていて。だから、積極的に役者を選んだのではなくて、消去法で絞られて現在に至る感じです。今はおかげさまで役者以外にもバラエティとか報道の司会とかいろんなことをやっていますけど、そこには役立っていますね。
米山 ご出身は奈良県ですよね。
八嶋 そうです。でも、我々の時代は奈良だと劇場の数も演劇をやっている人も少なくて。とにかく東京に行かなきゃと思ってましたね。バブルな世の中、東京万歳! みたいな。それで東京の大学に入って、中学高校時代の同級生の松村武と劇団『カムカムミニキーナ』を1990年に立ち上げるんです。座長の松村は僕が演劇に巻き込んだんですよ。
米山 M.A.R.Sも90年スタートだから一緒なんですね。
八嶋 あっ、そうなんですね。一緒だ。でも、僕と明らかに違うのは米山さんもヒロトさんも0から1を生み出す人。つまり、アーティストなんです。僕は役者なんで、その生み出された1を掛け算したり足し算したりする。そこが圧倒的に違う。だから、僕はアーティストの人をとても尊敬していて、ときには嫉妬もする。
米山 僕はその逆。舞台で演じ切れる、やり切れる人に「やられた!」って感覚を覚えるし嫉妬もする。
八嶋 ないものねだりなんですね。あと、役者はミュージシャンのことを大きくリスペクトする傾向があるんですよ。
米山 それはどういう視点で?
八嶋 まずはさっきの話にも出てきた、アーティストであるということ。それに加えて、対峙する「気」の大きさが違うから。舞台に立つ人と、お客さんの間には目に見えない「気」の交換があるんです。それが1:100くらいはなんとか誤魔化せるんですけど、(1:1)×100になった途端に相当タフでないと無理。しかも、ミュージシャンの方たちがやっている会場はお芝居よりも大きいですから。
米山 ミュージシャンって怖いだろうなって思うんです。ときに何万人を相手にしますもんね。
Page02. 若い世代は頭が良くてそつなくこなせる人が増えている
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米山庸二×八嶋智人 特別対談
音楽と演劇とジュエリーと(2)
若い世代は頭が良くてそつなくこなせる人が増えている
八嶋 この前、レキシの武道館ライブに出させていただく機会があったんですけど。会場には1万人のお客さんがいて、そこに登場する一瞬は気持ちいいんです。でも、ずっと真ん中に立ち続けて、アドレナリンを出し続けていたら、気付いた瞬間にボロボロになっちゃうんじゃないかなって。みんなギリギリでやっていますよ。だからこそ素敵なんだろうなって。
米山 僕からしたら舞台で演じることも同じくらい凄いことですよ。
八嶋 「気」のやりとりという意味では変わらないと思うんです。でも、演じる場合は己じゃないっていうことが大きい。そのぶん、無責任でいられるというか。僕がひどい人の役をやっても、「だってそれは俺じゃないも~ん」と言えてしまう。これは米山さんもそうだと思うけど、自分が作ったものに対する責任感っていうのかな。指輪に例えると、役者はそれを構成しているひとつのパーツに過ぎないんですよ。
米山 僕の場合、その商品に対する責任はもちろん自分にあります。でも、購入いただいたあとは、お客さんとモノとの時間になるんです。一方、八嶋さんはお客さんと共有している時間に対しての責任がある。そこで感動したものに対して、みんながお金を払うわけですよね。それができるのはすごいと思うんです。そんな時間をお客さんに提供できるのは一部の人にしか無理。僕には絶対にできない。
八嶋 米山さんの場合、お店をずっと続けなきゃいけないでしょ? でも、僕らには千秋楽っていうのがある。始まったら終わるんです。それがないのはちょっと想像がつかないんですよね。
米山 そうか、ひとつひとつ終わっていくのが当たり前なんですね。
八嶋 お祭りの連続です。終わったら跡形も無くなって、次の場所にいく。ひとつの場所でモノづくりを続けることを想像するとゾッとするときがありますね。
米山 僕らがキャリアをスタートさせた1990年頃って、自分たちで何かを生み出すぞ! っていう機運が高まっていたじゃないですか。それから社会は少しずつ保守的な雰囲気が支配してますけど。劇団の世界はどうですか。
八嶋 僕らは劇団として爆発的に売れたことがないんですよ。一度でも爆発的に売れてしまうと、そのときのテイストを続けなくてはいけないっていう大きな束縛に入ってしまう。それがなかったのは、今となっては良かったですね。うちだと、米山さんのような0から1を作り出す座長がいて、そいつのやりたいことをやるっていう部分ではラッキー。
米山 若い世代はどうですか?
八嶋 ボンボン出てきてますよ。これはまた僕らと全然違うタイプで、まずアタマがいい、洗練されている、カタチから入っていない。そういういい魅力があるぶん、よくわからない塊をドーン! とぶつけるみたいな「そうしないと死んじゃうぜっ」ていうタイプは少ないですね。
米山 頭が良くてそつなくこなせる人が増えてますよね。僕らの世界でいえば、職人さんもものわかりがよくなって、機械も発達して、モノが昔より簡単に作れるようになっている。それだけにモノは作れるんですけど、「じゃあ何が一番作りたいのか?」っていうときに見えてこないものが増えている。売れる商品が作りたい人と、何かしら信念がある人の差は大きいと思うんです。
八嶋 これはどのジャンルにおいても究極の問題ですよ。アクセサリーも正解があるわけじゃないし、主観や好みやセンス、流行とか。正解のないものに左右されつつ、経済の流れとも並行してやらないと長続きしない。若い人たちは情報量が多く、情報処理能力も手段もたくさん持っている。そうすると、不器用でよくわからない人をみたときに、少し下に見る傾向がある。でも、それが全部とっぱらわれたときに、とんでもない奴が現れたりするんですよ。そういう爆発力は無くならない。ただ昔のほうが多かったというだけで。そこには期待しています。ただ、自分の好きなものを見つけるというのは、間違いがないとたどり着けない。それは便利さとの駆け引きですよね。回り道がしずらい時代にとって、そこがせめぎ合いになる。
米山 ヒロトさんが「ロックンロールは豊かな国しか生まれない」って仰っていて。ロックはハングリー精神だと言うけど、ハングリーだったらアフリカから生まれていいわけじゃないですか。アジアの僻地から生まれてもいい。でも、ムーブメントを作るのは豊かな国。飽食で、食って食って食い尽くした後に、まだ何か出したい人たちが「これならどうだ!」っていう面白さがあると思うんですよ。今は情報はいっぱいある。でも、情報として豊かなだけで、身の部分は豊かになってないと思うんです。だから、「オッ! 」っていうのが出てこない。ムーブメントを生み、そこからスタンダードになるようなものが出ずらい世の中なのかもしれない。
「今は、作品の中に埋没していきたい」(八嶋)
八嶋 震災のとき、この時期に演劇をすべきかみたいな話があったんですよ。でも、やれる奴はやったほうがいいんですよ。できない人はそんな余裕がないわけで、生きることに立ち向かわなきゃいけない人はそれをやる。そうじゃない人は、やることをやるっていう。余白があるから僕たちはできているわけで。
米山 無駄といえば無駄なものですよね。
八嶋 いらないものですからね。でも、絶対そうじゃないんですよ。そこは闘いたいところ。戦争で、明日死にに行くという最前線の場所に劇場ができたという実話があるんですよ。『南の島に雪が降る』という作品なんですけど。娯楽とか心の余白は、そういうところだからこそ必要かもしれないっていう考えもあるんです。
米山 そういうマインドはお持ちですか?
八嶋 個人的なことでいうと、先ほども話したように、モテたいチヤホヤされたいからお芝居を始めて。それと同時に、人はいつか必ず死んでしまうことへの恐怖心が小さい頃からあったんです。そこから限りなく逃げたい、でもこればっかりは逃げきれないというときに、「多くの人に覚えておいてほしい」という現世の自分への執着心があって。
米山 へぇ、なるほど。
八嶋 小学校4年生のときに思ったんですよ、「俺のことを覚えていてもらいたい」って。自分で喋っていても、なんだこいつと思うけど(笑)。
米山 でも、いまもその気持ちはゼロじゃないんですよね。
八嶋 そうですね。
米山 いま八嶋さんをつき動かしているのは何ですか? モテたい、覚えていてほしい以外で。
八嶋 以前は、己のことを考えてたから「手段」ですよね。ようやく、40歳を過ぎてから、演劇や役者道の入り口に立ったなって。そのほうが遥かに長いロードであることに気づいて、ゾッとしたっていうのもあるんですけど。今は、作品の中に埋没していきたいですね。自分というよりも、この役っていうものになりたい。そうしていかないとこれからの道筋はないだろうなって思ったりもします。
米山 なるほど、ますます八嶋さんのお仕事に興味が生まれました。今後もいろいろ観させていただきます。今日はありがとうございました。
八嶋智人|YASHIMA Norito
1970年9月27日、奈良県生まれ。90年、松村武・吉田晋一ら5名とともに劇団カムカムミニキーナを旗揚げ。以降、劇団の看板役者として、舞台・ドラマ・バラエティー・CM・映画などで幅広く活動。劇団カムカムミニキーナは、主宰の松村武が全作品の作・演出を担当。 八嶋智人、山崎樹範 ら映像でも活躍する個性的な役者が揃う。ハイテンションでテンポのよい笑いで壮大な物語へと観客を連れ去る独特の作風と、 演劇ならではの表現にこだわったダイナミックな演出に定評がある。次回公演は、「狼狽~不透明な群像劇~」6月17日(土)~25日(日)東京芸術劇場シアターウエスト(大阪・三重公演あり)奈良女子大学附属小学校・中学校・高等学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)、日本大学文理学部哲学科卒業。趣味はメガネ収集で、2004年に「日本メガネベストドレッサー賞」を受賞。特技は水泳。