日産ジューク|小型クロスオーバーのニューフェイス
CAR / NEWS
2015年4月9日

日産ジューク|小型クロスオーバーのニューフェイス

NISSAN JUKE|日産ジューク

小型クロスオーバーのニューフェイス

欧州日産は、10月に発売されることが決定した、新型クロスオーバーのモデル名を「ジューク」(JUKE)にすることを発表した。

文=ジラフ

2010ジュネーブショーで正式デビュー

このジュークは、昨年のジュネーブショーで発表されたコンセプトカーである「カザーナ」(Qazana)の市販車モデルで、公表されたティーザー写真からは、カザーナの特徴である丸目のライト、張り出した前後のフェンダーなどを継承していることがみてとれる。

欧州日産では、この新型モデルを小型ハッチバック車を「ノート」(Note)と「キャシュカイ」(Qashqai 日本名「デュアリス」)の中間に位置するモデルとし、欧州の主力市場である、小型ハッチバック車からの乗り換えを狙うという。

欧州日産副社長であるサイモン・トーマス氏は、このジュークについて「あらたな成功をもたらしてくれるモデル」とのコメントを発表。この新型車にかける意気込みの大きさが感じられる。

新型ジュークは3月から開幕する、ジュネーブモーターショーで正式発表がおこなわれる予定。ヨーロッパ各国の販売は、10月からがスタートするという。

BRAND HISTORY
本格的に日産自動車の名前でセドリックを作り出したのが1960年。母体の創業は1937年。太平洋戦争を経て、英オースチンのノックダウン製造を手がけた歴史をもつ。1966年にはプリンス自動車を合併。1983年から87年にかけて伊アルファロメオと合弁会社を設立し、イタリアで乗用車生産するなどした。一時期はトヨタとシェア争いをするまでになったが、90年代に経営危機に陥り、1999年に仏ルノーの資本参加を受け、現在にいたる。

日産の特徴は、日本人の身の丈にあったクルマづくりにあったといえるかもしれない。自家用車を持つ夢、高性能のクルマを楽しみたいという憧れ、世界で通用する価値をもつ日本車へのプライド、高級車志向……。日本人がモータリゼーションの発達とともに時代ごとにもっていたクルマへの思いを上手に製品化してきたのが日産だ。

モータリゼーション黎明期である1966年にはスモールカーのサニーで「マイカー」所持の夢を与え、1967年には高性能を前面に押し出したブルーバード、モータースポーツが若者の関心の的になっていることを背景に1968年にスカイライン、くわえて「米国で認められた」スポーツカーとして1969年にフェアレディZを、それぞれ矢継ぎ早に発表した。

さらにいわゆるバブル経済の時期は、市場の高級車志向を背景に1988年のシーマで大きなヒットをとばした。同時に日本車の高性能化を具現したスカイラインGT-Rを1989年を発表。(スカイライン)GT-R神話を不動のものとした。それは現在のNISSAN GT-Rにまでつづいている。

開発者を宣伝の前面に立てるなど、顔の見えるメーカーとして消費者との距離を縮めようとする、いい意味での人間くささは今も健在。走りや技術を喧伝した時代の、生身の人間のように目的をもって先へと邁進していく人格化された企業のイメージが、日産の持ち味だ。

新世代の技術開発ではトヨタなど他社に遅れをとってきたのも事実だ。1999年のルノーとの資本提携のさいにクローズされた多くの事業のなかに、当時他社より進んでいたハイブリッド技術もふくまれていたとか。2010年秋にはリーフという4ドアの電気自動車が発売されるが、環境技術の面で日産はどこへ向かおうとしているのか、いまひとつ、コミットメントが明かでないように思える。
(2010年8月更新)

           
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