DVD「Vivienne Westwood 1970s-1990」トークセッション 島津 由行 × 荏開津 広(3)
引き続き、3/24に新宿モード学園で開催されたDVD「Vivienne Westwood 1970s-1990」発売記念のプレビュー&トークセッション、ライターの荏開津 広さんとのトークセッション・シリーズの最終回!!
荏開津 広(以下E):懐疑的というのは、伝統思考という事ですか?
島津由行(以下S):そうです。
自分の生まれたルーツだったり、古代ギリシャ、アイスキュロスの劇の頃や19世紀後半のフランスの思想や哲学等も勉強していますよね。そして服のデザインにもそれらのエッセンスが取り込まれていると思います。
特に90年代の彼女は、デザイナーとしての一つの体制を構築していくんです。
E:それは、ヨーロッパの老舗ブランドのデザインが、貴族的なものから少しづつアバンギャルドになっていく過程とは逆で、マルコムやジェイミー・リードと組んでグラフィック的アートから関わり始めた彼女が、結果的には西ヨーロッパの文化の伝統を捉え直していったという事ですね。
S:そうですね。
でも、彼女の場合は、洋服というよりは一つの芸術というか、、、要するにアヴァンギャルドなんですよね。
「反逆」のプロセス・スタイルが本人のアティテュードでもある訳です。
彼女の服は、虫ピンで壁に貼っても良いし、額装で飾っても良い、もちろん着ても良い。
それはその服を買った人の自由で、その後は考えて下さいという思想をお客さんに与えているんですよ。
その代表的なアプローチは、キングスロードの店から、
ワールズエンド以後の直営店まで一環していました。
そこは商品展開のコンセプトによって内装が変わる、例えばパイレーツ・ファッションが流行っていた時は、海賊船的な舞台がお店の中に作られたり、、、
とてもシアター的なお店だったんです。
E:劇場的コンセプトを持ったお店という事ですよね。
S:そうです。
その雰囲気も含めて洋服を買って下さい、というアプローチですね。
そういうスタイルだから、服の値段も安くなかった。イギリスでも、お金持ちクラスしか買えないような値段ですよ。
でも、80年代の日本では爆発的に売れたんです。
E:僕は買えなかった人間の1人です(笑)。
S:特にメンズのスーツは良く売れましたよね。
E:日本人が、ヴィヴィアンのデザインに惹かれる理由は何でしょう?
S:理由の一つは、
コスプレではないでしょうか。
E:なるほど!
S:ファッションではよく言うんですけれどね。特にヴィヴィアンのデザインは、コスプレ度が一番高かったんじゃないでしょうか。
E:ヴィヴィアンにとって西ヨーロッパの懐疑的なものが、日本人にはコスチュームプレイとして受け止められたという事ですか?
S:そうです。
初期のデザインからもコスプレ的要素は感じられますよね。
僕自身も、ファッションはコスプレだと思っています。IVYルックにしても着る事で一つの姿勢を出している、そういう意味ではコスプレですよね。
E:島津さんは、ヴィヴィアンやマルコムと直接お会いになっていますが、その時の印象を教えて下さい。
S:マルコム氏に最後に会ったのは、5~6年前です。
その時は、これからのファッションについての話を聞いたんですが、彼は、具体的には言わなかったのですが、一つのキーワードとして「科学」と答えたんです。どういう意味か尋ねたら、それは「枯れない赤いバラ」がビジネスになる、と・・・。
これは僕なりの解釈なんですが、新素材の開発がどんどんこれから進んでいく訳ですけれど、そういう素材を使用したファッションが主流になっていくという事と、量産との対極を意味しているようで、、、
でも「枯れない赤いバラ」という表現は彼らしいですよね。
僕自身は、その「赤いバラ」という言葉から、スタイリングのイメージを貰いましたね。
E:常に変わっていくもの「科学」に対して、変わらないもの「枯れない赤いバラ」は、普遍の価値のあるファッションという事なんですかね。
S:そうかもしれませんね。
特にヴィヴィアンの方は、彼女自身が変化している訳では無く、デザインが構築的になってきている。デザイナーというよりは、陶芸家みたいなアーティストですよね。
これも自分自身へのレジスタンスが生まれているのだと思います。
E:では、次に学生の皆さんから島津さんへの質問コーナーに移ります。
学生A:島津さんが集められている初期の『FACE』や『i-D』を僕も集めていて、それらから自分のデザインにインスピレーションを貰っています。
島津さんは、それらの本を最初に手に取った時に、どう感じましたか?
S:『FACE』の創刊号は持っています。表紙はイアン・デューリーでしたね。
E:特集が、リード・ボーカリストでしたね。
S:そう。
ジョン・ライドンが、3号目くらいに表紙に出ていましたね。
『i-D』は、テリー・ジョーンズが編集長をやっているんですが、彼は元々イングリッシュ・ヴォーグの仕事をしていた人なんです。
彼が『i-D』を作ったキッカケは二つあって、、、
一つは、彼もパンク世代で、ファッション・ページをパンク・テイストでやりたかったらしいんですが、当時のヴォーグはパンクがNGだったんです。
それともう一つは、79年くらいの事なんですが、音楽のスタイルが先行して、ファッション・スタイルが後から追い付いた時代でもあったんです。
その時にテリーは、そういうサブカルチャーをきちんとメディアで紹介していきたいと思った。
それがキッカケで、新しいメディア『i-D』を作ったみたいですね。
僕の中で、音楽とリンクしたファッション誌というのは、『i-D』と『FACE』が初めてでしたね。
表紙は、スペシャルズとかデビッド・ボウイとか、当時の音楽系の色んな方々が飾っていたんです。残念ながら、後々は、音楽から離れてしまうんですけどね。
『FACE』は無くなってしまいましたが、『i-D』は現在もまだ残っているんで、一度手に取って見てみて下さい。
日本では、サブカルチャーは意外と見えてきづらいんですが、サブカルチャーを紹介するという情報発信の発端は、やはりパンク・カルチャーから始まったんじゃないでしょうかね。
学生B:島津さんの中で、当時、セックス・ピストルズの他に熱かったり盛り上がっていたバンドを教えて下さい。また、最近聴いている音楽も教えて下さい。
S:僕は、当時から色々な音楽を聴いていましたよ。
ちなみに、日本ではセックス・ピストルズからパンク・カルチャーが生まれた事になってしまいがちなんですが、パンク・カルチャーは元々ニューヨークのアンダーグランド・シーンから生まれたものなんです。反体制的音楽は、アメリカの方が先だったんですよね。
アメリカのベルベット・アンダーグランドやラモンズ、パティ・スミス、トーキング・ヘッズくらいまででしょうか。
当時、その辺りのアーティストとリンクしていたニューヨーク・ドールズを、マルコムがマネージングしていたので、そのカルチャーをそのまま持ち帰ったらしいんです。
Tシャツを切り裂いて安全ピンで留めるというパンクのファッションは、リチャード・ヘルが最初にやっていて、それをマルコムがイギリスに持ち帰ったという話を聞きましたね。
その頃のニューヨークのアンダーグランド・パンクシーンを深く探っていくと、最終的にアンディ・ウォーホールに繋がっていくんです。
ベルベット・アンダーグランドのバナナとピストルズの「Never Mind the Bollocks」。
いわゆるインテリジェンスでポップな感じのデザインですが、そこに共通点がある様な気がするんですよね。
ベルベット・アンダーグランドは、僕も好きなんで、つい先日に行ったファッション・ショーでも、「ファム・ファタール」という曲を選曲で使いましたよ。
あと、THE CLASHももちろん当時から聴いていました。
THE CLASHは、ピストルズと一緒にライブをやっていたんですが、ピストルズは問題ばかり起こすんで、よくライブが中止になっていたんですね。
当時、ライブが中止になった時のTシャツを今日は持って来ていますが、これはマルコム作で、76年くらいのものです。
最近、聴いている音楽は、ラジオヘッドとか、、、色々聴いていますよ。
だけど、悲しいかな、どうしても昔の曲が多いんです(笑)。
更に、同じCDをまた買っている事も悲しい現実ですよね(笑)。
何故、同じCDを買っているのかというと、かなり個人的な理由なんですが。。。
僕はアナログ・レコードを1万5千枚くらい持っているんですけれど、引っ越しの時に業者に預けてしまったんですよ。
選曲の仕事もしているから持っている曲を使いたくても、今は手元に無いんです。
だから、タワーレコードでまた買っている、、、その姿が、とても寂しい(笑)。
先日もレコードで持っている曲を、またCDで買ってしまいました。。。
選曲の仕事をしている関係もありますけれど、パンクやロックも大好きなんですが、イーグルスのライブも良かったとか、、、
そんな感じで、音楽に関しては特に節操なく聴いていますね。
E:最後に、ヴィヴィアンの行った事実があったのと無かったのとでは、今のファッションも大きく違ったと思いますか?
S:多分、
東京のファッションも今とは全く違うものになっていたんじゃないでしょうか。
彼女の行った行動は、とてもマイノリティだったと思うんですが、そういった動きから何かが生まれていった。
当時は、当然、情報が無い状況だからこそ、ヴィヴィアンの中に色々な創造が生まれていったんですよ。事実、彼女は「思考と思想は常に大事だ」と言っていますしね。
皆が同じ意識を持って進んでいくというグローバリゼイション的な考えには、良きも悪きもあると思うんです。
例えば、TVで言っている事全てが本当では無いですよね。
それはいわゆるプロパカンダというものなんですが、それに対しては一回一回立ち止まって考えて行動するべきなんです。そうしていかなければ、ヴィヴィアンのとった行動は受け継げない。
そういう行動の一つ一つが、パンク精神に繋がっていくんだと思います。
僕はスタイリストという表現者なので、やはりクリエイターとしての存在感、オリジナル性をどんどん作り上げていきたいと思っています。
だから、ヴィヴィアンのそういうマイノリティな行動から始まっていった事実を受け継いでいきたいですよね。
プロフィール
荏開津 広 EGAITSU hiroshi
(one hand clappin')
コンセプト/テキスト/ディレクション
東京生まれ。立教大学在学中からDJを開始、同時に雑誌に文章を書き始める。
コンピレーションや、ラジオ、TVなどの構成もてがけ、代表的なアルバムは「ルーティン」、「テンプル・オブ・ダブ」、「イル・セントリック・ファンク」など。
歴史的ヒップホップ・パーティ「さんぴんCAMP」映像作品スーパーヴァイザー。現在手がけているのは、NYのショップ"KIOSKHELLO"とのコラボレーション、アーティスト、ヨルグ・ガイスマール、ニュー・メディア・リサーチャー、フィリップ・コドニエとのディスコース・プロジェクト”onestoneinsidetheshoe"など。
RIDDIM、OK FRED、VOGUE NIPPONなどにもに執筆。
東京藝術大学、多摩美術大学、などで非常勤講師としても奮闘中!