中原慎一郎のalso craft 08│大治将典の仕事
also craft #08 Hand to Hand
つくる側から使う側の手へ──大治将典の仕事
掃除道具に興味をもちはじめていろいろとリサーチしているなかで出会った「掃印(そうじるし)」。
ぼくがはじめてみた大治将典くんのデザインです。まるでイタリアのデザイナーのカスティリーニのような発想だなあと感心させられたのを覚えています。その後気になるデザインのものが大治将典デザインであることに度々遭遇することがあって、今回ぜひお会いしたいということもあり、対談形式で取り上げさせていただくことになりました。
Text by NAKAHARA Shinichiro
そのデザインが自分のものと気づいてくれることがたいへんうれしい(大治)
中原慎一郎
以前から個人的にいいな、と思うものが大治くんのデザインだったりすることが多くて、ずっと気になるデザイナーだったんです。つくられているものがカスティリオーニ(アッキーレ・カスティリオーニ/イタリアの建築家・デザイナー)的なイメージがありまして、一度お会いしたくて。
大治将典
気に入って使っていただいた結果として、そのデザインが自分のものと気づいてくれることがたいへんうれしいです。僕がデザインに携わった「掃印」(江戸老舗ほうきの白木屋傳兵衛とのプロジェクト)を中原さんの「Playmountain」にて扱っていただいていたのは知っていましたし、広島にいたころからお店にはお邪魔していたので、僕もお会いできて光栄です。
中原
広島のご出身なんですか?
大治
はい、広島出身です。東京にくるまでは広島でグラフィックの事務所をやっていました。5年前に拠点を東京に移しました。
中原
グラフィックデザイナー出身なんですね。
大治
もともと建築学科出身で、卒業後は東京の設計事務所に入りましたが自分に向いてなくて、すぐに辞めてしまったんですね。それで広島に戻ってからグラフィックデザインの事務所でアルバイトをはじめました。たしか90年代後半ですね。
そのころといえばデザイナーがユニットを組んで活動するのが流行った時期で、僕もパートナーとグラフィックデザインの事務所を立ち上げました。ただ、グラフィックだけだと売りがないなーと思いまして、ノートやメモ帳をつくって卸業務をはじめました。それが思いのほか楽しかったんです。
中原
このノート(ノートの中にペンを収納できる)、ありましたね。これも大治くんだったんだ。
大治
当時、インテリアスタイリストの岩立通子さん(故人)が広島の雑貨屋さんに打ち合わせに来られるという情報を聞きつけて、雑貨屋さんの社長に「頼むから、打ち合わせのときにこのノートを使ってください」とお願いして(笑)。
そしたら岩立さんが気にいってくださって、東京のお店をご紹介してくださったりして、ノートはわりと売れましたね。それからはハンガー、けん玉といったものもデザインするようになり、「プロダクトデザイン」に集中したいと思うようになって、上京した次第です。
プロダクトデザインの勉強もしていないし、キャリアもまったくないので、そういう意味ではこのノートは名刺変わりになりました。
全国各地のメーカーとデザインをされていますね(中原)
中原
この真鍮(しんちゅう)のプロダクトは?
大治
これは今年の6月に発表するものです。富山・高岡の鋳物メーカーさんと一緒につくったものです。「生活用品をつくりたい」というお話をいただいたのがきっかけで。10人くらいの工房なんですが、ずっと問屋さんの下請けをやっていたところで、そこでつくっていた仏具の発注が減少したこともあり、メーカー側からの発案だったんです。こちらの真鍮は加工していない鋳肌の状態ですね。
中原
こちらの方が工程的にも省けるんですか?
大治
そうですね。鋳肌のままの状態なので、使っていくいうちに経年変化で味がでてきます。これは「栓抜き」ですが、栓抜きって自分の手元のエリアにないなと思いまして。今では晩酌の楽しみのひとつです。
中原
(テーブルに一堂に置かれたこれまでのプロダクトを見て)全国各地のメーカーとデザインをされていますね。デザインする上で広島で生まれ育ったっていう影響はある?
大治
わりと広島の中心部で育ったということもあり、古いものや手工芸業も近くにはなかったんです。自分の地元では宮島の近くに木地ろくろの産地があるくらいですね。広島のモノづくりは東寄りが盛んですね。思えば僕は学生時代はまさにモダニストで古いものを受け付けられなかった。手跡の残るものがダメだったというか。
東京にきてさまざまな人や物との出会いで、古いものやクラフトならではの仕上げなども自分なりに意味を見いだせて、受け入れられるようになったんです。
異分野からプロダクトデザインの世界に飛び込んできたので、「プロダクトデザイナーならではのこだわり」みたいなものはなくて、状況をフラットに見ることができるみたいです。自分は「デザイン、デザイン」したデザインよりも、できるだけ何もしないデザインに向いているなと。できるだけ古い技術をそのままに新しい何かをつくりたいなって。そして長くつづけてきたサイクルのなかで生きつづけていくものをつくりたいと。そのためにデザインの知恵を使いたい。
中原
僕も同じです。デザインって手段のひとつだと思うから。
アーティスティックなデザインは求められてもできないです(大治)
大治
表現するためのデザインは、僕にはできないです。去年、友人と話していて自分にとって「デザインって何だろう」ってよく考えたんですね。そのとき出た答えは「仲良くなるための手段」。「つくる人と使う人」が仲良くなるために。だから仲良かったらデザインする必要はないんですね。
中原
困っていないとデザインできないしね。
大治
困っていないと解決しようと思いませんもんね。だからアーティスティックなデザインは求められてもできないです。
中原
話は戻ってしまうんですが、大治くんがデザインに興味をもったきっかけというのは?
大治
僕は高校時代に書道部に在籍していまして、そこで書道の先生に出会わなかったら、この道に入っていなかったと思います。最初は書道ってお手本を写すだけだと思っていたんですが、先生はいつも「何が書きたい?」「どこに飾りたい?」とアウトプットのことまで聞いてきて。書道って詩が読めて、道具が使えて、書けて、設える、ということ全部を含めて「書」だと教えていただいたんです。
書道の影響はグラフィックをはじめ、デザインする上で相当影響を受けていると思います。ロゴマークをつくるときは篆刻(てんこく/印章づくり)をつくっている感じで、パッケージづくりは額や表装を考えている感じです。
中原
なるほどね。ところで大治くんはデザインするときはまず何に向かう? 素材ですか?
大治
基本的にはメーカーさんや工房でできることをヒアリングします。素材がそのまま活きるように、料理にたとえると素材に火はいれすぎない鰹(かつお)のタタキのようなデザイン。ですが刺身ほど生でもないです。煮込んだデザインができないんです。いろいろと考えても、結局、メーカーさんに会いに行った帰りの飛行機で思いついたものになったりしますからね。だから僕は自分のことを「半生デザイナー」と言っています(笑)。
対談を終えて(中原慎一郎)
やはり実際に会って話を聞くのが当たり前ですが、そのデザインに納得がいくというか、より理解できますね。今回の大治くんとの対面も彼のものづくりの姿勢や日常での発見といった彼のデザイン哲学が見えてきた気がしました。広島生まれというのもあってか、一度何もなくなった状況ではじまった都市だからこそ芽生える発想で新しくもあり、手で使うことの喜びを感じさせてくれるデザインを大治くんは次々と生んでいます。
もともとはグラフィックデザイナーとして活動もされていたようで、プロダクトデザインのみでなくパッケージやロゴのデザインにいたるまで彼の知恵が発揮されていて、今回の訪問で見せていただいた新しいシリーズの鍋敷きや栓抜きといった鋳物もよく見ると非常にグラフィカルなデザインな部分もあって視覚的にも使う側を楽しませてくれます。今後彼が新しい素材や技術との出会いのなかでどのようなものを生み出すのか、対談を終えてますます楽しみになってきました。
本人も恥ずかしそうに言っていましたが、「気に入って使った結果としてそのデザインが自分のものと気づいてくれることがうれしい」と。近年ではデザイナーの名前も一つの売り文句でもあったりするなかで彼のデザインはそういうことに左右されない彼なりの用の美への執着があって、所有の喜びでなく使用する喜びを感じさてくれることの方がずっと大事だと改めて思わせてくれました。
デザイナー
1974年広島生まれ。1997年広島工業大学環境学部環境デザイン学科卒業。建築設計事務所、グラフィック事務所を経て、1999年「msg.」(エムエスジー)を設立。2004年拠点を東京に移し、2007年「Oji & Design」に社名変更。
「日用品のデザインを中心に活動しています。さまざまなことが、穏やかに、気持ちよく、繋がっていくデザインを日々考え、ものづくりに励んでいます」。
http://www.o-ji.jp