TOYOTA FT-86 II concept|トヨタ FT-86 II コンセプト ジュネーブに出展
TOYOTA FT-86 II concept|トヨタ FT-86 II コンセプト
FT-86 conceptがIIに進化して公開
トヨタ自動車は、3月1日から開催されているジュネーブショー小型FRスポーツ「FT-86 II concept」を出展した。
文=松尾 大
世界唯一の水平対向FRスポーツ
FT-86 II conceptは、トヨタが、2005年より筆頭株主として提携関係にあるスバルと共同開発を進めている新世代のFRスポーツカーのコンセプトモデル、FT-86 conceptをより市販モデルに近づけた進化形だ。「両社のコア技術を融合し、世界唯一の水平対向エンジンFRレイアウトのスポーツカー誕生を目指し、クルマの魅力である運転する楽しさ・所有する歓びを提案する」と意気込んでいる。
2009年に開催された第41回東京モーターショーに出展され、大きな反響を巻き起こしたFT-86 conceptはその名のとおり、1980年代の若者を熱狂させた名車、AE86(カローラ・レビンおよびスプリンター・トレノ) 、いわゆる「ハチロク」を現代の技術でよみがえらせようというもの。その進化版であるFT-86 II conceptを今後、世界中の道で鍛え抜き、今秋開催される第42回東京モーターショーに市販モデルをワールドプレミアとして出展する予定だとしている。
前述のとおり、同車は世界唯一の「水平対向FRスポーツカー」として開発され、専用プラットフォームの採用により、低重心と軽量コンパクトなボディを実現している。
ボディサイズは、全長4,235×1,795×1,270mm、ホイールベース2,570mmと発表された。ちなみにこの数値は、AE86レビンにくらべ全長でプラス55mm(トレノ比 プラス20mm)、全幅 プラス170mm、全高 マイナス65mm、ホイールベース プラス170mmというもので、いずれにせよ、現代のスポーツカーとしては非常にコンパクトに仕上げられているといえるだろう。
エンジンは、スバルお得意のボクサーエンジン、2.0リッター水平対向4気筒DOHCと発表されているが、スペック、そのほかの詳細は不明だ。これから、12月に東京モーターショーが開催されるまでの約9カ月間、このFT-86 II conceptがどこまで熟成されるのか、楽しみである。
BRAND HISTORY
自動車メーカーとしてのトヨタの創業は1936年。当時流行していたストリームライン(流線型)ボディをまとった6気筒モデルと、上級市場を狙ったモデルがスタートだった。50年代後半に1リッターのコロナと1.5リッターのクラウンをラインナップに。60年代には、米国市場での拡販を目指す企業戦略を採用するにあたって、コンパクトなモデルから8気筒搭載車までを開発。フルラインメーカーの道を歩み出した。
トヨタの成長のカギは、徹底したマーケット中心主義にある。60年代は米国市場において、イギリスやイタリア製の小型車をターゲットにした車種を投入して成功。その後も、適度な性能を適切な価格で提供する商品戦略は、大型セダンからスポーツカーまで幅広く採用された。そののち米国に工場を建設するなどして、大型ピックアップトラックなど米国専用の車両を多く手がけるようになる。
国内では1960年代の高度成長期をひとつの頂点に、営業販売面の貢献もあり、多彩な製品展開で盤石のポジションを獲得。また主市場の米国では、1970年代に起きた2回のオイルショックをむしろ追い風とし、小型・省燃費を武器に急成長した。近年の大きなジャンプは1980年代後半。高級車志向が強くなった米国においてトヨタでなくレクサスという独立したブランドを立ちあげた。小さな部品1点1点から徹底した品質管理をおこなうという源流主義を採用し、高いクオリティ感を売り物とした。
もうひとつのジャンプが1997年のプリウスの発売だ。ハイブリッド駆動方式は一般にはなじみのない一方、当時の自動車業界からは「内燃機(ガソリンやディーゼルのエンジンなど)から燃料電池へと向かう技術の流れのなかで無意味」と批判されたが、先見の明があったことは現在の成功をみればわかる。世界中のメーカーが形式に多少のちがいこそあれ、ハイブリッド化を推進している。また、ハイブリッド車に必要不可欠なバッテリー技術は、電気自動車でも、その先にある燃料電池車でも必要となることは、ほかの自動車メーカーも認めざるを得なかった。
2008年9月に米国で起きた、いわゆるリーマンショック以降は高級車の販売が鈍化したり、ほぼ時期をおなじくして製品のリコールをめぐって米国議会で大きく取り上げられたりと、現在のトヨタは逆風にさらされているともいえる。2002年に参戦したF1から2009年に早ばやと撤退したのもファンのあいだに失望を生んだ。しかしあらたに世界ラリー選手権も視野にいれた国際的なレース活動を再開すると表明。今後に期待だ。(2010年8月更新)