MASERATI Quattroporte SPORT GTS|4ドアサルーンの皮を被ったリアルスポーツ
MASERATI Quattroporte SPORT GTS
4ドアサルーンの皮を被ったリアルスポーツ
マセラティは、クワトロポルテの最上級グレードとも呼べる「クワトロポルテ スポーツGTS」をデトロイトショーで発表した。
文=ジラフ
440psを誇る4.7リッターV8を搭載
このモデルは昨年6月にマイナーチェンジモデルとして登場した「クアトロポルテS」をベースとしたもので、搭載されるエンジンは「クアトロポルテ S」にも採用される4.7リッターV8に、排気システムの効率化などのチューニングをほどこしたもの。このチューニングによって、最大出力は10ps向上の440psを誇る。
またパドルシフト付きの6段ATもプログラムを変更することによって、さらに素早いシフトチェンジが可能となったという。足回りもローダウン化され、シングルレイトダンパーサスペンションシステムをさらにハードにするなどの改良がなされている。
これらの改良によって、ベース車輌となった「クアトロポルテS」のもつ、0 - 100km/h加速5.4秒、最高速度280km/hの性能を上回るのは確実といえるだろう。
外観ではメタリックチタン仕上げのヘッドランプや、縦にスリットの入ったダークカラーのグリル、歴代のスポーツモデルにだけ採用されてきた、赤が効果的に使われたトライデントロゴなどが目を惹く。
インテリアでは、シートをレザー&アルカンタラに変更したことや、カーボンパネルを装着することによって、スポーティ&ラグジュアリーな空間を演出している。
マセラティは、この「クワトロポルテ スポーツGTS」を『リアルスポーツカー並みの走行性能をもった4ドアサルーン』とアナウンスしている。その卓越したパフォーマンスとマセラティならではのラグジュアリーな世界観をもつ1台が登場したと言えるだろう。
BRAND HISTORY
世界には“スポーツカーの聖地”と呼ばれる場所がいくつもあるが、イタリアのモデナ県ほどその名にふさわしいところはない。なぜなら、モデナ県内には、ともにフィアットの傘下に収まるFerrari(フェラーリ)とMaserati(マセラティ)があるからだ。マラネロがフェラーリなら、県都のモデナから世に送り出されるのがマセラティである。
トライデント、すなわち、三叉の銛(もり)のエンブレムは、ボローニャのシンボルともいえるネプチューン像にちなんだもので、マセラティの歴史がボローニャからスタートしたことを物語る。礎を築いたのは、1881年から1898年にこの地に生まれたマセラティ兄弟。そのほとんどが自動車に関わることになるが、4番目に生まれたアルフィエーリ・マセラティ(3番目もアルフィエーリを名乗るが、生後ほどなくして他界)が中心的役割を果たす。彼のキャリアはレーシングドライバーとしてはじまるが、紆余曲折の末、1926年にオフィッチーネ・アルフィエーリ・マセラティ社を設立。トライデントを掲げた「Tipo26」のステアリングをアルフィエーリ自らが握り、タルガ・フローリオに参戦、デビューレースを見事クラス優勝で飾っている。
1929年には「V4」が246.029km/hの世界スピード記録を樹立、マセラティの名は広く知れわたるようになる。その後も、名ドライバーのタッチオ・ヌヴォラーリの活躍などでグランプリの歴史にその名を刻むマセラティだが、1937年にオーナーがアドルフ・オルシにかわり、翌1938年には本拠を現在のモデナに移している。ここから1957年まで、同社のモータースポーツ活動は黄金期を迎えることになる。その最たるものが1957年、名手ファンジオが「250F」を駆り手に入れたF1のシリーズタイトルであった。しかしこの年、マセラティはワークス活動にピリオドを打ち、1958年の「3500GT」、1966年の「ギブリ」、1971年の「ボーラ」などにより、スポーツカーメーカーとしてのポジションをたしかなものにしていく。
そして、スポーツカーづくりの伝統をいまに受け継ぐのが、2ドアクーペの「グラントゥーリズモ」と4ドアサルーンの「クアトロポルテ」。フェラーリとはまた違うイタリアンスポーツの魅力をわれわれに伝えている。