最古のコンクール、スーパーカー時代へ── コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステが開催| Concorso d’Eleganza Villa d’Este

左から「スーパーカーの誕生 : ラテンスタイルのランドマーク」クラスの1987年フェラーリF40プロトタイプ、「ザ・ネクスト・ジェネレーション : 1990年代のハイパーカー」クラスの 1993年イズデラ・コメンダトーレ112iと1994年ブガッティEB110SS

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2021年11月19日

最古のコンクール、スーパーカー時代へ── コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステが開催| Concorso d’Eleganza Villa d’Este

Concorso d’Eleganza Villa d’Este|コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ

コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステが2年5カ月ぶりに開催

現存する世界最古のコンクール・デレガンス「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」が2021年10月1日から3日までイタリア北部コモ湖畔で催された。イタリア在住のジャーナリスト、大矢アキオ氏が現地よりリポートする。

Text by Akio Lorenzo OYA|Photographs by Mari OYA/Akio Lorenzo OYA

雨に濡れても

新型コロナウィルス対策による中止を経て2年5カ月ぶりに開かれた今回のコンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステでは、「スペシャル・エディション」の形式がとられた。例年行われてきた隣接地「ヴィラ・エルバ」での2輪部門および一般公開はキャンセル。歴史的会場である「グランドホテル・ヴィラ・デステ」に、参加車オーナーおよびゲストのみを招いてのイベントとなった。
それでも、前回と同じ8クラスが設けられ、台数もほぼ同レベルの47台が選ばれた。
筆者が訪れた10月3日は生憎の曇り空で、ときおり雨にも見舞われた。渾身のレストアを施した愛車を持ち込んだオーナーたちは、さぞ天が恨めしかったに違いない。と思いきや、あるエントラントは「雨滴に包まれたクルマも、これまた美しい」とみずからの愛車を眺めて、筆者に微笑んだ。このレベルのイベントのオーナーになると、さすが心に余裕がある。そうした彼らに根負けしたように、午後はときおり太陽も顔を見せた。
「完璧への情熱 : ピニンファリーナの90年」クラスの参加車たち
例年どおりBMWグループ・クラシックがスポンサーを務めた。これはカロッツェリア「フルア」のワンオフである1968年BMW2800GTS
先に優勝車を記すと、12名の審査員たちによる「ベスト・オブ・ショー」には「ビッグバンドの40年代から驚愕の80年代へ : 耐久レースの50年」のクラスウィナーで、ピニン・ファリーナ製ボディをもつ「フェラーリ250GT TDF」が選ばれた。同車は1956年、車両登録した同日にそのままミッレミリアに出場した。
1956年フェラーリ250GT TDFピニン・ファリーナ
イベントにおけるもう一つの伝統的プライズで、招待者投票による「コッパ・ドーロ」は、1930年「ランチア・ディラムダ・セーリエ1」が獲得した。
英国人の初代オーナーは、イタリア旅行中にランチアを購入。母国に持ち帰って、ロンドンのコーチワーカーにボディを依頼した。
第2次世界大戦中の空襲で破壊されたあとは、長年放置の憂き目を見る。1970年代に入ってようやく発見されたものの、オリジナルとはまったく異なるボディが載せられてしまった。現オーナーのフィリッポ・ソーレ氏は、そのボディを降ろしたあと、丹念に収集した歴史写真をもとに、新車時のボディと塗色を再現した。
1930年ランチア・ディラムダ・セーリエ1

消滅したカウンタックが復活

ヒストリックカーとは別に設けられているコンセプトカー部門にも触れよう。
こちらは近年参加台数が減少して精彩を欠いていたが、今年はそうした過去を忘れさせるかのような1台が忽然と現れ、ゲストたちを驚かせた。
1971年「ランボルギーニ・カウンタック(クンタッシュ)LP500プロトタイプ」の高度なレプリカである。
オリジナルは同年のジュネーブ・モーターショーでデビューを遂げた。当時ベルトーネのチーフデザイナーを務めていたマルチェッロ・ガンディーニによる前衛的な造形は、世界に衝撃を与えた。
しかしこのプロトタイプは1974年、衝突実験に供されて消滅する。なぜゆえ、この歴史的な傑作が潰されてしまったか? 当時のランボルギーニは石油危機の影響を受けて、創業以来最大の経営危機にあったからである。そうしたなかで製品化を急ぐべく、使える個体はすべて使ったのだ。同時に筆者が考えるに、まだ「ミウラ」成功の余韻があまりに大きく、カウンタックが十数年にわたるロングセラーとなると想像していた者は皆無に近かったのかもしれない。
1971年ランボルギーニ・カウンタックLP500プロトタイプの2021年レプリカと、ステファン・ヴィンケルマン社長兼CEO
今回のレプリカは、ランボルギーニの歴史部門「ポーロ・ストリコ」が、ある著名コレクター(名前は伏せられている)のオーダーを受けて造り上げたものである。
シャシー製作は市販モデルのカウンタックに使用されたチューブラー・フレームとはまったく異なるシャシー部分から開始された。また、ランボルギーニ社が所有する量産1号車の精巧なスキャニングも実施された。総製作時間は2万5000時間に及んだという。
参考までにタイヤも、オリジナルを再現すべく、ピレリ社によって特別に作られた。
当日、幻のカウンタックは野太いエグソーストノートを響かせ、シザーズドアを高く上げながらパレードに登場。ギャラリーたちから大きな拍手が注がれた。

歴史的コンクール、新たなステージへ

ところで今回は、「スーパーカーの誕生 : ラテンスタイルのランドマーク」「ザ・ネクスト・ジェネレーション : 1990年代のハイパーカー」といったクラスが設けられ、1980-90年代の車両が数々取り上げられた。
このイベントの選考委員会は従来から意図的に車両年代のアップデートを図ってきた。だが、世界6大コンクールのなかでもとりわけトラッドな雰囲気が漂うヴィラ・デステで、今年選ばれたモデルはさらに鮮烈な印象を醸し出していた。
いくつかの例を挙げてみよう。
第一は「スーパーカーの誕生〜」のクラスウィナーとなった「ランボルギーニLP400Sプロトタイプ・ウォルター・ウルフ・スペシャル」だ。
カナダの石油王で当時F1チームも所有していたウォルター・ウルフがプロデュースした3台目のカウンタックで、1978年のジュネーブに展示されたクルマ・シャシーナンバー1121002である。デザイナーが描いたピュアな姿である前述のプロトタイプと、当時考えられ得る最高のパフォーマンスを目指したウルフ仕様は、観る者にカウンタック・ワールドの奥深さを感じさせた。
1978年ランボルギーニLP400Sプロトタイプ・ウォルター・ウルフ・スペシャル
1978年ランボルギーニLP400Sプロトタイプ・ウォルター・ウルフ・スペシャル。ウォルター・ウルフと、エンジニアのジャンパオロ・ダッラーラのサインが。
「ザ・ネクスト・ジェネレーション〜」クラスの1台である1994年「ブガッティEB110SS」は、新車時代プロモーション用にアメリカ合衆国へと送られたものだ。イタリアに戻ってからも、ブランド復活の立役者であったロマーノ・アルティオーリのもとにあった。
1994年ブガッティEB110SS
同じクラスでウィナーとなった1993年「イズデラ・コメンダトーレ112i」は、カルトなスーパーカー好きには懐かしいモデルだ。このクルマは元メルセデス・ベンツのエンジニア、エバーハート・シュルツによる夢の結晶であった。ボディは空力を徹底的に追求。メルセデスのV型12気筒6.9リッターをミドシップし、最高速度は340km/hに達した。最終的に1台のみ造られ、1996年にスイスのオーナーに引き渡された。3年前から現オーナーのもとでレストアが開始され、今回のヴィラ・デステが晴れ舞台となった。
1993年イズデラ・コメンダトーレ112i
関係者から聞いた話によると、こうした今日により近いモデルを選ぶのは、古いクルマを選択するのとは別の難しさがあるという。
戦前から終戦直後の超高級車の多くはフォーリ・セ―リエ(一品生産)、もしくは極めて少量生産であるのに対し、近年のモデルはイズデラのような例を除けば、数千台規模で生産されたモデルが珍しくないからだ。
そうしたなかで、より歴史的に意味ある1台を選んで参加権を与えなければならない。
参加を志すコレクターはより目利きになる必要があるし、審査員も新たな知識と判断力が求められる。この歴史的なコンクールは、エキサイティングな時代に差し掛かりつつある。
                      
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