連載・柳本浩市|第24回 橋詰 宗氏に「デザインと教育」をきく(後編)
第24回 橋詰 宗氏に 「デザインと教育 」をきく (後編)
グラフィックデザイナーの橋詰 宗(はしづめそう)さんをお迎えして、3回にわたった対談の最終回は、いまの時代のコミュニケーションと、今後の活動についてうかがいます。
Text by 柳本浩市
オープンソースの仕組みをつくりたい──柳本
柳本 いきなりですが……、橋詰さんは「営業活動」はしていますか?
橋詰 営業活動はとくにしていないですね。以前、Åbäke(ロンドンを拠点に活躍中のデザインスタジオ、橋詰氏RCA在籍時のチューター)が僕たちが企画したレクチャーのなかで「これまでかかわってきたプロジェクトの多くは、RCAをふくめてこれまでの長い時間で培われた関係性から派生してきている」と発言していたのですが、それに強い共感をもちました。と同時にいま「場」をつくることに念頭をおきながら活動をしているなかであたらしく出会ったひとたちとプロジェクトをおこなう機会が日に日に増えていることを考えると、日々の出会いがあたらしい仕事への架け橋になっているように思います。
柳本 私は「リアル中西」という大人数が参加する次世代型飲み会を主催していまして、毎回さまざまなジャンルの方々に参加していただいています。先日、ある方と「リアル中西」のオープンソースとまさにコンポーネントの話になったんです。例を挙げると、代理店などが企画をするさいは、やはり知名度によるキャスティングが先行します。だけども有名なクリエイターといえど万能ではないので、すべての仕事が適切に、かつクライアントと相性が合うとは限らない。いまは結果、仕事の質が重視される。ならば「リアル中西」に参加している方がマニフェストとできることを掲げ、さらにはその場をきちんと分析、マネージメントできる方を起用します。すると「デザインは○○、プロダクトは○○、販促は○○……」とパッケージにしてクライアントに売り込むことが可能になります。もちろん、個人と個人の繋がりがベースになっていないとダメですが。「リアル中西」にははじめて会うひと同士が意気投合したり、またおなじ思想の方と出会ったり、といった良いものを生み出す可能性がたくさんあると思っていますし、すでにはじまっているプロジェクトもあるようです。いま、こうしたオープンソースの仕組みをつくりたいんですよね。
橋詰 まず「場」ありき、それからコミュニケーションを深めていくことが大切ですよね。
柳本 いま振り返ると、ゼロ年代は「引きこもり」の時代だったと思います。インターネットの普及によって個人は主張ができるようになったけど、現象までは起こせなかった。その反省を踏まえて、テン年代に突入してからネットコミュニケーションもリアルと相互関係を重要視されるようになったと思うんです。閉塞感を打破するのに現象は不可欠。ただ現象を起こすにはひとと繋がらないといけない。ゼロ年代に引きこもっていたひとが外へと意識が向きはじめているように感じるんですね。
個人的には、いまはすごくおもしろい時期になってきていると思う──橋詰
橋詰 元来日本人はそれほどオープンな関係性を求めないですしね。僕も渡英するまではそれほど社交的なほうではなかったのですが、いざ留学してみると、大抵のひとはなにをするにしても「まずひとに会ってみる」「話してみてから考えてみる」といった積極的なコミュニケーションを大切にしていて、そこに影響を受けましたね。
柳本 90年代はむしろひとは外へと向い、こうした繋がりを求めて、クラブやカフェに集まっていましたよね。コミュニケーションをしようとアクションしていましたから。
橋詰 若いころの音楽を媒体にしてひととのつながりをもちたい、という気持ちも無意識に「場」をつくるということにつながっていると思います。90年代はインターネットもなく、クラブに行けば「場」があって、そこでひととコミットしていく。もちろんクラブだけでなく、レコード屋や洋服屋もこのように機能していた部分も大きかったと思います。それがゼロ年代になると、ひとつの価値感でモノをつくったり、またモノと対峙するのが難しくなって、どこか窮屈に感じるひとが増えたんでしょうね。個人的には、いまはすごくおもしろい時期になってきていると思います。なぜならジャンルを横断して、さまざまな価値感の方とコミュニケーションをはかることで、クリエーションを生み出し、あらたな方向性を提示できたりしますからね。
柳本 時代は変わっても、基本はコミュニケーションにあると。
橋詰 実践的なところで、ブックデザインを例にあげると、たとえば紙を選ぶにも「用紙はマットなものか、光沢があるものか」と、選択が非常に限定されていました。それがいまではじつにさまざまな種類の用紙をデザイナーが選択できます。「さて、まずは……」というところでさまざまな可能性を見出すことができる。さらには用紙だけではなく、コンテンツ、レイアウト、本の重さ、時間軸といった多様な要素から世界にひとつの本をつくりだすことが可能です。そこで起きていることは、「場」をつくるときに僕が考えるのとおなじ思考のプロセスなんですね。俄然楽しくできる。いまは電子書籍の普及による紙媒体の危機が叫ばれていますが、本の構造的なところだけではなく、これまでは一見関連性のなかったようなことと本をつなぎ合わせることであらたなポテンシャルが見えてくるのではと思います。「ブックデザイン」の仕事もふくめていい時代になったと思いますね。
柳本 だからこそデザイナーにも編集能力が問われてきますよね。
橋詰さん、今後の目標は?──柳本
橋詰 そうなんですよね。『新エディターシップ』(外山 滋比古著 みすず書房刊)という本にも僕は大きな影響を受けたのですが、本書において文化創造には編集能力は欠かせないと記されています。つまりデザイナーにも、料理人にも、詩人でも、どんな領域に属しているひとにとっても「編集」が必要だと思います。以前、「BOOKS HOP」(グラフィックデザイナー、編集者らによって立ち上げられた本にまつわるプロジェクト。初回はアートフェアの一環で、ホテルの一室を本屋に変え、取り扱う本の選定から流通、販売といったプロセスを自身でおこなった)というイベントを催したのですが、それ自体は実質的なデザイン作業はないわけです。だけどもそこでデザイナーの視点、デザイナーなりの編集方法というものが必要になってくるんですね。ここで柳本さんにお聞きしたいのですが、いま例にあげたような横断的にさまざまな要素を編集する専門について今後どのような呼び方をすればいいのでしょうか。それはもはや「編集者」という言葉で認識されるものと変わらないと思うのですが……。
柳本 たしかにそれに該当する言葉がないんですよね。現状では、SFC(慶応義塾大学 湘南藤沢キャンパス)やischool(東京大学のあたらしい教育システム)に代表されるように、いままで経済、芸術、といった縦割りで分けられていたものが、横軸で切り取られる学部が登場してきた。ニーズもあるので、今後はこういう教育システムが増加傾向にあるでしょうね。
橋詰 そういう動きにも注目していきたいですね。
柳本 ところで中世の時代って「カテゴリー」というものが存在しなかったんですよね。レオナルド・ダ・ヴィンチも画家であり、医者でもあり、科学者でもあった。つまりひとにいろんなものがくっついているイメージだった。それが産業革命のころになると、情報とモノが溢れて都合が悪くなることが多くなってきた。そうこうしているうちに『ブリタニカ』に代表される百科事典が誕生した。便宜上カテゴライズされると、人間ってジャンルがあるからこそ、それぞれを横断していると意識しますが、昔はちがっていたんですね。それがインターネットの出現で、ちがうジャンルがつながり、さらに成熟することでジャンルの垣根が取り払われたんでしょう。ところで橋詰さん、今後の目標は?
橋詰 そうですね……、いま僕がおこなっているさまざまな活動や思想の集大成として、やはり戦後の喫茶店のような不特定多数のひとが集まって相互の関係性からあらたな文化創造への可能性が広がるような場所そのものを自分でつくりたいと思っています。そこで音楽と本とお酒、そして大切な友達に囲まれて時間が過ごせればほかに望むものはありませんしね(笑)。
柳本 今回はありがとうございました。
橋詰 宗|HASHIZUME So
1978年広島県生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)コミュニケーションアート&デザイン修士課程修了。帰国後、アート、建築、ファッションなどの領域にかかわるアートディレクション、ブックデザイン、ウェブデザインなど、数多くのプロジェクトに携わる。最近では領域を横断したワークショップやイベントの企画なども積極的におこなう。
http://www.sosososo.com/