石川次郎さん(2)「旅の人生」
Fashion
2015年5月14日

石川次郎さん(2)「旅の人生」

エディトリアル・ディレクター石川次郎さん(2)

「旅の人生」

対談連載第一回では石川次郎さんの「靴」にまつわるお話をうかがいました。
今回は石川さんを魅了してやまない「旅」のあれこれについてお聞きします。
なんでも、あの『トゥナイト2』のレギュラーキャスター時代も週末は海外へ出掛けていたそうで……

構成&原稿=秦 大輔(City Writes)写真=jamandfix

そういう星まわりだから、いつまでも旅人でいる

松田智沖 石川さんの人生には『旅』というキーワードがありますよね。

石川次郎 僕は今66才ですが、人生なんだか旅から離れられないみたいで。大学を卒業したのが1964年。その年に海外旅行が自由化されたんです。今じゃ信じられないけど、それまでは外貨を使わせないという国の政策があったから、ふつうの日本人は海外へ行けなかった。それが500ドルに限って使っていいといういわゆる500ドル渡航の時代に入った。大学を卒業したのはそんな節目で、近い将来、旅行が大きなビジネスになるなと直感したんです。それで当時できたばかりの海外旅行専門の旅行代理店へ就職したんです。

松田 旅行代理店へはどのくらい勤められたんですか。

石川 2年ちょっとで辞めました(笑)。添乗員というのをやらされまして。生まれて初めての海外旅行で、20数名の産婦人科医の先生たちを、ストックホルムで開催されている学会へご案内した。しかも45日間! ヒーヒー言いながら何とか役目は果たしたのですが、終わった瞬間に辞めようと決めたんです。目の前にものすごくおもしろそうな街があるのに、好き勝手に行けないのがもどかしい。自分には向いてないとこれも直感しましたね。

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ラオスの食堂にて

すると平凡出版(現マガジンハウス)が拾ってくれた。ちょうど『平凡パンチ』が海外取材を独自に行おうとしていたタイミングだったんですね、石川なら経験もあるしできるんじゃないかと。もちろんできるわけないんだけど、海外取材担当の編集部員にしてくれた。それからはつくる雑誌が変わっただけで、ずっと海外取材というものを続けてきました。しかも、会社を辞める前に担当したのが海外旅行雑誌『ガリバー』ですもの。自分でも不思議なくらい旅と縁がありますよ。これからもとことん旅を続けるでしょう。きっと、そういう星まわりなんだから。

劇的に変化するアジアを見届けたい

松田 現在はBS朝日で『亜細亜見聞録』という番組をされていますよね。やはり旅行される国はアジア圏が多いのですか。

石川 そうですね、先日もタイとラオスを旅してきましたが、アジアは本当におもしろい。ものすごいスピードで変化していて、行く度に新しい発見があるんです。この変化を見届けなきゃいけないなという想いが強くありますね。
実は『トゥナイト2』に出演していた頃も、アジアへは通っていたんですよ。月曜から木曜までは本番があるから、金曜に発って月曜の午前中に帰ってくる(笑)。そんなタイトスケジュールだから遠くには行けなくて、必然的にアジアが多くなったというわけです。プロデューサーは『もし飛行機が飛ばなかったら大変だからやめてくれ!』というのだけど、『週末は僕の時間だから!』と言って譲りませんでしたね。結局、穴は一度も空けませんでした。

松田 ふつうレギュラーで番組をもたれたら土日はゆっくりしたいと思いませんか(笑)。

石川 僕の場合、東京でグタッとしているよりも旅してる方が体調がいいみたい。そういえば、アジアを旅行している時の方がヨーロッパやアメリカへ行くよりも調子がいいんですよ。で、よくよく考えてみたらアジアの食は野菜が圧倒的に多い。そこに気付いて以来、僕は意識的に野菜を採るようになりました。

「記録」という行為が旅に欠かせなくなった

松田 海外へ行くときに必ず持って行くものはありますか。

石川 ノートブックですね。僕は仕事もプライベートも関係なく、ついメモをとってしまうんです。たとえばおもしろい間取りのホテルに泊まると見取り図を書いてみたり。何の役にも立たないけれど、それをしないと旅してる気分にならないんですよ。写真もやたらに多いですね。記録しないと気が済まないみたいで。きっと長い間取材をしてきてクセになったのでしょう。
それから現地に着いたらまず地図を手に入れます。降りた飛行場がどこにあって、今日泊まるホテルがどこにあるか、というのを把握しておかないと落ち着かない。これも、仕事のクセですかね。『何もしない旅もしてみたいな』と憧れてはいるけれど一度もしたことがない。というより、できない。編集者って因果な商売なんだなぁと思います(笑)。

松田 これまで旅した中で、住みたいと思った国はありましたか。

石川 どこもいいのでひとつには絞れませんが、アジアのどこかの国にいつかは住みたいですね。どこの国へ行ってもやはり同じアジア、仲間だという意識がありますから。現実的に考えると社会主義国はいろいろと難しいので、タイやインドネシアになるのかな。ベトナムも素晴らしい国なのですが。

石川次郎さん(3)
「メディアの明日」
につづく

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ラオスの寺院にて

Profile
エディトリアル・ディレクター
石川次郎さん

1941年東京生まれ。'64年に早稲田大学卒業後、海外旅行専門の旅行代理店へ就職。2年で辞め、平凡出版(現マガジンハウス)へと入社。『平凡パンチ』誌の海外取材担当編集者となる。
『メイド・イン・USAカタログ』を経て、『ポパイ』『ブルータス』『ターザン』『ガリバー』の創刊に携わり各誌の編集長を歴任。'93年2月にマガジンハウスを辞し、編集プロダクションを設立する。
'94年からテレビ朝日『トゥナイト2』のキャスターを8年間務めた。現在、BS朝日の旅番組『亜細亜見聞録』に出演中。

           
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